コンテンツにスキップ

ユニエスキ・マヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユニエスキ・マヤ
Yunesky Maya
カンペチェ・パイレーツ
ワシントン・ナショナルズ時代
基本情報
国籍ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国に亡命)
出身地  キューバ
ピナール・デル・リオ州ピナール・デル・リオ
生年月日 (1981-08-28) 1981年8月28日(43歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2010年9月7日
KBO / 2014年8月1日
最終出場 KBO / 2015年6月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム キューバの旗 キューバ
WBC 2006年2009年
獲得メダル
 キューバ
ワールド・ベースボール・クラシック
2006 野球

ユニエスキ・マヤ・メンディスーラYunesky Maya Mendizula, 1981年8月28日 - )は、キューバ共和国ピナール・デル・リオ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

[編集]

キューバ時代

[編集]

2003-2004シーズンからキューバ国内リーグ"セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル"のベゲロス・デ・ピナール・デル・リオに所属。

2004-2005シーズンにはリリーフ投手として防御率1.61で最優秀防御率を獲得。

2005年9月に第36回IBAFワールドカップキューバ代表に選出された。

2005-2006シーズンは先発投手に転向するも成績が伸びず、7勝9敗・防御率3.79に終わった。

2006年第1回WBCのキューバ代表に選出された[1]。この大会では、1次リーグのパナマ戦では勝利投手となっている。7月には2006年中央アメリカ・カリブ海競技大会の野球キューバ代表に選出され、11月には第16回IBAFインターコンチネンタルカップのキューバ代表に選出されている。

2007年7月に2007年パンアメリカン競技大会の野球キューバ代表に選出された。11月には第37回IBAFワールドカップのキューバ代表に選出された。

2008-2009シーズンは再び先発に戻って防御率2位の2.22を記録した他、13勝4敗で最多勝投手、アロルディス・チャップマンの130奪三振に次ぐ2位の119奪三振となる好成績を残した。

2009年3月に開催された第2回WBCのキューバ代表に選出され[2]2大会連続2度目の選出となった。この大会では、2度目の日本戦となる3月19日に小笠原道大に先制打を記録された。

ナショナルズ時代

[編集]

2009年夏にメキシコ亡命しようとするが失敗して代表チームから追放された後に、9月にキューバから亡命。メジャー入りを狙ってドミニカ共和国でメジャー球団との入団交渉を行った。

2010年7月31日ワシントン・ナショナルズと総額800万ドルの4年契約を交わした。

同年9月7日にメジャーへ昇格し、同日のニューヨーク・メッツ戦でメジャーデビュー。初登板は先発し5回5安打4失点で負け投手となった。この年は5試合に登板し、0勝3敗、防御率5.88だった。

2011年3月25日にAAA級シラキュース・チーフスへ異動し、開幕をAAA級で迎えた。5月29日トム・ゴーゼラニーが故障者リスト入りした為、メジャーへ再昇格することになった[3]。昇格後は4試合に先発したが、0勝1敗、防御率6.86と結果を残せず、6月15日にAAA級へ降格。7月30日に再昇格し、同日のニューヨーク・メッツ戦で5.1回を5安打無失点に抑え、メジャー初勝利を挙げた。翌日の7月31日にAAA級へ降格。9月6日に再昇格したが、先発としての登板はなく、リリーフとして5試合に登板した。この年は10試合に登板し、1勝1敗、防御率5.23だった。

2012年3月15日にAAA級シラキュースへ異動。この年はAAA級で28試合に登板し、11勝10敗、防御率3.88だった。

2013年3月18日にAAA級シラキュースへ異動し、開幕をAAA級で迎えた。5月21日に再昇格。同日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦の同点10回裏から登板したが、パブロ・サンドバルから2点サヨナラ本塁打を打たれ、負け投手となり、5月25日にDFAとなった。5月27日にAAA級シラキュースへ降格した。結局この年は1試合の登板にとどまり、11月18日に放出された。

ブレーブス傘下時代

[編集]

