沙流郡
北海道の郡
人口15,425人、面積1,735.16km²、人口密度8.89人/km²。(2024年10月31日、住民基本台帳人口)
以下の2町を含む。
郡域
編集歴史
編集郡発足までの沿革
編集江戸時代の沙流郡域には、松前藩によってサル場所が開かれていた。陸上交通は、渡島国の箱館から道東や千島国方面に至る道(国道235号の前身)が通じ、海上交通は門別に北前船が寄航することもあった。寛政10年ころ、幕府巡検使近藤重蔵によって義経神社が創祀される。
江戸時代後期、沙流郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年沙流郡域は天領とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固を担当した。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して沙流郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
編集- 明治2年
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び開拓使の管轄となる。
- 明治5年
- 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
- 第22大区
- 1小区 : 佐瑠太村、富仁家村、平賀村、紫雲古津村、荷菜村、平取村
- 2小区 : 二風谷村、荷負村、長知内村、幌去村、貫気別村
- 3小区 : 門別村、荷菜摘村、波恵村、慶能舞村、賀張村、厚別村、菜実村
- 第22大区
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての沙流郡が発足。
- 明治13年(1880年)3月 - 勇払郡外四郡役所(勇払白老千歳沙流新冠静内郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。
- 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
- 明治20年(1888年)6月 - 浦河郡外六郡役所(浦河三石様似幌泉沙流新冠静内郡役所)の管轄となる。
- 明治30年( 1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、浦河支庁の管轄となる。
- 明治42年(1909年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、門別村、佐瑠太村、平賀村、富仁家村、波恵村、慶能舞村、賀張村、厚別村、菜実村の区域をもって門別村(二級村)が発足。(1村)
- 大正8年(1919年) - 幌去村から右左府村が分離して成立。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 北海道二級町村制施行に伴い、以下の町村が発足。(3村)
- 昭和4年(1929年)4月1日 - 門別村が北海道一級町村制を施行。
- 昭和7年(1932年)8月15日 - 浦河支庁が改称して日高支庁となる。
- 昭和18年(1943年)
- 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道日高支庁の管轄となる。
- 昭和27年(1952年)4月1日 - 門別村が町制施行して門別町となる。(1町2村)
- 昭和29年(1954年)11月1日 - 平取村が町制施行して平取町となる。(2町1村)
- 昭和37年(1962年)11月1日 - 日高村が町制施行して日高町となる。(3町)
- 平成18年(2006年)3月1日 - 門別町・日高町が合併し、改めて日高町が発足。(2町)
- 平成22年(2010年)4月1日 - 日高支庁が廃止され、日高振興局の管轄となる。
参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 1 北海道