司馬 乂(しば がい、277年 - 304年)は、西晋の皇族で八王の乱の八王の一人。字は士度。武帝司馬炎の第17子。生母は審美人。 他の諸王らと共に大叔父の司馬倫の打倒に協力、次いで従兄弟の司馬冏を打倒し功を挙げたが、自身は専横を行わず政治の実権は異母弟の司馬穎に一任した。しかしさらなる権力の増大を望む司馬穎と、朝権を奪い損なった族父の司馬顒が共同して乱を起こすと、恵帝を奉じて鎮圧に当たったものの、最後は別の族父である司馬越の裏切りにより敗北して処刑された。