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リチャード・ケネス・ガイ

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リチャード・ケネス・ガイ
2005年のガイ
生誕 Richard Kenneth Guy
(1916-09-30) 1916年9月30日
イングランドヌニートン
死没 2020年3月9日(2020-03-09)(103歳没)
カナダアルバータ州カルガリー
国籍 イギリス、カナダ
研究分野 数学
研究機関 カルガリー大学
出身校 ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジ
(1938年に学士、1941年に修士)
主な業績 娯楽数学
小数の強法則
モノスタティック多面体
主な受賞歴 レスター・R・フォード賞 (1989)
プロジェクト:人物伝
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リチャード・ケネス・ガイ: Richard Kenneth Guy (1916-09-30) 1916年9月30日 - 2020年3月9日(2020-03-09) )は、イギリス数学者カルガリー大学数学科教授[1]数論幾何学娯楽数学英語版組合せ数学グラフ理論の功績で知られる[2][3]。最も著名な功績にジョン・コンウェイエルウィン・バーレカンプとともに執筆した書籍「Winning Ways for Your Mathematical Plays英語版」と「Unsolved Problems in Number Theory」がある[4]。彼は300以上の学術記事を発表した[5]。また、小さな数は多大な仕事を割り当てるには不十分であるから、多くの文化において見られる一致やパターンが説明できることを示す、部分的に冗談めいた小数の強法則英語版を提案した[6]。この法則の発表で、ガイはMAA英語版レスター・R・フォード賞英語版を受賞している[7]

経歴

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幼少期

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1916年9月30日、ウォリックシャーヌニートンで、アデライン・オーガスタ・タナー(Adeline Augusta Tanner)とウィリアム・アレクサンダー・チャールズ・ガイ(William Alexander Charles Guy)の間に生まれた。2人はどちらも教師でそれぞれ校長と教頭に昇進している。イギリスで3番目に古い男子学校のウォーリック・スクール英語版に通学したが、教育課程にはあまり熱情的ではなかった。彼はスポーツ数学に秀でていた。17歳のとき、レオナード・ディクソンHistory of the Theory of Numbers英語版を読む。彼はこの本をシェイクスピアの全作品よりもよいといった[8]

1935年、ガイはゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジに入学し、いくつかの奨学金を獲得した。その中で最も重要なものを獲得するためには、ケンブリッジへ赴き2日に渡る試験を受ける必要があった。ケンブリッジ大学滞在中に、彼はゲームに興味を持ち、チェス・プロブレムを熱心に作るようになった[9]。1938年、second-class honours degree英語版として大学を卒業した。このことについて彼は一等を逃したのは、チェスへの執着と関係していたのかもしれないと語っている[10]。両親は猛烈に反対したものの、ガイは教師になることを決め、バーミンガム大学で教職のディプロマを取得した。この間に、将来の妻である、ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジの奨学生であったマイケルの同胞の、ナンシー・ルイーズ・ティリアン(Nancy Louise Thirian)と会った。彼とルイーズは山登りとダンスへの愛を共有しあい、1940年12月に結婚した。

戦争時

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1942年11月、ガイはイギリス空軍気象学部門より、空軍大尉英語版の座と緊急の任務を受け[11]レイキャビク、後にバミューダ気象学者として赴任した。彼はルイーズをつれていくことを望んだが、受け付けられなかった。アイスランドにいる間、彼は氷河旅行、スキー、登山、雪と氷との長い付き合いの始まりを体験した[12]。戦争終結後、ガイはイングランドへ帰還し、ストックポート・グラマー・スクール英語版で教職に復帰したが、2年経ってその職を辞した。1947年、ガイ一家はロンドンへ越し、ゴールドスミス・カレッジで数学を教える職務を得た[13]

晩年

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1951年、ガイはシンガポールに移住し、1962年まで、マラヤ大学で教壇に立った。また、数年間をデリーインド工科大学で過ごした。インド滞在中、ガイとルイーザはヒマラヤ山脈麓の登山に出掛けた[14]。1965年、カナダに引っ越し、アルバータカルガリー大学に落ち着き、教授職を得た[15][16]。1982年に正式に退職したが、100歳になっても週5日は出勤していた[17]。ジョージ・トマス(George Thomas)とジョン・セルフリッジ英語版とともに、ガイは初期のCanada/USA Mathcamp英語版で教鞭を執った[18]

