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ベロナ (競走馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベロナ
欧字表記 Verona
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1962年5月13日
死没 1966年
ソロナウェー
ミスサカエ
母の父 シマタカ
生国 日本の旗 日本
北海道新冠郡新冠町
生産者 田村信夫
馬主 野上辰之助
田中はな
調教師 橋田俊三阪神
田中和夫東京
競走成績
生涯成績 21戦7勝
獲得賞金 1753万7800円
勝ち鞍 優駿牝馬(1965年)
日本短波賞(1965年)
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ベロナ1962年5月13日 - 1966年)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬1965年オークスを優勝。

馬齢2000年まで使用されていた旧表記(数え年)を用いる。

経歴

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ソロナウェーアイルランド生産の競走馬・種牡馬で、競走馬時代にはアイリッシュ2000ギニーなどを制し、種牡馬としては1959年日本に輸出された後も多くの活躍馬を輩出し、1966年には日本リーディングサイアーとなるなど1960年代の日本競馬を代表する種牡馬の一頭となった。

馬主野上辰之助から途中で大蔵大臣時代の田中角栄に替わった。名義は夫人の田中はなになっていたが、実質上は田中自身の持ち馬であり、ベロナが優駿牝馬を勝った1965年には東京馬主協会会長を務めた[1]。なお、ベロナは永田雅一から譲り受けたとも[2]言われているが詳細は不明。

戦績

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1964年(3歳)夏の小倉開催でデビューし、2戦目の小倉3歳特別はレコードで初勝利。ここから10月阪神宝塚3歳Sまで3連勝し、11月京都オープンで同じソロナウェー産駒キーストンの2着、阪神3歳Sエイトクラウンの3着に入る。1965年(4歳)はオープンを2着、1着とし、桜花賞はエイトクラウンと人気を分けあって2番人気に支持されたが、12着と初めての大敗を喫す。その後は馬主の変更により阪神橋田俊三厩舎から東京田中和夫厩舎に移籍し、転厩初戦の4歳牝馬特別で桜花賞馬ハツユキの4着と盛り返す。優駿牝馬は桜花賞、トライアルと連勝し人気が予想されたハツユキが出走回避、混戦模様になった。ハツユキに乗っていた加賀武見がベロナを選択し、当日は4番人気に支持されて鮮やかに逃げ切った。1番人気ビユーテイロツクは9着、3番人気エイトクラウンは16着に大敗。なお当日、角栄はその時山一證券が経営危機の真っ只中(その後日銀特融を行った)であったことからテレビで観戦していたが、ベロナの快走に「行け、行け、やったあ!」と雄叫びを上げるほど大喜びしていた[2]。同年のクラシックはソロナウェー産駒の当たり年で、桜花賞馬ハツユキ、オークス馬ベロナ、ダービー馬キーストンを送り出した。その後は日本短波賞カブトシローを破って連勝し、秋はクイーンステークスから始動して2着。続くセントライト記念はクイーンSを勝ったキクノスズランが牡馬を負かすも、ベロナは12着と桜花賞以来の大敗で同年シーズンを終えた。同年は8戦3勝で重賞2勝の成績が評価され、啓衆社賞最優秀4歳牝馬に選定されている。1966年(5歳)は3着、3着、5着、10着と着順を下げていくが、9月の東京オープンで人気に応えて優駿牝馬以来1年ぶりの勝利。目黒記念 (秋)で4着と好走し、天皇賞(秋)は競走中止で引退。

天皇賞の時の故障が���因で予後不良となるが、無事に引退できたなら、初年度の交配はヒンドスタンが予定されていた。

現在は道の駅サラブレッドロード新冠の優駿の碑に石碑が設立されている[3]

競走成績

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  • 1964年(6戦3勝)
    • 1着 - 小倉3歳特別、宝塚3歳ステークス
    • 3着 - 阪神3歳ステークス
  • 1965年(8戦3勝)
    • 1着 - 優駿牝馬、日本短波賞
    • 2着 - クイーンステークス
  • 1966年(7戦1勝)

太字八大競走を含むGI級レース。

脚注

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  1. ^ 『東京馬主協会三十年史』東京馬主協会 1978年
  2. ^ a b 中澤雄大『角栄の「遺言」「田中軍団」最後の秘書 朝賀昭』講談社2015年12月18日ISBN 4062816369
  3. ^ 新冠歴代の名馬たちsince1960