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- 刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)は、奥羽山脈・蔵王連峰の宮城県側、刈田岳(標高1,758m)山頂にある神社である。 鎮座地は、かつて熊野岳の奥州と羽州の境塚の上に建立されていたが、噴火口に近くたびたび炎上するので、正保(1645-48)ごろに仙台藩主と山形の松平氏が相談の上、刈田岳のお室(米堂)へ遷座したと伝えられる。 古来、蔵王連峰中最高峰の熊野岳(標高1,841m)には、蔵王、白山、熊野の三社が祀られており、その里��は奥州羽州ともに現存している。参詣路表口(宮城県側)の鳥居は蔵王町円田中大鳥居囲に三の鳥居、疣石(いぼいし)に二の鳥居、不動瀧に一の鳥居が建てられていた。宝沢口三乗院文書によれば、三社拝礼の式法が正しい往昔の山法としている。 明治40年(1907)に宮城県が行った『社寺 神社由緒調 仙台市刈田郡柴田郡 九冊の一』(宮城県公文書館所蔵)中の郷社刈田嶺神社自らが提出した「神社調査書」(明治39年7月4日 社司 藤本薫雄 神社信徒総代人 刈田郡宮村字遠刈田百七拾五番地 千歳英之進(以下略 6人が宮村字遠刈田、6人が仙台市在住)においても、「刈田郡宮村字倉石岳鎮座」と明記しており、七ヶ宿町に所在するとした公文書は一切存在しない。 (ja)
- 刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)は、奥羽山脈・蔵王連峰の宮城県側、刈田岳(標高1,758m)山頂にある神社である。 鎮座地は、かつて熊野岳の奥州と羽州の境塚の上に建立されていたが、噴火口に近くたびたび炎上するので、正保(1645-48)ごろに仙台藩主と山形の松平氏が相談の上、刈田岳のお室(米堂)へ遷座したと伝えられる。 古来、蔵王連峰中最高峰の熊野岳(標高1,841m)には、蔵王、白山、熊野の三社が祀られており、その里宮は奥州羽州ともに現存している。参詣路表口(宮城県側)の鳥居は蔵王町円田中大鳥居囲に三の鳥居、疣石(いぼいし)に二の鳥居、不動瀧に一の鳥居が建てられていた。宝沢口三乗院文書によれば、三社拝礼の式法が正しい往昔の山法としている。 明治40年(1907)に宮城県が行った『社寺 神社由緒調 仙台市刈田郡柴田郡 九冊の一』(宮城県公文書館所蔵)中の郷社刈田嶺神社自らが提出した「神社調査書」(明治39年7月4日 社司 藤本薫雄 神社信徒総代人 刈田郡宮村字遠刈田百七拾五番地 千歳英之進(以下略 6人が宮村字遠刈田、6人が仙台市在住)においても、「刈田郡宮村字倉石岳鎮座」と明記しており、七ヶ宿町に所在するとした公文書は一切存在しない。 (ja)
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- 宮城県刈田郡蔵王町倉石岳 (ja)
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- Japan Miyagi (ja)
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- 宮城県刈田郡蔵王町倉石岳 (ja)
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- 刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)は、奥羽山脈・蔵王連峰の宮城県側、刈田岳(標高1,758m)山頂にある神社である。 鎮座地は、かつて熊野岳の奥州と羽州の境塚の上に建立されていたが、噴火口に近くたびたび炎上するので、正保(1645-48)ごろに仙台藩主と山形の松平氏が相談の上、刈田岳のお室(米堂)へ遷座したと伝えられる。 古来、蔵王連峰中最高峰の熊野岳(標高1,841m)には、蔵王、白山、熊野の三社が祀られており、その里宮は奥州羽州ともに現存している。参詣路表口(宮城県側)の鳥居は蔵王町円田中大鳥居囲に三の鳥居、疣石(いぼいし)に二の鳥居、不動瀧に一の鳥居が建てられていた。宝沢口三乗院文書によれば、三社拝礼の式法が正しい往昔の山法としている。 明治40年(1907)に宮城県が行った『社寺 神社由緒調 仙台市刈田郡柴田郡 九冊の一』(宮城県公文書館所蔵)中の郷社刈田嶺神社自らが提出した「神社調査書」(明治39年7月4日 社司 藤本薫雄 神社信徒総代人 刈田郡宮村字遠刈田百七拾五番地 千歳英之進(以下略 6人が宮村字遠刈田、6人が仙台市在住)においても、「刈田郡宮村字倉石岳鎮座」と明記しており、七ヶ宿町に所在するとした公文書は一切存在しない。 (ja)
- 刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)は、奥羽山脈・蔵王連峰の宮城県側、刈田岳(標高1,758m)山頂にある神社である。 鎮座地は、かつて熊野岳の奥州と羽州の境塚の上に建立されていたが、噴火口に近くたびたび炎上するので、正保(1645-48)ごろに仙台藩主と山形の松平氏が相談の上、刈田岳のお室(米堂)へ遷座したと伝えられる。 古来、蔵王連峰中最高峰の熊野岳(標高1,841m)には、蔵王、白山、熊野の三社が祀られており、その里宮は奥州羽州ともに現存している。参詣路表口(宮城県側)の鳥居は蔵王町円田中大鳥居囲に三の鳥居、疣石(いぼいし)に二の鳥居、不動瀧に一の鳥居が建てられていた。宝沢口三乗院文書によれば、三社拝礼の式法が正しい往昔の山法としている。 明治40年(1907)に宮城県が行った『社寺 神社由緒調 仙台市刈田郡柴田郡 九冊の一』(宮城県公文書館所蔵)中の郷社刈田嶺神社自らが提出した「神社調査書」(明治39年7月4日 社司 藤本薫雄 神社信徒総代人 刈田郡宮村字遠刈田百七拾五番地 千歳英之進(以下略 6人が宮村字遠刈田、6人が仙台市在住)においても、「刈田郡宮村字倉石岳鎮座」と明記しており、七ヶ宿町に所在するとした公文書は一切存在しない。 (ja)
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- 刈田嶺神社 (蔵王町刈田岳) (ja)
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