三木一草(さんぼくいっそう)は、後醍醐天皇の建武政権下で重用された4人の寵臣、結城親光・名和長年・楠木正成・千種忠顕の総称。「ユウキ」、(名和は伯耆守であったことから)「ホウキ」、「クスノキ」、「チクサ」と4人の姓や官職の読みにちなむ。南北朝の内乱に先立つ建武の乱の戦いで、延元元年/建武3年(1336年)前半に相次いで没した。