Wikipedia‐ノート:コメント依頼/春野秋葉 2
ご自分に批判的な意見を「人格否定」と捉える可能性があるため、具体的な根拠を添えておくしだいです。私には、人格その他も含めた彼を全否定する意志はありませんし、また当然その資格もありません。
(例示1)議論を勝ち、負けの次元でのみ捉える点
- つい先だっての議論である利用者‐会話:春野秋葉/Wikipedia:132人目方式/Tempでの、「解決の方法は「132人目方式」の文書が管理者によってできるだけ早くWikipedia名前空間に戻されるか、削除依頼によって私の意思が無視される形で、管理者によって強制的に「132人目方式」の文書が削除される以外にはありません。」(オリジナルは太字。なお一連の経緯については後で謝罪なさっています)。そもそもこの二者択一自体が「自分の正しさを認める」か「自分の正しさを不当に弾圧する」かを迫るという、「ご自分が間違えているかもしれない」という可能性を初手から排除した妙なものになっていたのですが。
- このコメント依頼が出た後に利用者:春野秋葉に加えられた「論争相手が人格批判を行ってきたら、それは相手の「お前の主張はもう一切聞くつもりがない」という意思表示である。従って、その論争はもう正常な論争にはなり得ないから、論争の動向に関係なく早いうちにその論争を諦めて立ち去るべし。試合に負けて勝負で勝ったと思えばよいではないか」(強調は引用者による)。ちなみにこの冒頭は間違いではないと思いますが、彼がわずか1ヶ月前に、論争相手ですらないIPユーザーを人格否定のためだけに引き合いに出した(例示4参照)ことを考えると、なんとも妙な主張に思えます。
(例示2)詭弁を辞さない
- 半年ほど前の議論Template‐ノート:占いにおいて、Wikipedia:検証可能性に基づく根拠の有無をお尋ねしたところ、「個人的な感覚」であって客観的な根拠なしに立ち上げたとお答えになったにもかかわらず、最後まで削除には同意なさいませんでした。その時点では、単にWikipedia:検証可能性を十分に理解なさっていないのだと善意に理解していたのですが、議論終了後まもなく、ノート:僭称を知って唖然としました。そこでは上記議論よりも前にWikipedia:検証可能性を引き合いに出しつつ、「それらのデータの存在が示され、万人に確認されて初めて、Wikipediaに「重大な被害が発生している」という記事を書くことが認められるのです。」などと論争相手に仰っていたからです。「ああ、百も承知の上で議論していたのか」と脱力しました。
- 同じく、上記Template‐ノート:占いでは、ウィキペディアでは採用されていないポリシー「科学的な観点」を導入しようとするものではないかとCalveroさんがお尋ねした(厳密にはCalveroさんの問いに答えていなかったので私が繰り返し尋ねた)ことに対し、「「科学的な観点」は「中立的な観点」とは矛盾しません」などという的外れなお答えを繰り返しておられました。
- Wikipedia:井戸端/subj/2ちゃんねるのスレッドについての記事の必要性でも詭弁を弄しておられましたが、これについては謝罪がありました(逆を言えば、この謝罪の後でも何も変わっていないのではないかという気持ちがあるから、このコメント依頼にコメントを寄せたという側面があるのですが)。
(例示3)方法の過ちを意図の正しさによって正当化しようとする。
- Wikipedia:削除依頼/身長記入問題で身長記入問題の記事を削除されたことに対し、利用者:春野秋葉にて「「一切隠蔽」では何も解決しないのに。」とコメント。趣旨に賛同しつつも方法の拙速さを諌めておられた方のコメントを全く顧慮しておられませんでした(この記述は昨日除去されました。「不要」とのことですので、この点は不適切さを認識なさったのかもしれません)。
(例示4)他の方を不必要に貶める。ここでいう「不必要に」は、論争相手に対してでなく、自分の立場を有利にするために、論争相手でもない人(たち)を引き合いに出して貶めたものを指します。
- Template‐ノート:占いにて「私はこれまで占い記事のいくつかを編集しましたが、ほかの記事よりも占いに関する記事は情報リテラシーが低いと感じました。」「占いの記事を編集する人に関する限り、ちゃんとした記事が書けている人はかなり少ないです」。(いずれも謝罪・撤回等なし)