1991年、ガイはカルガリー大学より名誉博士号を受け取った。大学側は

"his extensive research efforts and prolific writings in the field of number theory and combinatorics have added much to the underpinnings of game theory and its extensive application to many forms of human activity" (数論と組み合わせ数学における彼の広大な研究努力と数々の著作は、ゲーム理論の基礎とその人間活動の様々な形式への広大な応用に大きく貢献した)

と述べているが[19]、ガイは彼らは恥ずかしさから学位を与えたのだと嘆いた。ガイとルイーズ(2010年没)は、晩年になっても山登りと環境保護を熱心に続けた。2014年には、彼はアマチュアのリーダーを指導するため、カナダ登山クラブ英語版に100,000ドルの寄付を行っている[20]。 これを受け、カナダ登山クラブは、モント・デ・ポイルス英語版の裾の近くに「Louise and Richard Guy Hut」を建設した[21]。ガイとルイーズは3人の子供を持っている。うち1人はコンピュータ科学者及び数学者のマイケル・ガイ英語版である。

ガイは2020年3月9日、103年の生涯を閉じた[22][23]

数学

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I love mathematics so much, and I love anybody who can do it well, so I just like to hang on and try to copy them as best I can, even though I'm not really in their league.[24]
– R. K. Guy

シンガポールで教職を務めていた最中の1960年、ガイはハンガリーの数学者ポール・エルデシュと出会った。エルデシュは多くの問題を提起、解決することで知られており、そのうちいくつかをガイに共有した[25]。ガイは後年に "I made some progress in each of them. This gave me encouragement, and I began to think of myself as possibly being something of a research mathematician, which I hadn't done before." (私はそれらのいくつかを進展させた。このことに勇気付けられ、私が今まで私がやってこなかった研究数学者になるかもしれないと考えはじめた)と語っている[26]。 結局、ガイはエルデシュと4つの論文を共著し、エルデシュ数1となり[27]、エルデシュの問題の一つを解決している[28]。彼は、エルデシュの未解決問題に興味をそそられ、その問題に関する2つの書籍を執筆している[29][30]。多くの理論学者はガイの書籍「Unsolved problems in number theory」内の問題を解決しようとする所から、学問を始めている[31]

数多の専門家からの尊敬を集めているのにも関わらず[32]、ガイは自身をアマチュア数学者の身であると述べた[33]。80年のキャリアの中で、彼の著作物は12を超え、20世紀の重要な数学者との共同研究を行ってきた[34]。彼と協力した数学者には、先に挙げたポール・エルデシュジョン・ホートン・コンウェイエルウィン・バーレカンプジョン・セルフリッジ英語版の他ドナルド・クヌースマーティン・ガードナーケネス・ファルコナー英語版ゲルハルト・リンゲル英語版リー・サロウズ英語版ベラ・ボロバシュフランク・ハラリー英語版キャロル・ラカンパーニュ英語版ブルース・サガン英語版ニール・スローンなどがいる[35]

彼の研究論文は、エルデシュとの共著4つを含み、100を超えるとされている[36][37][38][39][40]

ガイは娯楽数学英語版の権威だった。彼はコンウェイとバーレカンプとともに2巻の書籍「Winning Ways」を作った。1998年、マーティン・ガードナーはこの書籍について"the greatest contribution to recreational mathematics in this century"(今世紀最大の娯楽数学への貢献)と述べている[41][42]。 ガードナーがScientific Americanの数学ゲームのコラムの執筆を辞めたのち、一時期、ガイはガードナーの後任となることを検討されていた[43]。ガイは、コンウェイのライフゲームの広大な研究を実施し、1970年、グライダーを発見した[44][45]。また1968年ごろ、彼は19面のモノスタティック多面体英語版を発見した。2012年までに、19より少ない面のモノスタティック多面体は見つかっていない。2016年、つまり99歳になってもガイは活発に数学的な仕事を行っていた[46]。ガイの100歳を記念し、彼の友人や同僚は彼の人生を祝う会を開き、Gathering 4 Gardner英語版によって、トリビュート・ソングとビデオがリリースされた[47]

ガイはNumber Theory Foundation英語版の、創立時のディレクターの一人で、"foster a spirit of cooperation and goodwill among the family of number theorists"(数論学者の間で協力と親善の精神を育む)という目標を支援するために、20年間以上もの間、活発的な役割を果たした[48][49]

