石牟礼道子

日本の小説家・環境活動家(1927 - 2018)

石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年昭和2年)3月11日 - 2018年平成30年)2月10日[1])は、日本小説家詩人環境運動家

石牟礼道子いしむれみちこ
朝日新聞社『朝日ジャーナル』第9巻54号(1967)より
誕生 吉田道子
(1927-03-11) 1927年3月11日
日本の旗 日本熊本県天草郡河浦町
(現・天草市
死没 (2018-02-10) 2018年2月10日(90歳没)
日本の旗 日本・熊本県熊本市
職業 小説家詩人
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 水俣実務学校(現 熊本県立水俣高等学校)卒業
活動期間 1969年 - 2018年
ジャンル 小説
主題 水俣病
日本の近代
代表作苦海浄土』(1969年)
『天の魚』(1974年)
『椿の海の記』(1976年)
『西南役伝説』(1980年)
『十六夜橋』(1992年)
『はにかみの国』(2002年)
『祖さまの草の邑』(2014年)
主な受賞歴 マグサイサイ賞(1973年)
紫式部文学賞(1993年)
朝日賞(2002年)
芸術選奨(2003年)
現代詩花椿賞(2014年)
デビュー作苦海浄土』(1969年)
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主婦として参加した研究会で水俣病に関心を抱き、患者の魂の訴えをまとめた『苦海浄土ーわが水俣病』(1969年)を発表。ルポルタージュのほか、自伝的な作品『おえん遊行』(1984年)、詩画集『祖さまの草の邑』(2014年)などがある。

生涯

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生い立ち

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代用教師をしていたころ(1943年)右から2番目が石牟礼

石牟礼道子は1927年3月11日白石亀太郎(当時34歳)と吉田ハルノ(当時24歳)の長女として、熊本県天草郡河浦町(現・天草市)に生まれる。父や祖父は石工であり、道子という名は道路が完成することを予祝して、[2] 家族全員が考えて、名付けられた[3]。三か月後には、葦北郡水俣町へ帰り以後そこで育つ。1930年に水俣町栄町に引っ越す。1934年に水俣町第二小学校に入学。小学二年生の時に初めて小説を読む。その時に読んだのは、中里介山の『大菩薩峠』であった[4]。二年生の終わりごろ、山を売っていた祖父が事業に失敗し、栄町の自宅が差し押さえられ、水俣川河口の荒神通称「とんとん村」に引っ越す。水俣町立第一小学校に転校、舟で学校に通う[5]。1940年に小学校を卒業し、水俣実務学校(現 熊本県立水俣高等学校)に入学。このころから歌を作り始める。1943年に卒業し、佐敷町の代用教員錬成場に入る。二学期より、田浦小学校に勤務する。この頃、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を知り、深く感銘を受ける[6]。 代用教員時代の19歳の時、小学校にあった亜ヒ酸で自殺を試み、未遂に終わる[7]

結婚と自殺未遂

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1947年教師の石牟礼弘と結婚し主婦となったが、生きにくさを感じ、結婚4か月目には自殺を図ろうとした。翌年、長男の道生が生まれたことで、自殺を思いとどまるようになった[8]

「サークル村」と水俣病への出会い

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1956年短歌研究五十首詠(後の短歌研究新人賞)に入選。1958年谷川雁の「サークル村」に参加、詩歌を中心に文学活動を開始した[9]。1958年、弟が鉄道自殺する[10]

この頃、長男が入院した病院で「奇病」の存在を知り、強い衝撃を受けている[11]。 その後、熊本大学研究班が出した報告書に衝撃を受け、1968年日吉フミコらとともに水俣病患者を支援する水俣病対策市民会議を立ち上げた。 1969年には、「苦海浄土 わが水俣病」を発表し、大きな反響を得た。この著作は熊日文学賞や第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、いずれも受賞を辞退している。

1986年5月には穴井太俳人)の世話により句集「天」(天籟俳句会)を刊行。

1993年週刊金曜日の創刊に参画。編集委員を務めたが手伝いをしただけである事を理由に2年で辞任している。

2002年7月、新作不知火」を発表。同年東京上演、2003年熊本上演、2004年8月には水俣上演が行われた。

2018年2月10日午前3時14分、息子の道生、妹の紗子、姪のひとみ、道子の介護歴のある大津円が見守る中、[12]パーキンソン病による急性増悪のため、熊本市介護施設で死去。90歳だった[13][14][15][16]4月15日には送る会が開かれ、上皇后も参列し、「日本の宝を失いました」と道生に述べた[17]

没後

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随想集、回想評伝が多く刊行され、再評価されている[18]

作風・評価

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田中優子は、「石牟礼さんはノーベル文学賞をとれるほど作家だったと思うのに、亡くなって残念だ」と述べている[19]沼野充義は日本の作家のうちノーベル文学賞を受賞してもおかしくない一人として石牟礼道子を挙げた[20]