- Wikipedia:井戸端/subj/2ちゃんねるのスレッドについての記事の必要性でも他の方や他の記事を貶めていましたが、これについては貶めの対象となった方々への謝罪がありました。
- ノート:きしめん(現在はログ化)にて「最初に書いたIPユーザーを含めて複数の人がナーサリィ☆ライムのことを書いていたはずなのに、ノートで私の意見を支持する発言をしてくれなかったのですから、「IPユーザーに良識を求めるのが間違いだった」と思ってきっぱりと諦めることにします」。これについてはNekosuki600氏が諌めたものの、謝罪も撤回もありませんでした。
以上です。--Sumaru 2007年3月27日 (火) 14:21 (UTC)微調整--Sumaru 2007年3月27日 (火) 14:35 (UTC)
Wikipedia:削除依頼/身長記入問題で「趣旨に賛同しつつも方法の拙速さを諌めておられた方」とは私のことでしょうか? Sumaruさんに他意があるとは申しませんが、引き合いにだされたようで余り気持ちの良いものを感じません。ともあれ、今回の一連のコメント依頼を以って春野秋葉さんが萎縮し、「すぐにそこからは撤退」「一切反論せず」とされている事を見ると、ウィキペディアンとしてはいささか消極的過ぎる態度になられてしまったと残念に思います。弁護士気取りをするつもりはありませんが、やや叩きに強過ぎるきらいが否めないと感じるのは私だけなのでしょうか…。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月28日 (水) 00:38 (UTC)
- 私はあくまでも「しばらく議論を控えた方がいい、さもなければもう少し他人を尊重すべきだ」ということを申しあげたつもりです。それだけに、春野秋葉さんが今後一切の議論から手を引くと宣言なさったのは、私にとっても意外でしたし、いささか残念に思えます。ただ、過去の不適切な議論を反省なさった結果として、あえて不向きな議論に首を突っ込まないようにするというのならば、それは春野秋葉さんの見識の高さを示すものであって、「萎縮」などといったネガティヴな評価をする性質のものではないと思いますし、積極的に敬意を表したいと思います。
- それはそうと、このコメント依頼は決して春野秋葉さんを叩くことを目的とするものではないのですから、٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんから見て不当な言いがかりだと思うものがあれば反論なさればいいと思いますし、また春野秋葉さんの有意義な貢献と見なせる事例などもどんどんお示しになるべきです(私は認識している範囲で有意義な貢献についても触れました)。それをやらずに「やや叩きに強過ぎるきらいが」などと、コメントを寄せた人の姿勢を問題にするのは、「論争相手が人格批判を行ってきたら(以下略)」と仰っていた春野秋葉さんから見ても好ましいものではないのではないでしょうか。
- ちなみに、私の物言いにきついものが混じっていることは自覚しています(例を挙げるならば、上で0学を引き合いに出したのはやりすぎだという批判は当然予想されます)。それらは悩んだ末にあえて入れたものであって、相応の理由があります。疑問があればそれらには応答しますし、その上で不当なものであるとなれば、もちろん御本人にも謝罪致します。--Sumaru 2007年3月28日 (水) 03:29 (UTC)
- (追記)私はWikipedia:削除依頼/身長記入問題であなたが「執筆者春野秋葉さんの意図するところは理解しますし、賛同寄りの立場ですが、この記事を書くのであれば、その前に井戸端なり何なりで議題とすべきことではあったように思われます。勇み足過ぎた感は否定できません。」と仰っていたことを「趣旨に賛同しつつも方法の拙速さを諌めておられた」と要約したのですが、何か間違っていたのでしょうか。--Sumaru 2007年3月28日 (水) 03:29 (UTC)
