聖悠紀
聖 悠紀(ひじり ゆき、英: Yuki Hijiri、1949年12月21日[3] - 2022年10月30日[1])は、日本の男性漫画家。本名は長谷川 清俊(はせがわ きよとし)。『くるくるパッX』など一部の作品ではひじり悠紀や聖 ゆきの表記が使われていた。SF漫画を中心に執筆しており、代表作に『超人ロック』シリーズ[4]など多数。
聖 悠紀 | |
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本名 | 長谷川 清俊 |
生誕 |
1949年12月21日 日本 新潟県新発田市 |
死没 | 2022年10月30日(72歳没) |
国籍 | 日本 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1971年 - 2022年[1][2] |
ジャンル | SF漫画 |
代表作 | 『超人ロック』 |
公式サイト | 公式ホームページ「電脳かば」 |
略歴
編集生い立ち
編集新潟県新発田市出身で、小学生時代は三条市や新潟市など新潟県内を転々としていた[3]。中学3年生で愛知県名古屋市へ転居し、高校進学後に石森章太郎の「マンガ家入門」を読んだことがきっかけとなって、漫画を描くようになる[3]。
高校2年の時、貸本屋で借りた「ボーイズライフ」に掲載されていた作画グループの会員募集を見て会員になり[3]、1967年(昭和42年)にグループの肉筆回覧誌に掲載するため送った作品が、後に代表作となる『超人ロック』の1作目「ニンバスと負の世界」で、これにより一挙に会員の注目を集めた[5]。
大学進学後にデビュー
編集大学に進学すると学業の傍ら漫画にも没頭し、春・夏・冬の休みには当時大阪府にあった作画グループの本部に1週間以上も泊まり込んで漫画漬けの生活を送ったという[5]。当時からグループ代表のばばよしあきの他にみなもと太郎とは深い親交があり、長らくグループ内では「トリオ・ザ・サクガ」の名で呼ばれていた。
1969年に『超人ロック』の第2作である「この宇宙に愛を」、1970年には第3作「ジュナンの子」を完成させたが、「ジュナンの子」は肉筆回覧誌には収録されず、グループが当時貸本漫画向けに刊行を始めた「作画グループシリーズ」第2弾として発刊され、全国規模でファンを獲得することになった[5]。さらに肉筆回覧誌に収録された「この宇宙に愛を」が編集者の目に止まったことがきっかけとなり[5]、1971年に小学館の「別冊少女コミック」から『うちの兄貴』でデビュー。少女漫画家として活動するようになり[5]、1973年には上京。
そのような状況の中『超人ロック』の熱烈なファンの声に押された作画グループ代表のばばよしあきの説得もあって、1974年に第4作「コズミックゲーム」を発表[5]。新たなファンを獲得したものの、活動の場を少女漫画から特撮やアニメのコミカライズなど「テレビ漫画」の分野に移す結果を招いた[5]。当時関わった作品では、アニメのキャラクターデザインも担当した『闘将ダイモス』などが知られている。
1977年に『超人ロック』の特集が「月刊OUT」で組まれ、同誌の別冊「ランデヴー」で「新世界戦隊」が連載された[5]。これは初の『超人ロック』の商業連載で、その後は少年漫画誌などを主な活動の場としている。漫画家となるきっかけになった作画グループではその後も活動を続け、多数の会員が集まって一つの漫画を制作する「合作」にも参加していた(後述)。
闘病生活、死去
編集2017年11月に慢性副鼻腔炎の手術を受け、術後の経過診断のための診察時に倒れて心停止となった。蘇生に成功するが昏睡状態となり、その後12月に心臓の外科手術を受けた。術後2か月入院し、2018年2月初頭の退院直後に「まだ以前のようには動けない」ことと、とリハビリ中であることを自身のTwitterアカウントにて発表した。単行本と画集の発売も遅れたが、画集は同月中に刊行された。また、当時連載中の『超人ロック 鏡の檻』と『超人ロック ガイアの牙』は5か月間休載となった[6]。
2020年6月10日、パーキンソン病で闘病中であることを公表[7][8]。その後、パーキンソン病により身体機能が低下して、2022年10月30日に肺炎を併発して死去した事が2022年12月16日に公表された[9]。72歳没。
