岩永三五郎(いわながさんごろう、寛政5年(1793年) - 嘉永4年(1851年))は、江戸時代後期に、肥後藩と薩摩藩で活躍した石工であり、種山石工の中心的人物である。妻は藤原林七の長女・三与、の娘を養女とした。