ラモン・メディナベージョ
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名前 | ||||||
本名 |
ラモン・イスマエル・メディナ・ベージョ Ramón Ismael Medina Bello | |||||
愛称 | ラ・ボンバ、メンチョ | |||||
カタカナ | ラモン メディナベージョ | |||||
ラテン文字 | Ramón Medina Bello | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アルゼンチン | |||||
生年月日 | 1966年4月29日(58歳) | |||||
出身地 | エントレ・リオス州グアレグアイ | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1989 | ラシン・クルブ | 108 | (25) | |||
1989-1993 | リーベル・プレート | 140 | (47) | |||
1994-1995 | 横浜マリノス | 70 | (36) | |||
1996-1997 | リーベル・プレート | 40 | (10) | |||
1997-1999 | タジェレス・デ・コルドバ | 26 | (3) | |||
2001-2004 | ドック・スド | 74 | (26) | |||
2005 | フベントゥ・ウニダ | 10 | (6) | |||
通算 | 468 | (153) | ||||
代表歴 | ||||||
1991-1994 | アルゼンチン | 18 | (5) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ラモン・メディナベージョ(Ramón Ismael Medina Bello, 1966年4月29日 - )は、アルゼンチン・エントレ・リオス州グアレグアイ出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元アルゼンチン代表。
経歴
[編集]リーベル・プレートでキャリアをスタート、1993年にはゴールを量産してアルゼンチン年間最優秀選手賞を受賞した。
1994年に現役アルゼンチン代表選手として横浜マリノスに移籍、マリノスのアルゼンチン遠征で、直前まで所属していたリーベル・プレートとのフレンドリーマッチに後半から出場し、ゴールを決めるデビュー[1]。マリノスでは同じアルゼンチン出身のラモン・ディアス、グスタボ・サパタと共に元リバー・プレート所属のリーバープレートトライアングルを形成した[1]。1994年3月12日の浦和レッズ戦でJリーグ初出場、初ゴール[2]、8月17日の鹿島アントラーズ戦で決めたゴールは、Jリーグ1000ゴール目のメモリアルゴールとなった[3]。1995年の1stステージではヴェルディ川崎と最終節まで優勝を争ったが、マリノスは最終節で鹿島アントラーズと対戦、この試合で決勝ゴールを決め、マリノスは優勝を決めた[4]。この年はJリーグで21ゴールを決めるなど[5] 、Jリーグでは通算70試合36ゴールの成績を残した[2]。
マリノス退団後はリーベル・プレートに複帰、1996年のインターコンチネンタルカップのユベントス戦ではベンチ入りするなど、ベンチ要員とて、1996年のリベルタドーレスカップ、リーグ優勝や1997年のスーペルコパ・スダメリカーナなどを制した。
アルゼンチン代表では1994年W杯・アメリカ大会の予選では5試合に出場し、4ゴールを決め、本大会出場に貢献[1]、マリノス所属時に出場したワールドカップでは、グループリーグのブルガリア戦、ラウンド16のルーマニア戦[6]でいずれも途中出場した。
プレースタイル
[編集]ラボンバというニックネームがつくほど、強烈な右足からのシュートが代名詞であったが[1]、左足でも同じく強烈なシュートを放ち得点を量産、強引な突破からシュートへ持ち込むパターンを最も得意としていた[7]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
アルゼンチン | リーグ戦 | リーグ杯 | アルヘンティーナ杯 | 期間通算 | |||||||
1988-89 | リーベル・プレート | プリメーラ | 2 | 0 | |||||||
1989-90 | 32 | 9 | |||||||||
1990-91 | 29 | 8 | |||||||||
1991-92 | 31 | 6 | |||||||||
1992-93 | 37 | 16 | |||||||||
1993-94 | 9 | 8 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1994 | 横浜M | - | J | 30 | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 31 | 15 |
1995 | 40 | 21 | - | 0 | 0 | 40 | 21 | ||||
アルゼンチン | リーグ戦 | リーグ杯 | アルヘンティーナ杯 | 期間通算 | |||||||
1995-96 | リーベル・プレート | プリメーラ | 10 | 2 | |||||||
1996-97 | 10 | 1 | |||||||||
1997-98 | 20 | 7 | |||||||||
1997-98 | タジェレス | プリメーラB・ナシオナル | 12 | 3 | |||||||
1998-99 | プリメーラ | 11 | 5 | ||||||||
2001-02 | ドック・スド | 0 | 0 | ||||||||
2002-03 | 0 | 0 | |||||||||
2003-04 | 0 | 0 | |||||||||
2004-05 | フベントゥ・ウニダ | 0 | 0 | ||||||||
2005-06 | 10 | 6 | |||||||||
通算 | 日本 | J | 70 | 36 | 1 | 0 | 0 | 0 | 71 | 36 | |
総通算 |
その他の公式戦
- 1995年
- Jリーグチャンピオンシップ 1試合0得点
代表歴
[編集]出場大会
[編集]- 1991年 - 1994年 アルゼンチン代表
- 1991年 - コパ・アメリカ 優勝
- 1993年 - コパ・アメリカ 優勝
- 1994年 - FIFAワールドカップ 2試合0得点
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 17試合 4得点(1991年-1994年)[8]
アルゼンチン代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1991 | 4 | 0 |
1992 | 2 | 1 |
1993 | 8 | 4 |
1994 | 3 | 0 |
通算 | 17 | 5 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- ラシン・クルブ
- スーペルコパ・スダメリカーナ : 1988
- リーベル・プレート
- プリメーラ・ディビシオン : 1989-90, 1991-92A, 1993-94A, 1996-97A, 1996-97C, 1997-98A
- コパ・リベルタドーレス : 1996
- スーペルコパ・スダメリカーナ : 1997
- 横浜マリノス
- タジェレス・デ・コルドバ
- プリメーラB・ナシオナル : 1997-98
代表
[編集]- アルゼンチン代表
脚注
[編集]- ^ a b c d 週刊サッカーマガジン 1994年3月9日号 no.445 p.104-117 ベースボールマガジン社
- ^ a b “メディナベージョ”. j-league. 17 April 2020閲覧。
- ^ “Jリーグ記念ゴール”. data.j-league. 9 April 2020閲覧。
- ^ “岡ちゃん連覇 悲運俊輔は号泣/4度目V横浜の軌跡”. www.nikkansports.com. 17 April 2020閲覧。
- ^ [1]National-Football-Teams.com
- ^ “Romania-Argentina Jul3 1994 Match report”. Sj-league. 17 April 2020閲覧。
- ^ 週刊サッカーマガジン 1994年3月23日号 no.447 p.16-19 ベースボールマガジン社
- ^ ラモン・メディナベージョ - National-Football-Teams.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ラモン・メディナベージョ - National-Football-Teams.com
- ラモン・メディナベージョ - Soccerway.com
- ラモン・メディナベージョ - FootballDatabase.eu
- ラモン・メディナベージョ - WorldFootball.net
- ラモン・メディナベージョ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ラモン・メディナベージョ - FIFA主催大会成績
- ラモン・メディナベージョ - J.League Data Siteによる選手データ