- 要約は間違っていないと思います。自分としては春野秋葉さんの活動は評価しているつもりですし、その上で、ウィキペディアには確実におられるアンチ2ちゃんねる項目の方やアンチネットスラング記事の方から見れば(その評価の正否はともかく)彼は“不穏分子”に映り、更にウィキダス計画といったものを持ち出せば保守的な人達からは面白くないでしょうし、こうした諸活動への批判には、そのような思いが少なからずあるように感じています。同時に、これを機会に春野さんを封じ込めようと(意識まではせずとも)していた方もいるのではないかとさえ見えました。自分が春野さんを評価しているだけに、バイアス掛かった見方をしている事は否定できないでしょうが、それと並んで彼に対する各位の諸評価も、果たして中立的なものであったかと言うと、大いに疑問なのです(飽く迄もバイアス掛かった自分から見れば、ウィキダスの話を持ち出した時にウィキペディアとは無関係だの、英語が不得意である事を明言されている彼に対してメタでやれ等という発言が目立ったことさえ、封じ込めのように映っていました)。故に、「叩くことを目的とするものではない」ことは承知した上で、そのようなにおいを払拭できないでいるのです。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月28日 (水) 04:05 (UTC)
- 少なくとも私は、春野秋葉さんの手続きの拙速さ等を批判したことはあっても、彼の信念それ自体を批判したことはありません。Wikipedia‐ノート:井戸端/subj/2ちゃんねるのスレッドについての記事の必要性でも述べたように、下らない記事を多く立てていることを棚に上げて人様の信念をどうこう言うつもりはありませんので。
- で、それはそれとして٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんが相変わらず春野秋葉さんの評価できる点を具体的に挙げないまま、それを批判している側のスタンスの問題点ばかり挙げているように思いますので(それ自体に傾聴すべき点はあるにしても)、その辺りを確認させていただきたいと思います。
- ٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんがお考えになっている春野秋葉さんの評価できる点とは結局のところ何でしょうか。お話を伺っている限りでは、
- タブーを設けず様々な問題点に切り込んでいる。
- ウィキペディア(あるいはウィキメディアプロジェクト全体)を良くするために、既成観念に囚われず、鋭い提言を行っている。
- といったことを想定しておられるのかなと思うのですが、そういうことでしょうか。また、そうである場合、彼の手続き上の拙速さとの兼ね合いをどう考えておられるのでしょうか。提言の意義と差し引きで考えれば、彼の拙速さはコミュニティとして目をつぶる性質のものだとお考えでしょうか。それとも、春野秋葉さんにも直した方が良い点はあるとお考えでしょうか。あるいは、そもそも彼の手続きにコメント依頼を出されてまで批判されるほどの瑕疵はないとお考えでしょうか。--Sumaru 2007年3月28日 (水) 13:09 (UTC)
- 「不穏分子」だとか、だれも言っていない言葉で春野さんを形容するのはやめましょう。我々コメントを出している側がそんな言い方をしているなら別ですが、٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんが思っていることを我々が思っている事の様に言うのはやめてください。
- しかしながら、ウィキペディアにそれほど貢献できていない人物でも、特に問題とならない人物であれば、ウィキペディアにおける活動にコメントする必用はないかと存じます。つまり、春野さんの評価できる点を挙げるのもそういう意味では無意味かと存じます。
- 春野さんはこのコメント依頼がでてから、ご本人の利用者ページで自戒の文章を置かれています。ここでいま何が問題とされているのか、春野さんが理解したようにはにわかには思えませんが、春野さんなりのウィキペディアにおける他者との問題解決方法を見つけられたのかも知れません。
