咸鏡北道 (日本統治時代)

咸鏡北道
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮の道
1910年(明治43年) - 1945年(昭和20年)
咸北の位置
咸北の位置
昭和20年の咸鏡北道
略称 咸北[1]
政庁所在地 鏡城(1910-1920)→羅南(1920年以降)
歴史
 - 創立 1910年(明治43年)
 - 廃止 1945年(昭和20年)
面積
 - 1940年 20,346.76km2
人口
 - 1940年 1,102,272 
     人口密度 54.2/km2
行政区画 3府11郡
旧咸鏡北道庁舍

咸鏡北道(日本語読み:かんきょうほくどう、朝鮮語読み:ハムギョンブクト、 朝鮮語:함경북도)は、日本統治時代の朝鮮行政区画の一つ。現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の咸鏡北道羅先特別市と、両江道の一部を合わせた地域にあたる。

道庁ははじめ鏡城、1920年以降は羅南(1940年清津府に編入)に置かれた。

概要

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朝鮮の東北部、咸鏡道地方の東北側にあたり、西南に咸鏡南道と接する。豆満江を挟んで北に満洲間島、北東にロシアソビエト連邦)と接する国境地帯で、羅南には第19師団が配置されていた。

1930年代には天然資源の開発が進められるとともに、日本が支配する満洲国への短絡路として、羅津の築港をはじめとする開発がすすめられた。

人口

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昭和11年現住戸口調査より

  • 総人口 813,893人
    • 内訳
      • 内地人 45,433人
      • 朝鮮人 762,071人
      • その他 6,389人

行政区分

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昭和20年(1945年)当時

  • 鶴城郡
    • 鶴中面、鶴西面、鶴南面、鶴上面、鶴東面
  • 吉州郡
    • 吉州邑、東海面、徳山面、長白面、雄坪面、暘社面
  • 明川郡
    • 上雩北面、上雩南面、下雩面、西面、東面、阿間面、上加面、下加面、下古面、上古面
  • 鏡城郡
    • 朱乙邑、漁大津邑、鏡城面、朱北面、朱南面、漁郎面
  • 富寧郡
    • 富寧面、西上面、石幕面、青岩面、連川面、富居面、三海面、観海面
  • 茂山郡
    • 茂山邑、東面、漁下面、延上面、延社面、三社面、三長面、西下面、永北面、豊渓面
  • 会寧郡
    • 会寧邑、碧城面、八乙面、花豊面、甫乙面、昌斗面、龍興面
  • 鍾城郡
    • 鍾城面、南山面、行営面、龍渓面、華方面、豊谷面
  • 穏城郡
    • 穏城面、南陽面、永瓦面、永忠面、美浦面、訓戎面
  • 慶源郡
    • 慶源面、安農面、東原面、龍徳面、有徳面、阿山面
  • 慶興郡
    • 雄基邑、阿吾地邑、豊海面、慶興面、蘆西面

歴代咸鏡北道知事(道長官を含む)

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1919年8月以前は「咸鏡北道長官」。

氏名 在任期間 備考
武井友貞 1910年10月1日 - 1913年2月14日 咸鏡北道長官
帆足準三 1913年2月14日[2] - 1913年10月3日[3] 死去[3]
桑原八司 1913年11月4日 - 1918年9月23日
上林敬次郎 1918年9月23日 - 1921年8月5日 1919年8月より「咸鏡北道知事」
斎藤礼三 1921年8月5日 - 1923年2月24日
中野太三郎 1923年2月24日 - 1926年8月14日
朴栄喆 1926年8月14日 - 1927年5月18日
朴相駿 1927年5月18日 - 1928年3月29日
安達房治郎 1928年3月30日 - 1929年11月28日
古橋卓四郎 1929年11月28日 - 1931年9月23日
安藤袈裟一 1931年9月23日 - 1931年9月29日
富永文一 1931年10月7日 - 1934年11月5日
竹内健郎 1934年11月5日 - 1936年7月30日
児島高信 1936年7月30日 - 1940年3月9日
大野謙一 1940年3月9日 - 1942年10月23日
古川兼秀 1942年10月23日 - 1945年6月26日
渡部肆郎 1945年6月26日 - 日本統治下最後の知事

法院(裁判所)

