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ノロドム・ラナリット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ノロドム・ラナリット
នរោត្ដម រណឬទ្ធិ
ノロドム家
ノロドム・ラナリット(2014年2月)

称号 カンボジア王子
出生 (1944-01-02) 1944年1月2日
フランス領インドシナ連邦の旗 フランス領インドシナ
カンボジア王国プノンペン
死去 (2021-11-28) 2021年11月28日(77歳没)
フランスの旗 フランスパリ
配偶者 ノロドム・マリー・ラナリット
  オウク・ファラ
子女
父親 ノロドム・シハヌーク
母親 パット・カニョル
宗教 上座部仏教
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ノロドム・ラナリット
នរោត្ដម រណឬទ្ធិ
ノロドム・ラナリット議長(2006年)
出身校 エクス=マルセイユ第1大学
所属政党 ノロドム・ラナリット党(2006年 - 2014年)
フンシンペック(1978年 - 2006年、2015年 - )

在任期間 1998年 - 2006年
国王 ノロドム・シハヌーク
ノロドム・シハモニ

内閣 ラナリット=フン・セン連立内閣
在任期間 1993年9月24日 - 1997年7月16日
国王 ノロドム・シハヌーク

在任期間 1993年7月1日 - 9月24日
SNC議長 ノロドム・シハヌーク
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ノロドム・ラナリットクメール語: នរោត្ដម រណឬទ្ធិ, ラテン文字転写: Norodom Ranariddh, 1944年1月2日 - 2021年11月28日)は、カンボジアの王族、政治家

第51代国王ノロドム・シハモニの異母兄。

経歴

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第50代国王ノロドム・シハヌークの第二王子としてプノンペンに生まれる。母はパット・カニョル英語版

1983年、シハヌークのバンコクにおける代理人として政治に参加する。1991年10月のパリ国際会議における和平協定への署名後にカンボジア最高国民評議会が構成されるとその議長に就任。国際連合カンボジア暫定統治機構の下で1993年5月23-28日に実施された総選挙では、結成して以来率いていたフンシンペックが外部の予想に反して第1党、フン・セン率いる人民党は第2党となり、政権はラナリットとフン・センの2人首相制となった。1993年9月に王政復古すると第1首相に就任した。

ラナリットが国外訪問中の1997年7月5日にプノンペンで両党派の軍が武力衝突に発展するとフンシンペック派の軍は敗走し、首相を解任された。そのまま国外追放処分となったラナリットは国際社会に対して介入を訴え、フンシンペック派の兵士はポル・ポト派とともにタイ国境地帯で戦闘を続けた。国際社会は反政権の政治家に選挙への参加を働きかけ、1998年3月30日に父王の恩赦で帰国。同年7月26日の総選挙では人民党が第1党となった。同年9月、国民議会議長に就任。2003年7月27日に実施された第3回総選挙ではフンシンペックは大きく議席数を減らした。

2004年10月6日に父王が退位を表明すると、その国民的人気から次期国王の本命と思われていたが、「政治に専念する」として辞退した。その後の数ヶ月間は弟のシハモニを国王に選出した9人の王室評議会議員の一人だった。

2006年3月、国民議会議長を辞任。同年10月18日にフンシンペック党首を解任されると、同年11月16日ノロドム・ラナリット党英語版を結成し、その党首に就任。2007年3月13日、党の資産を不正に売却したとして、本人が国内不在のままプノンペンの裁判所から禁固18ヶ月の判決が言い渡された。その間はマレーシアの首都クアラルンプールに滞在していた[1]

2008年10月2日、恩赦によって帰国すると政界からの引退を表明し、12月6日に国王の主席顧問に任命された[2]。しかし、2010年12月4日に政界復帰を宣言し[3]、同月11日のノロドム・ラナリット党の党大会において党首に復帰し、王党派の再結集を目指した[3][4]。しかし王党派の内部対立により、2012年8月に再び政界引退を表明した[5]

