ミゲル・アンヘル・ナダル
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名前 | ||||||
本名 |
ミゲル・アンヘル・ナダル・オマル Miguel Ángel Nadal Homar | |||||
愛称 | The Beast | |||||
ラテン文字 | Miquel Ángel Nadal | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1966年7月28日(58歳) | |||||
出身地 | マナコル | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 83kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジ���ョン | DF / MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1980-1983 | マナコル | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1983-1986 | マナコル | |||||
1986-1987 | マジョルカB | |||||
1987-1991 | マジョルカ | 130 | (22) | |||
1991-1999 | バルセロナ | 208 | (12) | |||
1999-2005 | マジョルカ | 149 | (6) | |||
代表歴 | ||||||
1991-2002 | スペイン | 62 | (3) | |||
監督歴 | ||||||
2011 | マヨルカ (暫定) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ミゲル・アンヘル・ナダル・オマル(Miquel Ángel Nadal Homar, 1966年7月28日 - )は、スペイン・バレアレス諸島マヨルカ島マナコル出身の元同国代表サッカー選手。現サッカー指導者。現役時代のポジションは、DF, MF。"The Beast"の愛称で呼ばれた[1]。
RCDマヨルカでキャリアを始めマヨルカでキャリアを終了したが、最大の実績はヨハン・クライフ監督率いるFCバルセロナ―いわゆるエル・ドリーム・チームの時だった。プロ19シーズンの間で1部462試合を含む492試合に出場した。
1990年代のスペイン代表を中心選手として支え、FIFAワールドカップに3回・UEFA EURO '96に出場。62キャップを記録した。
経歴
[編集]バレアレス諸島マヨルカ島マナコルに生まれたナダルは、地元のRCDマヨルカでプレーしている時に1987年4月19日のカンプ・ノウで行われたFCバルセロナ戦でリーグデビューを果たした。その後、チームはセグンダ・ディビシオンに降格したが、ナダルは主力選手として1シーズンで1部昇格に���献し、以降もレギュラーを務め退団するまでの2シーズンで72試合12得点を記録。その活躍が認められ、1991-92シーズンに名門FCバルセロナに移籍した。
バルサでは、中盤や両ウィングバックと守備の要として公式戦に300試合以上出場し、リーグ優勝5回, コパ・デル・レイ2回, UEFAチャンピオンズリーグ制覇に貢献とクラブの黄金期を支えた。しかし、1998-99シーズンになるとルイ・ファン・ハール監督の構想から外れたことで、出場2試合にとどまり退団することになった。また、1996年と1997年にマンチェスター・ユナイテッドFCへの移籍話が持ち上がったが実現せず、プレミアリーグでプレーすることはなかった[1]。
1999-2000シーズンよりマヨルカへ復帰。既にベテランの域に達していたものの、最初の3シーズンで欠場11試合と中心選手としてチームを牽引し、2002-03シーズンにはコパ・デル・レイ優勝を果たした。2004-05シーズン途中、ほぼ39歳になったナダルは現役引退を表明[2]。公式戦で約700試合に出場した。
引退してから5年が経った2010年7月、3シーズンバルサで同僚だったミカエル・ラウドルップ監督率いるマヨルカにコーチングスタッフとして戻った。2011年9月末にラウドルップとディレクターのロレンソ・セラ・フェレールがクラブを去ると、アウェーで2-2と引き分けたCAオサスナ戦で暫定として1試合チームを指揮した。
代表
[編集]1991年11月13日、UEFA EURO '92予選のチェコスロバキア戦でスペイン代表デビューして以降62キャップを記録[3]。
1994 FIFAワールドカップでは3試合に出場して、ベスト11候補に名を連ね、1998年の1998 FIFAワールドカップでは2試合出場した。マヨルカでの活躍から、1998年W杯以後遠ざかっていた代表に復帰し、2002 FIFAワールドカップでは36歳ながら全4試合に出場[3]、ベスト8での韓国代表戦を最後に代表を引退した。グループリーグ第3戦南アフリカ代表戦ではすでに決勝トーナメント進出が決まっていたことから主将のフェルナンド・イエロが休養したため、代わりにキャプテンマークを巻いて出場した[4]。
また、UEFA EURO '96ではベスト8のイングランド戦でPK戦を失敗したことにより、チームは敗退した[5]。
人物
[編集]スペインのプロテニス選手で、グランドスラム優勝回数歴代2位(22回)、史上2人目となるキャリアゴールデンスラム達成、全仏オープン最多優勝・最長連覇記録を保持するラファエル・ナダルを甥に持つ。ミゲル・アンヘルの兄トニ・ナダルはラファエルのコーチを2017年まで務めていた[6]。
所属クラブ
[編集]タイトル
[編集]- UEFAチャンピオンズリーグ : 1991-92
- UEFAカップウィナーズカップ : 1996-97
- UEFAスーパーカップ : 1992, 1997
- プリメーラ・ディ���シオン : 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1997-98, 1998-99
- コパ・デル・レイ : 1996-97, 1997-98
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 1991, 1992, 1994, 1996
- コパ・デル・レイ : 2002-03
脚注
[編集]- ^ a b "The beauty of the beast"
- ^ "Fútbol.- Miguel Angel Nadal anuncia su retirada del fútbol, tras estar 18 años en activo"
- ^ a b Miguel Ángel Nadal Homar – International Matches-Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation|RSSSF
- ^ 2002 FIFA World Cup Korea/Japan Group matches South Africa - Spain
- ^ "Hosts England first team into last four"
- ^ "Rafael Nadal – ESPN 2008 Summer Olympics profile"
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ミゲル・アンヘル・ナダル - National-Football-Teams.com
- ミゲル・アンヘル・ナダル – FIFA主催大会成績
- transfermarkt
- footballzz