吉田 守隆(よしだ もりたか、天保2年(1831年) - 慶応4年6月18日(1868年8月6日))は、幕末期の天童藩家老。通称は大八。一般に吉田 大八で知られている。藩士の窮乏対策として将棋駒の製造を推奨し、奥羽鎮撫使先導役を藩主名代として務めたが、情勢の変化により失脚、切腹した。上州小幡藩時代、藩主織田信邦に才をかわれて上席家老となった曾孫。