アヴェンティーノ
表示
アヴェンティーノ(イタリア語: Aventino)、アウェンティヌス(ラテン語: Aventinus)[1]は、ローマの七丘の1つで、ローマの起源となった場所である。ローマの七丘のひとつであるパラティーノとは隣接している。チルコ・マッシモを挟んだパラティーノの丘の西側、チェリオの丘の南西にある[2]。つまり、テルミニ駅からは最も遠い丘となる。
この丘の領域内、北西部[3]には5世紀頃に起源を遡るサンタ・サビーナ聖堂[4]がある。
歴史
[編集]古代ローマ時代にはアウェンティヌスの丘と呼ばれ、セルウィウス・トゥッリウス王によってディアーナ神殿が建てられ、国有地とされていた。共和政ローマとなって紀元前456年、護民官ルキウス・イキリウスが人口増加対策のためここを居住地とするイキリウス法を提出し可決されたため、人々が住み着くようにな��たという[5]
ローマの七つの丘
[編集]紀元前31年のローマの地図上に示した、ローマの七丘およびその他の主要地形の名称。都市を囲む黒点線はセルウィウス城壁
- 初期ローマの七丘
- 都市ローマ成立前に人が定住したと伝えられる七丘で、オッピウス(オッピオ)、パラティウム(パラティーノの東側)、ウェリア(ヴェーリア)、ファグタル(オッピオの一部)、ケルマルス(パラティーノの西側)、カエリウス(チェリオ)、キスピウスの7つである。
- ※カッコ内は現代のイタリア語での表記。
- ローマの七丘
- →詳細は「ローマの建国神話」を参照
- 都市ローマの起源となったローマの七丘は、アウェンティヌス(アヴェンティーノ)、カピトリヌス(カンピドリオ)、カエリウス(チェリオ)、エスクイリヌス(エスクイリーノ)、パラティヌス(パラティーノ)、クイリナリス(クイリナーレ)、ウィミナリス(ヴィミナーレ)の7つである。
- ※カッコ内は現代のイタリア語での表記。
- 現代のローマ七丘
- アウェンティヌス(アヴェンティーノ)、カピトリヌス(カンピドリオ)、パラティヌス(パラティーノ)、クイリナリス(クイリナーレ)、ホルトゥロルム(ピンチョ)、ヤニクルム(ジャニコロ)、オッピウス(オッピオ)の7つ[6]である。
- ※カッコ内は現代のイタリア語での表記。
脚注
[編集]- ^ 平凡社『世界大百科事典』(平凡社)、30巻、444頁、1988年
- ^ 昭文社「イタリア2013」『マップルマガジン』第2691号、昭文社、37頁、2012年。ISBN 978-4398269591。
- ^ 「ローマ古寺巡礼/出雲・石見・隠岐の神楽」『季刊文化遺産』、島根県並河萬里写真財団、表2頁、2004年。ISBN 4-921070-17-2。
- ^ 浅香正サンタ・サビーナ聖堂「ローマ古寺巡礼/出雲・石見・隠岐の神楽」『季刊文化遺産』、島根県並河萬里写真財団、28-29頁、2004年。ISBN 4-921070-17-2。
- ^ * ティトゥス・リウィウス 著、岩谷智 訳『ローマ建国以来の歴史 2』京都大学学術出版会、2016年、65,脚注2頁。
- ^ 「ローマ七丘」、『世界大百科事典』(平凡社)、1988年。