2014年3月16日に再び政界復帰を宣言し、新党「王党派国民政党のコミュニティー英語版」を立ち上げた[5][6]

2015年1月1日夜、フンシンペックはラナリットが党首として復帰することを発表した[7]。同年1月9日の特別党大会においてフンシンペック党首に再び選出された[8]

2018年6月17日、乗っていた車がシアヌークビルでタ��シーと衝突事故を起こして重傷を負い、同乗していた妻が死亡した[9]

2021年11月28日、滞在先のフランスにて午前9時40分(現地時間/カンボジア時間午後3時40分)に薨去。満77歳没[10]

脚注

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  1. ^ Prince Ranariddh lives in a small condo apartment on the fifth floor of a building in Kuala Lumpur”. 2009年6月14日閲覧。
  2. ^ “ラナリット氏がカンボジア国王顧問に シアヌーク前国王の次男”. 産経新聞. (2008年12月10日). https://web.archive.org/web/20100527153857/http://sankei.jp.msn.com/world/asia/081210/asi0812101504005-n1.htm 
  3. ^ a b 初鹿野直美「混迷がつづくタイとの関係 - 2010年のカンボジア」『アジア動向年報2011』、アジア経済研究所、231頁、2011年。 
  4. ^ “ラナリット元第1首相が政界復帰”. http://www.asahi.com/international/update/0120/TKY201101200550.html 
  5. ^ a b “ラナリット氏、また政界復帰=カンボジア”. 時事通信. (2014年3月16日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201403/2014031600218 
  6. ^ “Ranariddh Plays to Old Politics With New Party”. http://www.cambodiadaily.com/archives/ranariddh-plays-to-old-politics-with-new-party-54281/ 
  7. ^ Van Roeun and Alex Willemyns (2015年1月2日). “Ranariddh to Return as Funcinpec President”. The Cambodia Daily. https://www.cambodiadaily.com/news/ranariddh-to-return-as-funcinpec-president-75177/ 2015年10月29日閲覧。 
  8. ^ Mech Dara and Alex Willemyns (2015年1月20日). “Ranariddh Named Funcinpec President—Again”. The Cambodia Daily. オリジナルの2015年8月17日時点におけるアーカイブ。. https://webcitation.org/6aqFfdaZ5?url=https://www.cambodiadaily.com/news/ranariddh-named-funcinpec-president-again-76397/ 2015年10月29日閲覧。 
  9. ^ “カンボジア:国王の兄ラナリット氏が事故で重傷 妻は死亡”. 毎日新聞. (2018年6月17日). https://mainichi.jp/articles/20180618/k00/00m/030/038000c 2018年6月17日閲覧。 
  10. ^ “Cambodian Prince Norodom Ranariddh dies in France”. 共同通信社. (2021年11月28日). https://english.kyodonews.net/news/2021/11/a029562bc4ee-cambodian-prince-norodom-ranariddh-dies-in-france.html 2021年11月29日閲覧。 
議会
先代
チア・シム
カンボジアの旗 カンボジア国民議会議長
1998年 - 2006年
次代
ヘン・サムリン
公職
先代
自身
フン・セン
(共同首相)
カンボジアの旗 カンボジア第一首相
1993年 - 1997年
次代
ウン・フオト
先代
フン・セン
(カンボジア国首相)
ソン・サン
(三派連合政府首相)
カンボジア暫定国民政府共同首相
フン・センと共同

1993年
次代
自身
(第一首相)
フン・セン
(第二首相)
党職
先代
(結成)
ノロドム・ラナリット党議長
2006年 - 2008年
次代
Chhim Siek Leng
(代理)
フンシンペック議長
1991年 - 2006年
2015年 - 2021年
次代
ケオ・プット・ラスメイ英語版
先代
ノロドム・アルンラスミー英語版
次代
ノロドム・チャクラヴット