- わたしは、春野さんとまともな議論を交わしたのは132人目方式以���と短いので感情が薄いのかも知れませんが、Sumaruさんは春野さんとの関わりが長いだけあって、約束が裏切られたように感じられたのかも知れません。ただ、今回はさすがに戈を収めた方が良いかも知れません。自戒の念をご自身の利用者ページのトップに置いているだけあって、これ以上、コメント依頼で春野さんの問題点を指摘しても、(仮にその指摘が正しくても)いじめている風に見えてしまいます。--あなん 2007年3月28日 (水) 14:19 (UTC)
- 何を言いたいのか判らないのですが、何か? 私が春野秋葉さんを不穏分子だと思っていると仰りたいのですか? 誤読も甚だしい。誤った読み方しか出来無いのであれば黙っていて頂きたい。ここで言うのも難ですが、あなたは事ある毎に私の発言を曲解しては私を貶めるような表現をしています。失礼にも程がある、控えて頂きたい。それとも事ある毎に私に噛んでくるのは他意でもおありか?--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月28日 (水) 16:17 (UTC)
- 引用:「ウィキペディアには確実におられるアンチ2ちゃんねる項目の方やアンチネットスラング記事の方から見れば(その評価の正否はともかく)彼は“不穏分子”に映り」
- さて、「ウィキペディアには確実におられるアンチ2ちゃんねる項目の方やアンチネットスラング記事の方」これは誰のことでしょう? これは具体的にどのような人を指すかという定義もあなた自身もなさっていませんよね。どこに「確実に」存在するのか教えて頂きたいです。で、そのような人がどこで、彼が「不穏分子」だと映ったと言っているのですか? 「存在しない人たちからみれば、彼は"不穏分子"に映る」という珍妙な文章は、あなた以外の人にとってなんの意味も成しません。つまりあなたの文章から客観的に確実な部分だけを抜き取っていけば、「彼は"不穏分子"に映る」という部分だけです。あなた以外の誰もが「彼は“不穏分子”に映り」と言っていませんので、「彼は“不穏分子”に映り」と言う文章はあなたの妄言で無い限り、あなたに取って「彼は“不穏分子”に映」っているにすぎません。ただ、これはあなたが自分の感情を表現しようとした際の言葉のあやかも知れませんし、私には理解できないなにやら高尚な理論があなたにはおありなのかも知れません。それでしたら、お詫びさせて頂きます。
- 他にもあなたの発言にはコメント依頼の対象ではない「ウィキダス計画」を持ち出したりしています。関係ないのでここで持ち出さないでください。それから「保守的な人達」とかいうこれまたどこに存在するのか分からない人たちを作り上げて、おとしめていますが、こう言う高尚な概念は、私みたいな一般人には理解できません。次からは私みたいな一般人でも理解できるようにもっと具体的に誰のことなのか一目瞭然に書いてくださいませ。--あなん 2007年3月28日 (水) 16:59 (UTC)
- あなたの仰る事こそ何の意味も持ちませんよ。「どこに存在するのか分からない人たち」を「おとしめ」るとは? そんな器用な真似は私には出来ません。あなたが一般人であるかどうかなど知りませんが、具体的に誰か名指しせよですと? それは何か、私がこれまで名指し批判をした事を無い事を以って鬼の首でも取ろうとでも仰るつもりですか? 生憎、荒らしでも無い限り、名指しはしませんよ。まして、他の人物に付いて議論するページでそのような真似はね。名指しをしなければ理解しない等という空気を読まぬ事は、一般人のあなたならば弁えられるものと心得ますが。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月28日 (水) 17:13 (UTC)
- 名指しできないと言うことで、あなたの脳内にしかない概念であることが分かりました。質問へのご協力ありがとうございました。春野さんに対するコメント依頼ではもはや無くなっているので、私からはこれまでにします。--あなん 2007年3月29日 (木) 03:58 (UTC)
