コンテンツにスキップ

大天龍光則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
印刷用ページはサポート対象外です。表示エラーが発生する可能性があります。ブラウザーのブックマークを更新し、印刷にはブラウザーの印刷機能を使用してください。
大天龍 光則
基礎情報
四股名 多良錦 昭三 → 大天龍 光則 → 海山 太郎 → 大天龍 光則
本名 富永 昭三
生年月日 (1928-10-13) 1928年10月13日
出身 佐賀県藤津郡多良村(現在の藤津郡太良町
身長 181cm
体重 102kg
BMI 31.13
所属部屋 二所ノ関部屋
得意技 左四つ、上手投げ、吊り
成績
現在の番付 引退
最高位前頭2枚目
生涯戦歴 429勝441敗8休(60場所)
幕内戦歴 298勝332敗(42場所)
優勝 序二段優勝1回
敢闘賞1回
データ
初土俵 1948年5月場所[1]
入幕 1953年1月場所[1]
引退 1962年1月場所[1]
引退後 年寄熊ヶ谷 → ��寄・浜風
備考
金星3個(鏡里1個、吉葉山1個、栃錦1個)
2013年9月19日現在

大天龍 光則(だいてんりゅう みつのり、1928年10月13日 - 没年不明)は、佐賀県藤津郡多良村(現在の藤津郡太良町)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は富永 昭三(とみなが しょうぞう)。身長181cm、体重102kg。得意手は左四つ、上手投げ、吊り。最高位は東前頭2枚目(1958年5月場所、1960年11月場所)[1]

来歴

1948年(昭和23年)1月、大関佐賀ノ花とその一行が佐賀ノ花の出身地でもある佐賀を巡業で訪れた時に勧誘され、彼の内弟子として二所ノ関部屋へ入門。同年5月場所に於いて、19歳で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、出身地の藤津郡多良村に因んだ「多良錦」。

初土俵の場所では番付外と新序で続けて好成績を残したため、同年10月場所では、序二段に付け出された。

以来順調に出世し、初土俵から2年8ヵ月後の1951年(昭和26年)1月場所で新十両昇進、1953年(昭和28年)1月場所で新入幕を果たした。

4場所続けて幕内に在位した後、虫垂炎により十両に陥落したが、1場所で幕内に復帰。

再入幕の1954年(昭和29年)3月場所では、11勝4敗という好成績を残して優勝争いに加わるとともに、生涯唯一となる三賞(敢闘賞)を受賞した。

長身で均整が取れた体格に目鼻立ちがはっきりとした美男力士で、1度に日本酒を1斗飲む酒豪として知られた[2]大阪場所の宿舎に泥棒が入った時は、最初に酒の心配をしたというエピソードが残っている。

左四つからの上手投げや吊りを得意とし、弟弟子である後の横綱大鵬(納谷)が入門して間もない頃は、その教育係を務めた。

1961年(昭和36年)7月場所で2勝13敗と大きく負け越し、38場所連続で守った幕内から陥落後、再起を図ったが以降は幕内復帰を果たせず、1962年(昭和37年)1月場所限りで引退した。

引退後は、友綱親方(巴潟)が所有する年寄名跡の熊ヶ谷を借り受けて襲名し、二所ノ関部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たった。

その後、年寄・浜風に名跡変更したが、1964年(昭和39年)5月場所限りで角界を去った。

廃業後は、東京都港区赤坂で寿司屋や同大田区で割烹料理「海山」、群馬県吾妻郡草津町でペンション「ペンションタロー」を経営した。

主な成績・記録

  • 通算成績:429勝441敗8休 勝率.493
  • 幕内成績:298勝332敗 勝率.473
  • 現役在位:60場所
  • 幕内在位:42場所
  • 三賞:1回
    • 敢闘賞:1回(1954年3月場所)
  • 金星:3個(鏡里1個、吉葉山1個、栃錦1個)
  • 各段優勝
    • 序二段優勝:1回(1948年10月場所)