人物

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活動家として

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石牟礼は、文筆活動のほかに水俣病に関する活動を行ってきた。石牟礼自身は、「私は社会運動家ではなく、詩人であり作家です」と、活動家であることを否定している[21]。「日本のレイチェル・カーソン」や、[22]「水俣病闘争のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる[23]

読書

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道子は、本を通読しない作家としても知られている。

本の読み方もね、初めから終わりまでずっと読んだのは高群逸枝さんの『女性の歴史』ぐらいじゃないかな。たいていは、真ん中読んで、うしろ読んで、初め読むみたいな、ね。そういう読み方しかできないんです。あの人は。 — 米本 2019,32頁より引用

家族

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祖父・吉田松太郎(石工)
祖母・吉田モカ
盲目で狂女であったが、「おもかさま」と呼ばれて家族や周囲から大切にされていた。道子は幼いころ祖母の遊び相手であり世話係でもあり、「魂が入れ替わる」感覚を抱くほど心を通わせていた。[24][25]
父・白石亀太郎(石工)
吉田家の婿養子。焼酎が好きであった[21]。猫も好きであった[26]
弟・一(ハジメ。1928-1958)
30歳のとき鉄道自殺により死亡した[10]

賞歴歴

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著書

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単著

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「椿の海の記」「水はみどろの宮」「西南役伝説(抄)」「タデ子の記」、詩十篇、能「不知火」を収録。

共著

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作品集

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石牟礼道子全集 不知火

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石牟礼道子詩文コレクション

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主に詩歌集

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編著

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  • 『創作能 不知火』平凡社、2003年8月。ISBN 978-4582640199。原作本・舞台写真・上演DVD
  • 『海霊の宮 石牟礼道子の世界』藤原書店、2006年7月。ISBN 978-4894345249。ドキュメンタリー映画
  • 『新作能「沖宮」 魂の火-妣なる國へ』 求龍堂、2019年6月。志村ふくみ他共作、ISBN 978-4763018311

ドキュメンタリー

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関連人物

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原稿用紙の使い方を教えたり、作品の清書なども行っていたという[29]。また石牟礼がパーキンソン病を発病してからは、食事などをつくるために、石牟礼のもとに通っていた[30]。大半の没後の遺文集、追悼論集の編集も行った。

参考文献

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  • 石牟礼道子『葭の渚 石牟礼道子自伝』藤原書店、2014年1月。ISBN 978-4-89434-940-7 
  • 渡辺京二 他『石牟礼道子 魂の言葉、いのちの海』河出書房新社KAWADE道の手帖〉、2013年4月。ISBN 978-4-309-74049-2 
  • 稲泉連『こんな家に住んできた 17人の越境者たち』文藝春秋、2019年2月8日。ISBN 978-4-16-390971-4 
  • 『夢劫の人 石牟礼道子の世界』河野信子・田部光子編、藤原書店、1992年
  • 『石牟礼道子の世界』岩岡中正編、弦書房、2006年。10名の作品論
  • 『花を奉る 石牟礼道子の時空』藤原書店、2013年。105名の随想・論考
  • 渡辺京二『もうひとつのこの世 石牟礼道子の宇宙』弦書房、2013年
  • 渡辺京二『預言の哀しみ 石牟礼道子の宇宙Ⅱ』弦書房、2018年
  • 岩岡中正『魂の道行き 石牟礼道子から始まる新しい近代』弦書房、2016年
  • 髙山文彦『ふたり 皇后美智子と石牟礼道子』講談社、2015年/講談社文庫、2018年
  • 米本浩二『評伝 石牟礼道子 渚に立つひと』新潮社、2017年/新潮文庫、2020年。
  • 米本浩二『不知火のほとりで 石牟礼道子終焉記』毎日新聞出版、2019年5月。ISBN 978-4-620-32586-6 
  • 米本浩二『魂の邂逅 石牟礼道子と渡辺京二』新潮社、2020年10月
  • 米本浩二『実録・苦海浄土』河出書房新社、2024年5月
  • 現代思想 総特集石牟礼道子』青土社、2018年5月臨時増刊
  • 『追悼 石牟礼道子 さよなら、不知火の言魂』河出書房新社〈KAWADE夢ムック〉、2018年5月30日。ISBN 978-4-309-97941-0 
  • 若松英輔『常世の花 石牟礼道子』亜紀書房、2018年5月
  • 『石牟礼道子と芸能』藤原書店編集部編、藤原書店、2019年。シンポジウム・講演ほか
  • 『残夢童女 石牟礼道子追悼文集』平凡社、2020年2月。石牟礼道子資料保存会編
  • 田中優子『苦海・浄土・日本 石牟礼道子もだえ神の精神』集英社新書、2020年
  • 池澤夏樹『されく魂 わが石牟礼道子抄』河出書房新社、2021年2月