チェス・プロブレム

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1947年から1951年の間、ガイはBritish Chess Magazine英語版のエンディングの編集者を務めた[50]。彼は、200あまりのエンドゲーム・スタディを作ったことでも知られている。 ヒュー・ブランドフォード英語版ジョン・ロイクロフト英語版とガイはGBRコードの発明者である。EG英語版を含むいくつかの出版物はエンドゲーム・スタディの索引と、エンドゲームの種類の分類のためGBRコードを用いている[51]

1938年にガイが創作したエンドゲームの構成
abcdefgh
8
b7 black pawn
d7 black pawn
f7 black pawn
a6 black pawn
b6 white pawn
d6 white pawn
f6 white pawn
a4 black king
c4 black pawn
c3 white pawn
e3 black pawn
g3 black pawn
h3 white pawn
c2 white pawn
e2 white pawn
g2 white pawn
e1 white king
8
77
66
55
44
33
22
11
abcdefgh

解法
1. Kd1 Ka3
2. Kc1 a5
3. h4 a4
4. h5 Ka2
5. h6 a3
6. h7 Ka1
7. h8=N a2
8. Ng6 fxg6
9. f7 g5
10. f8=N g4
11. Ne6 dxe6
12. d7 e5
13. d8=N e4
14. Nc6 bxc6
15. b7 c5
16. Kd1 Kb2
17. b8=Q+ 1-0

主要な作品

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書籍

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  • 1975 (with John L. Selfridge) Optimal coverings of the square, North-Holland, Amsterdam, OCLC Number: 897757276.
  • 1976 Packing [1, n] with solutions of ax + by = cz — the unity of combinatorics Atti dei Conv. Lincei, 17, Tomo II, 173–179
  • 1981 Unsolved problems in number theory, Springer-Verlag in New York, ISBN 0-387-90593-6
  • 1982 Sets of integers whose subsets have distinct sums, North-Holland, OCLC Number: 897757256.
  • 1982 (with Elwyn Berlekamp and John H. Conway) Winning Ways for your Mathematical Plays, Academic Press, ISBN 0120911507.
  • 1987 Six phases for the eight-lambdas and eight-deltas configurations, North-Holland, OCLC Number: 897693235.
  • 1989 Fair game how to play impartial combinatorial games, COMAP in Arlington, MA, ISBN 0912843160.
  • 1991 Graphs and the strong law of small numbers in 'Graph Theory, Combinatorics, and Applications, Wiley, OCLC Number: 897682607. ISBN 9780471532194ISBN 9780471532194
  • 1994 (with Hallard T. Croft and Kenneth Falconer) Unsolved problems in geometry, Springer-Verlag, ISBN 0387975063.
  • 1996 (with John H. Conway) The book of numbers, Copernicus, ISBN 9780387979939.
  • 2002 (with Paul Vaderlind and Loren C. Larson) The inquisitive problem solver, Mathematical Association of America, ISBN 0883858061.
  • 2020 (with Ezra A. Brown) The Unity of Combinatorics, Mathematical Association of America, ISBN 978-1-4704-5279-7

