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ニーナ・シモン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニーナ・シモン
1969年
基本情報
出生名 ユニース・キャスリン・ウェイモン
生誕 (1933-02-21) 1933年2月21日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ノースカロライナ州 トライロン
死没 (2003-04-21) 2003年4月21日(70歳没)

ニーナ・シモンNina Simone/ˈniːnə sɨˈmoʊn/、1933年2月21日 - 2003年4月21日)は、アメリカ合衆国アフリカ系アメリカ人ジャズ歌手、フォーク、ブルース、R&B、ゴスペル歌手、ピアニスト、公民権活動家、市民運動家である。本名はユニース・キャスリン・ウェイモン (Eunice Kathleen Waymon)。

ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第29位[1]

Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第21位[2]

バイオグラフィ

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1965年
スイングジャーナル』1967年6月号の表紙

1933年2月21日ノースカロライナ州トライロンで7人兄弟姉妹の6番目として生まれた。4歳からピアノを弾き始め、彼女の才能にほれ込んだ周囲の援助を得る。クラシック音楽教育で有名なジュリアード音楽院でレッスンを受け、カーティス音楽学校への進学を試みたが断られる[3]1950年代前半のことであり、黒人であったために差別された可能性がある。

彼女はピアノの講師などで生計を立てようとするが、生活は苦しかった。1954年にはアトランティック・シティのアイリッシュ・バーでピアノを弾くことになる。このバーのオーナーに薦められ歌い始め、やがて名前をニーナと改め、尊敬するフランス女優シモーヌ・シニョレに因んで、ニーナ・シモンと名乗った[注釈 1]。1959年に出した「アイ・ラブ・ユー、ポーギー」[注釈 2]がヒットし、やっと音楽活動が順調なものになっていく。彼女の音楽はジャズに限らずフォーク、ブルース、ゴスペル、ポップスなど幅広いジャンルを取り入れた。

1960年代には黒人公民権運動にも参加して精力的な活動を見せた[4]人種差別主義者によるアラバマ教会爆破事件(1963年)やミシシッピ州の公民権運動家殺害事件(1964年)に抗議し、「ミシシッピ・ゴッダム」(1964年) のシングルを発表。さらに1967年に「自由になりたい」、1969年に「トゥー・ビー・ヤング・ギフティッド・アンド・ブラック」を発表。彼女が作曲した後者は公民権運動アンセムとして広く歌われた[5]。また1964年に発表した「悲しき願い」は、後にアニマルズ(1965年)やサンタ・エスメラルダ(1977年)に取り上げられた。

1970年、マネージャーだった夫アンドリューと離婚し、娘リサも残してアメリカを出る。しばらくリベリアで音楽とは無縁の生活を送ったが、程なくフランスの音楽フェスティバルに出演した。1958年に録音された「マイ・ベイビー・ジャスト・ケアズ・フォー・ミー」が1982年にイギリスでシングル発表され、1987年にはシャネルのCMに起用。彼女は再び脚光を浴び、オランダでの8公演を成功させて完全復帰を果たした。

1992年、自伝"I Put a Spell on You"を上梓。

双極性障害と闘いながら、2000年代にはフランスに居を構えて活動し続けたが、乳癌との闘病生活の末、2003年4月21日、フランスのカリー=ル=ルエ英語版の自宅で死去した。70歳没。

2015年、伝記映画『ニーナ・シモン 魂の歌』(What Happened, Miss Simone?)公開。同年、トリビュートアルバムNina Revisited: A Tribute to Nina Simoneが発表された[6]

2018年、ロックの殿堂入り[7]

ディスコグラフィ

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ベツレヘム・レコード時代 (1957年-1959年)

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コルピックス時代 (1959年-1964年)

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フィリップス時代 (1964年-1967年)

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  • 『ニーナ・シモン・イン・コンサート』 - Nina Simone In Concert (1964年)
  • 『ブロードウェイ・ブルース・バラッズ』 - Broadway-Blues-Ballads (1964年)
  • 『アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー』 - I Put A Spell On You (1965年)
  • 『パステル・ブルース』 - Pastel Blues (1966年)
  • 『レット・イット・オール・アウト』 - Let It All Out (1966年)
  • 『ワイルド・イズ・ザ・ウィンド』 - Wild Is The Wind (1966年)
  • 『ハイ・プリーステス・オブ・ソウル』 - High Priestess Of Soul (1967年)

RCAビクター時代 (1967年-1974年)

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ビクター離籍後 (1978年-1993年)

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その他

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客演

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書籍

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  • Simone, Nina; Cleary, Stephen (2003). I Put A Spell On You: The Autobiography Of Nina Simone. Boston: Da Capo Press; Reprint edition. ISBN 978-0306813276 

脚注

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注釈

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  1. ^ フランス語の発音ではニーナ・シモーヌになる。
  2. ^ 原曲はジョージ・ガーシュゥィンオペラポーギーとベス』の歌曲。

出典

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  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Nina Simone”. 2013年5月26日閲覧。
  2. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
  3. ^ "ニーナ・シモンの幼少期の家、修復費用に8億円集まる". AFPBB News. アメリカ合衆国ニューヨーク: クリエイティヴ・リンク. 2023年5月24日. 2023年12月23日閲覧
  4. ^ Greer, Margaret (2016年7月2日). "Nina Simone: Singer, Songwriter, Civil Rights Campaigner". B:M2023 (英語). Black History Month 2023. 2023年12月23日閲覧
  5. ^ Noel King, Walter Ray Watson (January 8, 2019). “Nina Simone's 'Lovely, Precious Dream' For Black Children”. www.wbur.org. September 5, 2024閲覧。
  6. ^ Discogs”. 2024年12月8日閲覧。
  7. ^ rockhall.com”. 2024年12月8日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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