作品リスト
編集コミカライズ作品
編集子供向けテレビ番組を幼年誌へ掲載するために漫画化したもの(内部リンクは大元のテレビ番組に対してなされている)。
作画グループ合作
編集主に登場キャラクターの一人を作画している。初期には主人公やヒロイン担当も多い。詳細は各記事を参照。
- アキラ・ミオ大漂流 (週刊少年マガジン、講談社)
- 失われた伝説(GROUP)
- ダリウスの風(週刊少女コミック、小学館)
- 1000万人の2人(週刊少年キング、少年画報社)
- 銀河を継ぐ者(週刊少女フレンド、講談社)- KCフレンドではカバーが『SF 銀河を継ぐ者』となっている。
- 怪盗スカイラーク(GROUP、SG企画ほか)- リレー漫画。描き手メンバーの異なるA班とB班が、第1話から分岐して同時並行で結末を目指す実験作。聖はB班の終盤近くを担当。
- 怪盗スカイラーク -華麗な冒険-(SF漫画競作大全集、東京三世社)- 『怪盗スカイラーク』の続編。お風呂屋さんに籠城したB班ではなく、ヘルパーパタパタ登場のA班からの続きになっている。
- ベレヌスのロビン - 炎の伝説 -(少年KING、少年画報社)
- 銀河活動大写真異聞(ウィングス、新書館)- もし『ベレヌスのロビン』が映画内の劇中作であったら、が題材の作品。撮影中に様々な事件が役者を襲う。
- ベレヌスのロビン - 炎の戦士 -(単行本描きおろし、SG企画)
キャラクターデザイン
編集テレビアニメ
編集特撮テレビドラマ
編集その他
編集- テレビアニメ『それでも町は廻っている』 - 第1話提供バックイラスト
- テレビアニメ『僕らはみんな河合荘』 - 第9話エンドカード
脚注
編集出典
編集- ^ a b mia [@mia_hsgw] (2022年12月16日). "聖悠紀は急逝いたしました". X(旧Twitter)より2022年12月16日閲覧。
- ^ アワーズ編集部 [@YKOURS] (2022年12月16日). "聖悠紀先生 ご逝去の報". X(旧Twitter)より2022年12月16日閲覧。
- ^ a b c d 『TO YOU』 1983, pp. 46–52.
- ^ 大河SF「超人ロック」で人気の漫画家・聖悠紀さん死去…72歳「週刊少年キング」で連載アニメ化も 読売新聞 2022年12月16日
- ^ a b c d e f g h 『TO YOU』 1983, pp. 42–45.
- ^ “「超人ロック」漫画家の聖悠紀氏 昨年12月に心停止 心臓手術で2カ月入院していた”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2018年2月5日) 2022年12月16日閲覧。
- ^ “『超人ロック』聖悠紀氏、パーキンソン病公表「できる限り描いていきたい」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2020年6月10日) 2022年12月16日閲覧。
- ^ 聖悠紀 [@Y_HIJIRI] (2020年6月10日). "お知らせしたいことがあります。ご覧ください。 #locke_fan". X(旧Twitter)より2022年12月16日閲覧。
- ^ “漫画家・聖悠紀さん、10月30日に亡くなっていた 享年72 SF漫画『超人ロック』手掛ける”. ORICON NEWS. oricon ME (2022年12月16日). 2022年12月16日閲覧。
- ^ "2023年度 第52回日本漫画家協会賞 発表通知". 漫画家協会WEB. 2023年4月10日. 2024年3月20日閲覧。
- ^ 『第44回 日本SF大賞決定のお知らせ』(プレスリリース)一般社団法人日本SF作家クラブ、2024年2月23日 。2024年3月20日閲覧。
参考文献
編集- 聖悠紀『TO YOU 超人ロック・聖悠紀の世界 SFファンとそうでない人へ 愛蔵/限定版』TO YOU刊行会(少年画報社)、1983年8月15日。
外部リンク
編集- 電脳かば - 聖悠紀夫妻 公式サイト
- 聖悠紀 (@Y_HIJIRI) - X(旧Twitter)
- 株式会社SG企画 - 公式サイト
- 聖悠紀 - メディア芸術データベース