- あなたの仰る事こそ何の意味も持ちませんよ。「どこに存在するのか分からない人たち」を「おとしめ」るとは? そんな器用な真似は私には出来ません。あなたが一般人であるかどうかなど知りませんが、具体的に誰か名指しせよですと? それは何か、私がこれまで名指し批判をした事を無い事を以って鬼の首でも取ろうとでも仰るつもりですか? 生憎、荒らしでも無い限り、名指しはしませんよ。まして、他の人物に付いて議論するページでそのような真似はね。名指しをしなければ理解しない等という空気を読まぬ事は、一般人のあなたならば弁えられるものと心得ますが。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年3月28日 (水) 17:13 (UTC)
(段下げ戻します)私から春野秋葉さんに申し上げたいことは最初に書き込んだことで尽きていますし、それに対し迅速かつある意味で抜本的な対応といえる「宣言」が出されたことには「敬意を表したい」と申し上げたとおりです。その意味で御本人に対する「戈」はとっくに収めたつもりでした。
その後に書き込んだことはあくまでも٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんにとって、春野秋葉さんの評価できる点とは何なのか、またそれはどの程度高く評価できるものなのかを純粋にお尋ねしたかっただけのことです。自分の意見が中立的だとはもとより思っていませんし、バランスをとる意味でも興味があったのです。
とはいえ、いつまでもこのような遣り取りを御本人の頭越しに行い続けることは確かに不快だろうと思いますし、その点配慮が足りませんでした。春野秋葉さんにお詫びするとともに、このコメント依頼への以降の書き込みを自粛させていただきます。--Sumaru 2007年3月28日 (水) 14:39 (UTC)
- Sumaruさんの質問に対して、バランスを取る意味があったにもかかわらず、差し出がましいコメントをいたしましたこと、お詫び致します。--あなん 2007年3月28日 (水) 15:10 (UTC)
春野秋葉による返答
編集コメント依頼およびノートを拝見いたしました。これについて私のできる範囲で返答いたします。分量の一番多いSumaruさんのコメントが論点が整理されており、返答しやすいと思いましたので、今回はSumaruさんのコメントに対して返答いたします。
(例示1について)まず、私が勝ち負けでとらえていたのは「議論」に対してではなく、「論争」に対してです。論争は争いですから必然的に勝ち負けを伴うものです。もちろん、両者が妥協して引き分けで終了するということもありますが、論争は常に引き分けを目指さなければならないものではないし、実際に常に引き分けで終了することも困難だと考えております。また、「132人目方式」での発言に対しては、「管理者によって強制的に『132人目方式』の文書が削除される」ことが「私の意見が間違っていること」の傍証となると考えておりましたので、削除が「自分の正しさを不当に弾圧する」ことを意味していたのではないということをご理解いただきたいと思います。
(例示2について)これも「最後まで削除に同意しなかった」のは事実です。「なぜ同意しなかったのか」と言えば、「私がそのテンプレートの存続を望んでいたから」であり、それ以外の意図は全くありません。今から思えば、検証可能性を恣意的に解釈し、自分に都合の良いように利用して自己の記述の存続と他者の記述の除去を望んでいたというダブルスタンダードであり、そのような解釈は否定されなければならないのは言うまでもありません。率直にお詫びしたいと思います。また、「『科学的な観点』は『中立的な観点』とは矛盾しない」とは本当にそのように考えていた(「中立的な観点」は厳密に中立的であることを要求するため、「科学的」と「非科学的」との間でも中立的でなければならないことを知らなかった)ということです。これについても不見識をお詫びしなければなりません。