論文

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邦訳書籍

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出典

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  1. ^ Albers & Alexanderson (2011) p. 320
  2. ^ MMA (2016)
  3. ^ Author biography from Winning Ways for your Mathematical Plays, Vol. I, 2nd ed., AK Peters, 2001.
  4. ^ Roberts (2016)
  5. ^ Scott (2012) p. 29
  6. ^ Guy, Richard K. (October 1988). “The Strong Law of Small Numbers”. Am. Math. Mon. 95 (8): 697–712. doi:10.2307/2322249. ISSN 0002-9890. JSTOR 2322249. http://www.maa.org/sites/default/files/pdf/upload_library/22/Ford/Guy697-712.pdf. 
  7. ^ MMA (2016)
  8. ^ Scott (2012) p. 6
  9. ^ Roberts (2016)
  10. ^ Albers & Alexanderson (2011) p. 169
  11. ^ "No. 35894". The London Gazette (Supplement) (英語). 5 February 1943. p. 707.
  12. ^ Scott (2012) p. 29: Richard has often told me that he has had three loves in his life: Louise and mountains of course are two of them, but his first love was mathematics.(リチャードはよく私に、私の人生には3つの愛がある、ルイーザと山はもちろんのことだが最初の一つは数学であると言った。)
  13. ^ Scott (2012) p. 11
  14. ^ Guiltenane (2016)
  15. ^ University of Calgary (2016)
  16. ^ Roberts (2016)
  17. ^ Guiltenane (2016): Guy has said, "I didn't retire, they just stopped paying me."(私は引退していない、彼らが私に給料を払うのを止めただけだ。)
  18. ^ Siobahn Roberts (2010), “Profile of Scott Aaronson”, Finding Nirvana in Numbers (Simons Foundation), https://www.simonsfoundation.org/2010/12/21/finding-nirvana-in-numbers/#1 13 March 2020閲覧。 
  19. ^ Scott (2012) p. 31
  20. ^ Scott (2012) p. 39
  21. ^ ((Alpine Club of Canada)) (30 October 2014). “Introducing the Louise & Richard Guy Hut”. 11 October 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。
  22. ^ Remembering Richard Guy: 1916-2020”. University of Calgary (10 March 2020). 10 March 2020閲覧。
  23. ^ Canadian Climbing Legend Richard Guy Dies at 103”. Gripped (10 March 2020). 2024年9月8日閲覧。
  24. ^ Roberts (2016) p.30
  25. ^ Roberts (2016)
  26. ^ Albers & Alexanderson (2011) p. 176
  27. ^ Coauthors of Paul Erdos
  28. ^ Wittmeier (2010年9月28日). “Math genius left unclaimed sum”. Edmonton Journal. 2023年12月31日閲覧。
  29. ^ Unsolved problems in number theory and Unsolved problems in combinatorial games
  30. ^ Albers (2011): p. 165
  31. ^ Scott (2016) p. 30: It is no exaggeration to say that Unsolved Problems in Number Theory has inspired generations of aspiring Number Theorists!(数論における未解決問題集は理論学者を目指す多くの世代を奮起させたというのは、決して誇張されたことではない!)
  32. ^ Roberts (2016): "He pushes the boundaries of that definition."
  33. ^ Scot (2012) p. 29
  34. ^ Scott (2016)
  35. ^ Albers (2011)
  36. ^ Richard K. Guy”. Mathematical Reviews. American Mathematical Society. 13 March 2020閲覧。
  37. ^ P. Erdős; R. K. Guy; J. L. Selfridge (1982). “Another property of 239 and some related questions”. Congr. Numer. 34: 243–257. MR681710. 
  38. ^ P. Erdős; R. K. Guy; J. W. Moon (1974). “On refining partitions”. J. London Math. Soc. 9: 565–570. MR360302. 
  39. ^ P. Erdős; R. K. Guy (1973). “Crossing number problems”. Amer. Math. Monthly 80: 52–58. doi:10.1080/00029890.1973.11993230. MR382006. 
  40. ^ P. Erdős; R. K. Guy (1970). “Distinct distances between lattice points”. Elem. Math. 25: 121–123. MR281691. 
  41. ^ A Quarter-Century of Recreational Mathematics by Martin Gardner, Scientific American, August 1998
  42. ^ Scott (2016) p. 30: Mathematician Michael Bennett calls Winning Ways for your Mathematical Plays the bible of Combinatorial Game Theory.(数学者マイケルはWinning Ways for your Mathematical Plays を組み合わせゲーム理論の聖典であると述べた)
  43. ^ Mulcahy (2016): Richard also reveals a little known fact about the end of Gardner's quarter-century column run for that publication, "There was serious consideration given to my taking over the column from him. I'm glad that it didn't happen, because you can't follow Martin Gardner!".(リチャードは同誌のガードナーの四半世紀にわたるコラムの連載が終了したあまり知られていない理由を明かした。「私が彼のコラムを継承することも真剣に検討したよ。マーティン・ガードナーにはついていけないから、それが起こらなくてよかった!」)
  44. ^ Mulcahy (2016)
  45. ^ Gardner, Martin (1970). The fantastic combinations of John Conway's new solitaire game "life" Scientific American: Mathematical Games. October 1970.
  46. ^ Kenneth Falconer (3 October 2016). “Richard Guy at 100”. London Mathematical Society Newsletter. 29 December 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。
  47. ^ Richard Guy 100th Birthday Tribute Song video
  48. ^ William Blair. “Chair's Corner”. NIU Department of Mathematical Sciences Newsletter. University of Northern Illinois. 13 March 2020閲覧。
  49. ^ In Memoriam”. The Number Theory Foundation. Number Theory Foundation. 10 March 2020閲覧。
  50. ^ The Chess Endgame Study: A Comprehensive Introduction By A. J. Roycroft, New York : Dover Publications, 1981, p. 58, ISBN 0486241866
  51. ^ Hooper, David; Whyld, Kenneth (1992) The Oxford Companion to Chess, "GBR code", p. 353, Oxford University Press, ISBN 0-19-280049-3

参考文献

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外部リンク

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