徐 宗幹(じょ そうかん、Xu Zonggan、1796年 - 1866年)は清の官僚。字は樹人。 江蘇省通州出身。1820年に進士となり、武城・泰安などで知県を務めた。その後高唐知州に昇進した。1848年、按察使銜分巡台湾兵備道に任命され、1853年には林恭の蜂起を鎮圧した。彼の統治期は広建書院が設立されるなど、治績が上がった。1854年、福建按察使となったが、巡撫の王懿徳と合わずに解任された。その後、河南省・安徽省で捻軍との戦いにあたり、1857年には浙江按察使・浙江布政使に昇進した。1862年に福建巡撫に抜擢され、戴潮春の乱の鎮圧にあたった。また1864年には太平天国の李世賢・汪海洋が広東省から福建省に入り、漳州に迫ったが、閩浙総督左宗棠と協力して、これを撃退した。1866年、在任中に死去。左宗棠と福州将軍英桂は徐宗幹をたたえる上奏を行っている。清恵の諡号が贈られた。
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