ライオネル・ネイサン・ド・ロスチャイルド
ライオネル・ネイサン・ド・ロスチャイルド Lionel Nathan de Rothschild | |
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生年月日 | 1882年1月25日 |
出生地 | イギリス、イングランド、ロンドン |
没年月日 | 1942年1月28日(60歳没) |
死没地 | イギリス、イングランド、ロンドン |
出身校 | ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ |
所属政党 | 保守党 |
称号 | 大英帝国勲章オフィサー(OBE) |
配偶者 | マリー・ルイーザ・ユージェニー・ベーア |
親族 |
ライオネル・ド・ロスチャイルド(祖父) 初代ロスチャイルド男爵(伯父) 第2代ロスチャイルド男爵(従兄弟) |
庶民院議員 | |
選挙区 | アリスバーリー選挙区[1] |
在任期間 | 1910年1月15日 - 1923年12月6日[1] |
ライオネル・ネイサン・ド・ロスチャイルド(英語: Lionel Nathan de Rothschild, OBE、1882年1月25日 - 1942年1月28日)は、イギリスの銀行家、政治家。
経歴
[編集]1882年1月25日にレオポルド・ド・ロスチャイルドの長男としてロンドンで生まれる。母はマリー・ペルージャ[2][3]。弟にエヴェリンとアンソニーがいる。
ハーロー校を経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを卒業。1908年にマスター・オブ・アーツの学位を取得した[2]。
1903年からN・M・ロスチャイルド&サンズに勤めるようになる[4]。1910年から1923年にかけてアリスバーリー選挙区選出の庶民院議員を務める[2][3]。所属政党は保守党だった[4]。
1914年の第一次世界大戦時には国防義勇部隊予備役少佐の地位にあった[2]。ライオネル自身は出征を希望していたが、一族から高齢のN・M・ロスチャイルド&サンズ共同経営者たち(父レオポルドと伯父二人)を支えることを期待されたため、イギリス本国に留まることになった。しかし彼の弟二人は最前線で戦ったため(長弟エヴェリンは戦死している)、この時に出征しなかったことはライオネルに生涯の自責の念を与えたという[5]。
1915年に伯父ロスチャイルド卿が死去すると、その次男であるチャールズがN・M・ロスチャイルド&サンズの経営を主導するようになったが、チャールズは病気でまもなく退任したため、ライオネルと次弟アンソニーが会社の主導権を握るようになっていった[6]。
1930年代、ナチ党政権の誕生によりドイツでユダヤ人迫害が強まった。これを憂慮したライオネルは、本家のヴィクターや弟アンソニーとともに「ドイツユダヤ人のための英国中央基金」や「ドイツユダヤ人のための委員会」などの募金機関を立ち上げ、ドイツ・ユダヤ人の亡命と亡命後の生活の支援を行った[7][8]。とりわけ一世代若いヴィクターがこの救済活動に熱心だった。やや高齢のライオネルとアンソニーの兄弟は、イギリス社会から排除されないためには、まずイギリス人として行動するべきでユダヤ人であることは二の次という考え方が染み付いていたため、運動にかける情熱には温度差もあったものの、兄弟も出来る限り多くのユダヤ人を救おうと奔走したことに疑いはない[9]。
1942年1月28日にケンジントン宮殿で死去した[5]。以降、会社の経営は弟アンソニーが主導するようになる[10]。
人物
[編集]植物に造詣が深く、サザンプトン郊外にエクスベリー・ガーデンを創設した[11]。その庭園への情熱の注ぎようから「庭園師が本職で銀行業は趣味」とまで評された[12]。
またクルージング[要曖昧さ回避]、温泉、山歩きも趣味だった[13]。
家族
[編集]パリ在住のエドモンド・ビーアの娘マリー・ルイーザ・ユージェニー・ベーア(Marie Louise Eugénie Beer)と結婚し、彼女との間に以下の4子を儲ける[3]。
- 第1子(長女): ローズマリー・レオノラ・ルース(Rosemary Leonora Ruth)(1913年-2013年)
- 第2子(長男): エドムンド・ド・ロスチャイルド(1916年-2009年)
- 第3子(次女): ナオミ・ルイーザ・ニナ(Naomi Luisa Nina)(1920年-2007年)
- ナオミは国際原子力機関議長のベルトラン・ゴールドシュミットと1947年2月に結婚
- 第4子(次男): レオポルド・デーヴィッド・ド・ロスチャイルド(1927年-2012年)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b UK Parliament. “Mr Lionel de Rothschild” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年5月14日閲覧。
- ^ a b c d "Rothschild, Lionel Nathan (RTST900LN)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b c d Lundy, Darryl. “Lionel Nathan de Rothschild” (英語). thepeerage.com. 2013年11月30日閲覧。
- ^ a b エドムンド(1999) p.16
- ^ a b エドムンド(1999) p.151
- ^ クルツ(2007) p.129
- ^ エドムンド(1999) p.131-132
- ^ クルツ(2007) p.137
- ^ クルツ(2007) p.137-138
- ^ クルツ(2007) p.138
- ^ クルツ(2007) p.129-130
- ^ モートン(1975) p.218
- ^ エドムンド(1999) p.62-63
参考文献
[編集]- ヨアヒム・クルツ『ロスチャイルド家と最高のワイン 名門金融一族の権力、富、歴史』瀬野文教訳、日本経済新聞出版社、2007年。ISBN 978-4532352875。
- フレデリック・モートン『ロスチャイルド王国』高原富保訳、新潮社〈新潮選書〉、1975年。ISBN 978-4106001758。
- 横山三四郎『ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡』講談社現代新書、1995年。ISBN 978-4061492523。
- エドムンド・ド・ロスチャイルド『ロスチャイルド自伝 実り豊かな人生』古川修訳、中央公論新社、1999年。ISBN 978-4120029479。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Lionel de Rothschild
- N M Rothschild & Sons
- Exbury Gardens
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ウォルター・ロスチャイルド |
アリスバーリー選挙区選出庶民院議員 1910年 - 1923年 |
次代 トマス・キーンズ |