美座流石
朝鮮総督府官僚
美座 流石(みざ さすが[1]、1891年(明治24年)2月18日[1][2][3] - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。
経歴
編集鹿児島県鹿児島市出身[2][3]。東京帝国大学法科大学政治科に学び、在学中の1916年(大正5年)に高等文官試験に合格し、翌年卒業した[2]。道事務官、税関監視官、税関事務官、専売局事務官、咸鏡北道警察部長、慶尚北道警察部長、慶尚南道警察部長を歴任し、1931年(昭和6年)に欧米各国に出張した[1][2]。帰国後、平安南道内務部長を経て、1932年(昭和7年)に京畿道内務部長となり、さらに京城税務監督局長に転じた[1][2]。1936年(昭和11年)より平安北道知事となった[1]。
1939年(昭和14年)に退官した後は、朝鮮マグネサイト開発社長[4]、咸南鉄道会長を経て、戦後は三幸建設工業に入り、副社長、顧問を歴任した[3]。
脚注
編集- ^ a b c d e 大衆人事録 1938.
- ^ a b c d e 輓近大日本拓殖史 1934.
- ^ a b c 帝国秘密探偵社 1953, 1004頁.
- ^ 大衆人事録 1943.
参考文献
編集- 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1938年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第16版 全国篇』帝国秘密探偵社、1953年 。