中居英太郎
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中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月27日[1] - 2007年(平成19年)1月2日[2])は、政治家。元日本社会党衆議院議員。岩手県宮古市出身。
来歴
1935年、岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒[3]。早稲田大学に入るが中退する[1]。中退後は帰郷し、家業の(株)中居製材所を継ぎ、社長となる[1][3]。戦後、日本社会党に入党し、1947年、岩手県議会議員に当選し、2期務める[4]。その後、石川金次郎の後継として1953年の衆議院議員選挙に当時の岩手1区から右派社会党公認で出馬し初当選。2期務めた後に民主社会党に参加し、1970年から1974年、1989年から1993年まで通算2期、地元の宮古市長を務めた。1992年、勲三等瑞宝章受章[1]。
2007年1月2日午後1時半、脳梗塞のため埼玉県越谷市の病院で死去。89歳。
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 岩手県議会事務局編『岩手県議会史』岩手県議会、2003年。
公職 | ||
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先代 菊池良三 千田真一 |
岩手県旧宮古市長 1970年 - 1974年 1989年 - 1993年 |
次代 菊池良三 菊池長右ェ門 |