2014年1月13日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ。

斗山時代

[編集]

7月25日に、不振により退団したクリス・ボルスタッドの代役として、韓国プロ野球・斗山ベアーズと契約した。

同年は11試合で2勝をあげ、2015年シーズンも再契約した。

2015年4月9日のネクセン・ヒーローズ戦でノーヒットノーランを達成した[4]。だがそれ以降振るわず、6月13日に退団となった。

斗山退団後

[編集]

2016年2月2日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約。

2017年は所属球団なく、オフにドミニカのウィンターリーグでプレー。

2018年7月10日にメキシカンリーグアグアスカリエンテス・レイルロードメンと契約したが、8月1日に解雇となる。

2019年はメキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズと契約したが、2試合の登板で13失点を喫し、4月13日に解雇となる。

2020年オフにはドミニカのウィンターリーグでプレー。

選手としての特徴

[編集]

投球は145キロ前後の速球と縦のカーブチェンジアップで組み立てる投球。コントロールはかなり安定しているが、その半面、球をストライクゾーンに揃えすぎるため、時に連打を浴びることもある。

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
2003-2004 PRI 5 0 0 -- -- 2 0 0 -- 1.000 43 10.0 9 0 3 0 2 5 0 0 3 1 0.90 1.20
2004-2005 36 1 0 -- -- 5 2 7 -- .714 369 89.2 72 0 30 2 2 82 5 0 22 16 1.61 1.14
2005-2006 21 18 4 -- -- 7 9 0 -- .438 523 118.2 144 9 36 5 5 100 8 0 58 50 3.79 1.52
2006-2007 29 4 0 -- -- 6 3 13 -- .667 347 90.0 66 4 24 5 5 71 6 0 15 14 1.40 1.00
2007-2008 30 3 1 -- -- 6 8 8 -- .429 318 73.2 73 5 28 7 7 69 3 0 33 27 3.30 1.37
2008-2009 21 19 7 -- -- 13 4 1 -- .765 584 146.0 113 7 40 1 1 119 6 0 39 36 2.22 1.05
2010 WSH 5 5 0 0 0 0 3 0 0 .000 118 26.0 30 3 11 1 2 12 3 2 18 17 5.88 1.58
2011 10 5 0 0 0 1 1 0 0 .500 124 32.2 40 3 10 2 2 15 0 1 19 19 5.23 1.53
2013 1 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 3 0.1 2 1 0 0 0 0 0 0 2 2 54.00 6.00
2014 斗山 11 11 1 0 0 2 4 0 0 .333 278 63.0 67 6 24 0 4 54 2 0 36 34 4.86 1.44
2015 13 13 1 1 0 2 5 0 0 .286 317 68.1 83 6 31 2 5 62 0 3 62 62 8.17 1.67
CNS:6年 142 45 12 -- -- 39 26 29 -- .600 2184 528.0 473 25 161 20 22 446 28 0 170 144 2.45 1.21
MLB:3年 16 10 0 0 0 1 5 0 0 .167 263 59.0 72 7 21 3 4 27 3 3 39 38 5.80 1.58
KBO:2年 24 24 2 1 0 4 9 0 0 .308 595 131.1 150 12 55 2 9 116 2 3 98 96 6.58 1.56
  • 2022年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • キューバで通常用いられる個人通算成績は、プレーオフや選抜リーグなども合算するため、この表の合計とは一致しない

背番号

[編集]
  • 29(2010年 - 2011年)
  • 31(2013年)
  • 19(2014年 - 2015年)

代表歴

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 2006 Rosters” (英語). The official site of World Baseball Classic. 2012年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月18日閲覧。
  2. ^ 2009 Rosters” (英語). The official site of World Baseball Classic. 2012年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月18日閲覧。
  3. ^ Kilgore, Adam (2011年5月29日). “Yunesky Maya starts, and the Nationals lineup”. The Washington Post. 2011年5月29日閲覧。
  4. ^ 韓国プロ野球、歴代12番目ノーヒットノーラン誕生

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]