コンテンツにスキップ

青島町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あおじまちょう
青島町
廃止日 1954年3月31日
廃止理由 新設合併
藤枝町青島町高洲村稲葉村大洲村葉梨村藤枝市
現在の自治体 藤枝市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 静岡県
志太郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 14,920
国勢調査1950年
隣接自治体 藤枝町、高洲村、大洲村、稲葉村、六合村
青島町役場
所在地 静岡県志太郡青島町
座標 北緯34度51分03秒 東経138度15分02秒 / 北緯34.8508度 東経138.2506度 / 34.8508; 138.2506座標: 北緯34度51分03秒 東経138度15分02秒 / 北緯34.8508度 東経138.2506度 / 34.8508; 138.2506

大井川流域の町村制施行時の町村。16が青島村。(1.藤枝町 5.葉梨村 6.稲葉村 17.大洲村 18.高洲村 31.西益津村→藤枝町)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

青島町(あおじまちょう)は静岡県の中部、志太郡に属していたである。

現在の藤枝市南部、藤枝駅周辺にあたる。本項では町制前の名称である青島村についても記す。

地理

[編集]

歴史

[編集]
「青島町誕生」

大正11年の駅前通り。写真に見える万国旗や旭日型の装飾は、町制の施工によってたんじょうした「青島町」を祝うものであった。町制施行が青島の人々にとってどんなに待ち遠しく、またよろこばしいものであったかは、「町制記念歌」の流行の事実によってわかる。瀬戸新屋に住む青島作太郎さん(明治20年生まれ)の記憶による記念歌は次の通りである。

大正11年戌の年 元日よりぞ青島町 松の緑の青島町 戸数は一千四百軒 其の大半の商店は 銀行会社工場と 軒をそろへて立ち並ぶ 群の中心地の利を得 藤相線は省線と 東西南北十文字 交通運輸の利便あり 志太榛原の集散地 松の緑ももろともに 行く末永く栄えよと 祝へ町民打ちつれて

昼間は学校の生徒達が旗行列を組み、夜は町民が提燈行列をつらねて声高らかに歌ったのだという。

— 『写真集明治大正昭和 藤枝』「ふるさとの想い出75」昭和55年より抜粋[1]

交通

[編集]

鉄道路線

[編集]

道路

[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集]
  • 志太温泉

参考文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 八木洋行・野本寛一共編『写真集明治大正昭和 藤枝』「ふるさとの想い出75」昭和55年、国立国会図書館蔵書、2018年4月3日閲覧。

関連項目

[編集]