(例示3について)まず言っておかなければならないのは、私の利用者ページにあった「『一切隠蔽』では何も解決しない」というコメントは「身長記入問題」の記事が削除されてから記述したものですが、述べていることはその上にある「今のように『ウィキペディア日本語版では一切の隠蔽を貫く』(しかも、ユーザー名にまでその規制が及んでいる)という規制方針を続けていても、終わりのないいたちごっこになるだけだと思う。」という、「身長記入問題」の記事を新規執筆する前からあった自己の主張を改めて示したものに過ぎません。「趣旨に賛同しつつも方法の拙速さを諌めておられた方のコメントを全く顧慮していなかった」のは、結果的に「身長記入問題」の削除依頼の過程において「趣旨に賛同しつつも方法の拙速さを諌めておられた方」の意見が削除依頼で主流の意見とはならなかったために、「ウィキペディア全体の方針」としては全く変わらなかったと判断したために顧慮の対象としなかったのです。いずれにしても、「方法の過ちを意図の正しさによって正当化」したという意図は全くありませんでしたが、「方法の過ちを自己批判しなかった」ことについてこちらに完全な非があることは明白なため、お詫びいたします。
(例示4について)Sumaruさんがおっしゃったことはすべて事実です。他の方を不必要に貶めたことについて深く頭を下げ、お詫びしたいと思います。なお、「新着で紹介されるレベル」について説明させていただきますと、これは「新着で紹介される記事に匹敵するレベル」という意味であり、必ずしも実際に新着で紹介されることを絶対要件としたものではありませんでした。新着投票はその時々の投票する人の嗜好や思想、同時に新着候補に挙がっている記事のレベルにも左右されますので「実際に新着で紹介されなければウィキペディアに貢献したことにならない」と主張したつもりではありませんでした。自分自身、「新着に紹介されること」の難しさを知っており、1年強の執筆活動で新着記事として選ばれた記事は引き分けのただ1つであり、選ばれる寸前まで行き、惜しくも落選したのも寿 (将棋)くらいであり、リーチ (パチンコ)、CRぱちんこ冬のソナタ、0学、オールドバーなど自薦した記事のほとんどは私自身の票しか入らないまま落選しています。それ以前に、新規作成しても「この記事は新着記事に紹介されるレベルではない」と判断し、自薦を見送った記事が大多数を占めます。「新着記事に紹介されるレベルの記事を執筆しないとウィキペディアへの貢献といえない」という発言は、「自分が執筆する記事はまだウィキペディアへの貢献と呼べるレベルに達していない」という自戒であると同時に、「新着記事に紹介されるレベルのような記事を書きたいなあ」という願望を込めた発言のつもりでした。
(全体について)今回、すべての論争を控えることを宣言したことについて理由を述べさせていただきますと、Sumaruさんの言うとおり「私自身の信念に関わる編集」に関わる事象において論争が発生しやすくなっていたことを懸念したものであると同時に、「ルール(公式方針やガイドラインなど)に書いていないこと」に対する事象において論争が発生しやすくなっていたことも懸念したからです。「ルールに書いてあること」が論点であれば、ルールという明確な基準が示されることによって自己の意見の正誤が明らかになり、論争の終了も容易だと考えるのですが、「ルールに書いていないこと」を論点とした論争は明確な基準がないために泥沼化してしまい、論争終了の糸口がつかめないばかりか、かえって論争相手の方々の態度を硬化させてしまう事態が相次いだこと、また複数の方々が私のことを「コミュニティを疲弊させるユーザー」とおっしゃっていますが、同時に私自身も泥沼化した論争の連続でかなり疲弊したことがこのような宣言をした理由となっています。あわせて、論争の原因となっていた「熟知していないことに首を突っ込む」ことと「(紙の)百科事典にふさわしくないことを書く」ことによっても、同時に控えることにした次第です。この3つの方針を掲げることによって論争を未然に防ぐことがすべての目的です。
(終わりに)今回はSumaruさんのコメントにのみに対する返答となってしまいましたが、ほかの方々のコメントに対する返答も早いうちにさせていただきたいと思います。最後に皆様へのお願いですが、この返答に対する再コメントは、記事の見通しをよくするため、恐れ入りますがこの返答の下にコメントしていただくようお願いします。--春野秋葉(Talk / Cont.) 2007年3月29日 (木) 10:35 (UTC)
- 本コメント依頼の趣旨と外れ、また可読性を著���く損なうため、ノートへ移動しました。--Aphaia 2007年3月29日 (木) 14:53 (UTC)