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エミール・バヤール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エミール・バヤール
Émile Bayard
ウジェーヌ・ピルー(fr)による撮影
生誕 Émile-Antoine Bayard
(1837-11-02) 1837年11月2日
フランスの旗 フランス王国ラ・フェルテ=スー=ジュアール
死没 1891年12月6日(1891-12-06)(54歳没)
エジプトの旗 エジプトカイロ
国籍 フランスの旗 フランス
著名な実績 イラスト絵画
代表作レ・ミゼラブル
後援者 ルイ・アシェット
影響を与えた
芸術家
アドリアン・マリ

エミール・バヤール (Émile Bayard1837年11月2日 - 1891年12月6日) はフランス画家、装飾家、イラストレーター

幅広い分野で活躍し、近代においてもヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』に描いた挿絵がよく知られている。

略歴

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エミール・バヤール(本名:Émile-Antoine Bayard)は、1837年11月2日にフランス中北部のセーヌ=エ=マルヌ県ラ・フェルテ=スー=ジュアール(La Ferté-sous-Jouarre)で生まれた。

彼はレオン・コニエの弟子であり、ギュスターヴ・ドレの同時代人だった。バヤールはドレと同じく15歳で画家としての仕事を始め、1853年から1861年にかけて木炭画を描いた。それらのほとんどは馬に関するものだった。

その後、新聞や定期刊行物にイラストを描くようになり、それらは「ル・ジュルナル・ドゥ・ラ・ジュネス」、「ル・トゥール・デュ・モンド」、「イリュストラシオン」、「Journal pour rire」、「ジュルナル・デ・ヴォヤージュ」などに発表された。

また、バヤールは歴史家オーギュスタン・シャラメルの著書『世紀のアルバム』(Album du Centenaire) 制作のために組織された、ジュール・フェラなど総勢十二名からなる画家・版画家のチームに参加し、標題紙のイラストも描いている[1]

そんな折、かねてより彼の才能を高く買っていた出版者のルイ・アシェットが、バヤールに小説、とくに子供向けのシリーズである「Bibliothèque Rose」の挿絵を描くよう依頼した。彼のイラストは、セギュール夫人『せむしのフランソワ��や『ドゥラキン将軍』、ハリエット・ビーチャー・ストウの『アンクル・トムの小屋』、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』などを飾った。

また、ピエール=ジュール・エッツェルも、彼にジュール・ヴェルヌの『月世界へ行く』(Autour de la Lune)やエクトール・アンリ・マロの『家なき子』、『海の子ロマン』の挿絵を依頼した。

彼は時事的な題材も採り上げ、1870年の普仏戦争や「ワーテルローの戦いの後」などの戦争画、風俗画の「女性の決闘」、肖像画「フランケッティ司令官の肖像」「モンブリソン大佐の肖像」などを描いた。

その一方で、18世紀様式の装飾画も手がけ、それらはパリのパレ・ロワイヤルのロビーを飾った。

バヤールは1891年12月6日、エジプトカイロで死去した。バヤールの同名の息子であるÉmile Bayardは、学術調査員およびエッセイストであり、写真家やデザイナーとしても活動した。

作品

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日本語版の挿絵本

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※ 作品集は挿絵を描いた作品名を付記。

ヴィクトル・ユーゴー

ジュール・ヴェルヌ

  • 『月世界へ行く』江口清訳、創元SF文庫 1964年初版
  • 『地球から月へ 月を回って 上も下もなく』石橋正孝訳、インスクリプト 2017年初版
    • 「月を回って」
  • 『永遠のアダム』江口清訳、文遊社 2013年初版

エクトール・アンリ・マロ

脚注

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  1. ^ 『Album du Centenaire』の画像
  2. ^ 1885年11月30日、パリ国立オペラにおける初演時の模様。これは第二幕第四場を描いたもので、同年12月5日付の『イリュストラシオン』に掲載された。