場所別成績

海山 太郎
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1948年
(昭和23年)
x x 新序
4–1 
x 西序二段28枚目
優勝
6–0
x
1949年
(昭和24年)
西三段目17枚目
5–7 
x 東三段目21枚目
5–10 
x 東三段目24枚目
10–5 
x
1950年
(昭和25年)
東三段目6枚目
12–3 
x 西幕下16枚目
10–5 
x 東幕下6枚目
10–5 
x
1951年
(昭和26年)
西十両14枚目
7–8 
x 西十両15枚目
8–7 
x 西十両10枚目
8–7 
x
1952年
(昭和27年)
東十両9枚目
8–7 
x 西十両7枚目
9–6 
x 東十両5枚目
10–5 
x
1953年
(昭和28年)
東前頭19枚目
8–7 
東前頭15枚目
7–8 
東前頭17枚目
7–8 
x 西前頭18枚目
6–9 
x
1954年
(昭和29年)
東十両筆頭
8–7 
東張出前頭21枚目
11–4
西前頭13枚目
7–8 
x 東前頭14枚目
11–4 
x
1955年
(昭和30年)
西前頭7枚目
7–8 
西前頭9枚目
6–9 
東前頭14枚目
7–8 
x 東前頭15枚目
7–8 
x
1956年
(昭和31年)
東前頭16枚目
10–5 
西前頭7枚目
9–6 
東前頭3枚目
3–12
x 西前頭8枚目
9–6 
x
1957年
(昭和32年)
東前頭3枚目
6–9
東前頭6枚目
5–10 
東前頭10枚目
11–4 
x 西前頭3枚目
4–11 
東前頭8枚目
7–8 
1958年
(昭和33年)
東前頭9枚目
8–7 
東前頭8枚目
11–4 
東前頭2枚目
3–12 
東前頭8枚目
9–6 
西前頭4枚目
4–11
西前頭10枚目
7–8 
1959年
(昭和34年)
東前頭11枚目
8–7 
西前頭9枚目
8–7 
西前頭7枚目
7–8 
東前頭9枚目
6–9 
西前頭12枚目
9–6 
東前頭7枚目
6–9 
1960年
(昭和35年)
西前頭10枚目
10–5 
東前頭6枚目
5–10 
東前頭11枚目
7–8 
東前頭11枚目
8–7 
東前頭6枚目
9–6 
東前頭2枚目
6–9 
1961年
(昭和36年)
東前頭4枚目
4–11 
西前頭7枚目
7–8 
東前頭8枚目
6–9 
西前頭11枚目
2–13 
西十両4枚目
9–6 
東十両筆頭
1–10–4 
1962年
(昭和37年)
西十両14枚目
引退
1–10–4
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
愛知山 0 1 青ノ里 6 3 朝潮(米川) 2 5 東海 1 0
愛宕山 2 3 荒岐山 2 0 安念山 3 9 泉洋 6 4
一乃矢 0 1 五ッ洋 1 0 岩風 5 6 宇多川 2 4
及川 8 5 追手山 1 0 大岩山 3 0 大内山 3(1) 5
大瀬川 4 5 大起 5 1 大昇 2 2 大晃 8 8
小城ノ花 7 9 大蛇潟 0 4 甲斐ノ山 1 1 開隆山 0 5
鏡里 1 3 柏戸 1 1 金ノ花 5 4 神錦 1 0
北の洋 5 10 北葉山 1 5 君錦 0 1 清惠波 5 7
清ノ森 3 1 鬼竜川 6 3 九州錦 0 1 國登 7 4
鯉ノ勢 1 0 小坂川 1 0 櫻國 1 0 潮錦 13 9
信夫山 4 6 信夫竜 2 1 嶋錦 4(1) 10 清水川 6 3
高錦 2 0 千代の山 0 4 常錦 3 4 常ノ山 3(1) 4
鶴ヶ嶺 4 9 輝昇 1 0 出羽錦 2 12 出羽ノ花 1 1
出羽湊 3 7 時津山 4 5 時錦 5 8 栃錦 1 4
栃ノ海 2 2 栃光 3 6 豊登 3 0 七ッ海 2 0
名寄岩 2 0 鳴門海 8 4 成山 5 11 白龍山 1 2
羽黒花 2 1 羽嶋山 4 3 羽子錦 3 3 緋縅 1 2
備州山 0 2 広瀬川 3 3 福田山 4 4 福ノ海 2 0
福ノ里 3 0 房錦 2 8 冨士錦 1 3 二瀬山 0 2
双ツ龍 9 6 星甲 5 5 前田川 0 1 前ノ山(佐田岬) 3 0
増巳山 1 0 松登 2 10 三根山 4 3 宮錦 9 3
明武谷 0 2 八染 1 2 豊山 1 0 吉井山 7 2
吉田川 2 2 芳野嶺 3 3 吉葉山 1 2 若杉山 5 2
若瀬川 2 2 若羽黒 3 8 若葉山 12 3 若前田 7 9
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝の数。

改名歴

  • 多良錦 昭三(たらにしき しょうぞう)1948年10月場所 - 1951年1月場所
  • 大天龍 吉則(だいてんりゅう よしのり)1951年5月場所 - 1952年1月場所
  • 大天龍 光則( - みつのり)1952年5月場所 - 1957年5月場所
  • 海山 太郎(かいざん たろう)1957年9月場所 - 1961年7月場所
  • 大天龍 光則(だいてんりゅう みつのり)1961年9月場所 - 1962年1月場所(引退)

年寄変遷

  • 熊ヶ谷 光則(くまがたに みつのり)1962年1月 - 1964年1月
  • 浜風 光則(はまかぜ - )1964年1月 - 1964年5月(廃業)

参考文献

脚注

  1. ^ a b c d ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p35
  2. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p191