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ “石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説「苦海浄土」”. 朝日新聞. (2018年2月10日). https://www.asahi.com/articles/ASL283RBWL28TIPE007.html 2018年2月10日閲覧。 
  2. ^ 石牟礼 2014、35頁
  3. ^ 花ふぶき生死のはては知らざりき―里海の世界 石牟礼道子さんインタビュー”. 2021年6月2日閲覧。
  4. ^ 米本浩二「道子さん、海底の宮から」(河出 2018、18頁)
  5. ^ 第一章「二月、道子さんを送る」(米本 2019、40-41頁)
  6. ^ MICHIKO ISHIMURE - Interviews|2015 Jan./Feb. POET|HANATSUBAKI|SHISEIDO”. HANATSUBAKI|SHISEIDO. 2021年6月20日閲覧。
  7. ^ 石牟礼道子の世界/7 結婚毎日新聞、2014/7/6
  8. ^ 石牟礼道子 - NPO法人 国際留学生協会/向学新聞”. www.ifsa.jp. 2021年5月16日閲覧。
  9. ^ 竹沢尚一郎「人類学を開く:『文化を書く』から「サークル村」へ」『文化人類学』第83巻第2号、日本文化人類学会、2018年、145-165頁、doi:10.14890/jjcanth.83.2_145ISSN 1349-0648NAID 130007603551 
  10. ^ a b みっちん大変・石牟礼道子物語/18 青雲/2 弟よ わが魂のそばに=米本浩二毎日新聞、2021/10/23 西部朝刊
  11. ^ 【第130回】いまなぜ、石牟礼道子なのか”. www.webchikuma.jp. 2021年7月17日閲覧。
  12. ^ 第一章「二月、道子さんを送る」(米本 2019、23-24頁)
  13. ^ “作家の石牟礼道子さん死去 90歳 「苦海浄土」”. 毎日新聞. (2018年2月10日3時27分). https://mainichi.jp/articles/20180210/k00/00m/040/225000c 2018年2月10日閲覧。 
  14. ^ “石牟礼道子さんが死去 「苦海浄土」の作家”. 日経新聞. (2018年2月10日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26785710Q8A210C1ACX000/ 2019年3月3日閲覧。 
  15. ^ 江里直哉 (2018年2月11日). “生命燃やし近代えぐる 石牟礼道子さん、魂の旅終える 九州・沖縄 平成の記憶”. 日経新聞. https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40725540R30C19A1ACYZ00/ 2019年3月3日閲覧。 
  16. ^ 横山由紀子 (2018年2月10日). “石牟礼道子さん 水俣の慟哭「書かずには死なれんと思った」”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20180210-LXPUHLRBANKQBOAECJPXKE7TRI/ 2019年3月3日閲覧。 
  17. ^ “「日本の宝失った」皇后さま弔問、石牟礼道子さん送る会”. 朝日新聞. (2018年4月15日20時13分). https://www.asahi.com/articles/ASL4D5KJZL4DTIPE02V.html 2021年7月17日閲覧。 
  18. ^ 日本経済新聞社・日経BP社. “石牟礼道子、没後2年で再評価 水俣病以外も海の文学|エンタメ!|NIKKEI STYLE”. NIKKEI STYLE. 2021年6月20日閲覧。
  19. ^ 石牟礼道子の天才性 | 女に産土はいらない 三砂ちづる | web春秋 はるとあき”. haruaki.shunjusha.co.jp. 2021年5月31日閲覧。
  20. ^ 沼野充義『徹夜の塊3 世界文学』「ヨーロッパの片隅で村上春樹とノーベル賞と世界文学のことを考えた」p.57
  21. ^ a b 天草のこと、水俣のこと。「魂の叫び」を言葉に。”. 石牟礼道子. 2021年6月12日閲覧。
  22. ^ Ishimure Michiko and Global Ecocriticism” (英語). The Asia-Pacific Journal: Japan Focus. 2021年6月18日閲覧。
  23. ^ 宏子鈴木. “《邑から日本を見る》10 石牟礼道子さん逝く 足尾-水俣-福島 | NEWSつくば”. 2021年6月20日閲覧。
  24. ^ 童女はどのように石牟礼道子になったのか三谷雅純、兵庫県立人と自然の博物館、2018年3月20日
  25. ^ 石牟礼道子さんの原点に「はは」がいる 一周忌の集い、吉増剛造さん×今福龍太さん対談好書好日、朝日新聞社、2019.04.22
  26. ^ 石牟礼 2014、53-56頁
  27. ^ 朝日賞 2001-2019年度”. 朝日新聞社. 2023年1月7日閲覧。
  28. ^ ふたりの道行き 「志村ふくみと石牟礼道子の“沖宮”」”. NHK (2019年1月19日). 2021年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月23日閲覧。
  29. ^ 渡辺他 2013, pp. 12–13.
  30. ^ 「文藝春秋」編集部. “88歳の思想史家・渡辺京二が語る「作家・石牟礼道子の自宅に通った40年」”. 文春オンライン. 2021年6月3日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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