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ジョバンニ・ニコラオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジョバンニ・ニコラオ、またはジョバンニ・ニッコロGiovanni NicolaoGiovanni Niccolò、1560年 - 1623年[1])は、イタリア人画家宣教師ナポリ生まれ。

来歴

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ニコラオの影響が指摘される泰西王侯騎馬図

1583年イエズス会から日本に派遣され、長崎セミナリヨの画学舎[2][3]島原天草にて[4]、西洋絵画の技術である油彩画フレスコ画テンペラ画銅版画などの技術指導を行った[5][3]。その後1614年(慶長19年)の禁教令によりマカオへ追放され[2]、1623年に没した[1]

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b 南蛮美術【なんばんびじゅつ】”. 百科事典マイペディア. コトバンク (2010年5月). 2016年7月15日閲覧。
  2. ^ a b 橋本征治『海の回廊と文化の出会い: アジア・世界をつなぐ』関西大学出版部、2009年、151頁。 
  3. ^ a b 南蛮美術 なんばんびじゅつ”. 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンク. 2016年7月15日閲覧。
  4. ^ 甲山堅『ザビエルコード II 北摂の聖ザビエルコードを解く』eブックランド、2009年11月1日、18頁。 第一章 聖ザビエルのコード 三.重合する暗号 より。
  5. ^ 林祐子 (2005年). “初期洋風画「聖母マリア十五玄義図」をめぐって —その受容と信心について—”. 通信教育部 サイバーキャンパス. 京都造形芸術大学. 2016年7月15日閲覧。