作宮(さくのみや、元禄2年6月27日(1689年8月12日) - 元禄5年4月23日(1692年6月7日))は、江戸時代中期の日本の皇族。常磐井宮(桂宮)第6代。霊元天皇の第10皇子。母はの女の菅原経子。幼少は最初、正宮(まさのみや)で元禄4年(1691年)作宮に改称した。 元禄2年8月八条宮尚仁親王が継嗣となる王子のないまま薨去したため、父帝の命によって、親王の継嗣として同年10月宮家を相続し、常磐井宮の宮号を賜る。元禄4年上述のように作宮に改称するが、元禄5年4月23日薨去。4歳。法名は浄功徳院。 作宮については、宮家を継承しているが、宮家の屋敷に入っていなかったため、桂宮歴代に加えない場合もある。

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  • 作宮(さくのみや、元禄2年6月27日(1689年8月12日) - 元禄5年4月23日(1692年6月7日))は、江戸時代中期の日本の皇族。常磐井宮(桂宮)第6代。霊元天皇の第10皇子。母はの女の菅原経子。幼少は最初、正宮(まさのみや)で元禄4年(1691年)作宮に改称した。 元禄2年8月八条宮尚仁親王が継嗣となる王子のないまま薨去したため、父帝の命によって、親王の継嗣として同年10月宮家を相続し、常磐井宮の宮号を賜る。元禄4年上述のように作宮に改称するが、元禄5年4月23日薨去。4歳。法名は浄功徳院。 作宮については、宮家を継承しているが、宮家の屋敷に入っていなかったため、桂宮歴代に加えない場合もある。 (ja)
  • 作宮(さくのみや、元禄2年6月27日(1689年8月12日) - 元禄5年4月23日(1692年6月7日))は、江戸時代中期の日本の皇族。常磐井宮(桂宮)第6代。霊元天皇の第10皇子。母はの女の菅原経子。幼少は最初、正宮(まさのみや)で元禄4年(1691年)作宮に改称した。 元禄2年8月八条宮尚仁親王が継嗣となる王子のないまま薨去したため、父帝の命によって、親王の継嗣として同年10月宮家を相続し、常磐井宮の宮号を賜る。元禄4年上述のように作宮に改称するが、元禄5年4月23日薨去。4歳。法名は浄功徳院。 作宮については、宮家を継承しているが、宮家の屋敷に入っていなかったため、桂宮歴代に加えない場合もある。 (ja)
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