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昭和16年(1941年)当時

  • 清津地方法院
  • 清津地方法院城津支庁
  • 清津地方法院会寧支庁
  • 清津地方法院雄基支庁

刑務所

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昭和16年(1941年)当時

  • 清津刑務所

警察

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昭和2年(1927年)当時

  • 咸鏡北道警察部
    • 清津警察署
    • 羅南警察署
    • 漁大津警察署
    • 明川警察署
    • 吉州警察署
    • 城津警察署
    • 富寧警察署
    • 延社警察署
    • 茂山警察署
    • 三長警察署
    • 会寧警察署
    • 鎮城警察署
    • 穏城警察署
    • 訓戎鎮警察署
    • 慶源警察署
    • 新阿山警察署
    • 慶興警察署
    • 雄基警察署
    • 西水羅警察署

憲兵警察制度下における憲兵部隊

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大正4年(1915年)当時

  • 鏡城憲兵隊
    • 羅南憲兵分隊
    • 富寧憲兵分隊
    • 茂山憲兵分隊
    • 吉州憲兵分隊
    • 慶源憲兵分隊
    • 会寧憲兵分隊
    • 慶興憲兵分隊

税務

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昭和16年(1941年)当時

税務署

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  • 清津税務署
  • 雄基税務署

税関

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  • 羅津税関
  • 羅津税関清津税関支署

林政

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昭和16年(1941年)当時

  • 城津営林署

気象

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昭和17年(1942年)当時

  • 城津測候所
  • 清津測候所
  • 雄基測候所

日本軍駐屯地

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昭和11年(1936年)の平時編制

鉄道

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昭和20年(1945年)の路線

総督府鉄道

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私鉄

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道路

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昭和2年(1927年)当時

一等道路

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  • 元山会寧線
  • 会寧行営線
  • 行営穏城線
  • 輸城慶興線
  • 輸城清津線
  • 羅南清津線

二等道路

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  • 吉州茂山線
  • 恵山鎮茂山線
  • 鏡城慶源線
  • 慶源鍾城線
  • 茂山清津線
  • 城津恵山鎮線
  • 茂山慶興線
  • 会寧穏城線
  • 雄基穏城線

港湾

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昭和6年(1931年)当時

開港

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  • 雄基港
  • 清津港
  • 城津港

地方港

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  • 西水羅港
  • 羅津港
  • 漁大津港
  • 大津港
  • 梨津港
  • 大良化港
  • 西浦港

鉱山

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  • 鶏林炭鉱
  • 会寧炭鉱
  • 生気嶺炭鉱
  • 城津黒鉛鉱山
  • 茂山鉱山

神社

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  • 羅南神社
  • 清津神社
  • 城津神社
  • 会寧神社
  • 雄基神社
  • 吉州神社
  • 羅南護国神社

企業

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道内に本社を有する資本金50万円以上の企業である(昭和15年・1940年当時)

農林水産業

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  • 北鮮土地
  • 井川工業
  • 秋田水産工業
  • 清津水産
  • 朝窒水産工業
  • 朝鮮水産化工
  • 豆満江林業

鉱業

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  • 日鮮鉱業
  • 英殖鉱業
  • 鹿ノ峰鉱山
  • 野崎鉱業

製造業

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  • 清津魚糧工業
  • 朝鮮石炭工業
  • 北鮮製紙化学工業
  • 清津造船鉄工所
  • 朝鮮合同木材
  • 朝鮮電気冶金

電気業

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  • 富寧水力電気

運輸業

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  • 城津自動車
  • 咸北自動車
  • 清津海運作業

卸売小売業

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  • 北朝鮮産業
  • 東富商会
  • 親和貿易
  • 大阪号
  • 羅津東興号
  • 斎藤石油

金融業

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  • 咸北無尽

不動産業

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  • 鮮満土地
  • 天徳興業

マスメディア

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ラジオ放送局

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昭和20年(1945年)8月当時

日本語新聞

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昭和16年(1941年)当時

  • 北鮮日報
  • 北鮮日日新聞

出身有名人

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この時代に生まれ育つか、または活躍した者を掲載

  • 金策(朝鮮人民軍司令官)
  • 延亨黙(北朝鮮国防委員会副委員長)

脚注

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  1. ^ 咸鏡北道地方課『咸北要覧:附間島琿春』(改訂5版)会寧印刷所、咸鏡北道会寧面、1926年6月。doi:10.11501/1906379https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/19063792021年1月18日閲覧 
  2. ^ 『官報』第162号「叙任及辞令」1913年2月15日。
  3. ^ a b 『官報』第361号「彙報」1913年10月10日。

参考文献

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  • 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』(東京大学出版会、1981年)

関連項目

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前の行政区画
二十三府制十三道制を挟んで)
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