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超信地旋回

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

超信地旋回(ちょうしんちせんかい)またはスピンターン[1]spin turn[1][2][3][4][5], neutral turn[4], counter-rotation turn[6])とは、油圧ショベル戦車のように履帯(クローラー)をもつ車両が、左右の履帯を互いに逆方向に等速回転させることによって、車体の中心を軸としてその場で旋回することをいう[1][7]

信地旋回と緩旋回

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履帯式車両のその場旋回の方式としてもう一つ、信地旋回(しんちせんかい)またはピボットターン[8](英:pivot turn[8][2][3][5][6], skid turn[9])がある。これは、片側の履帯を停止してもう一方の履帯だけを回転させ、停止側の履帯を軸(pivot)として旋回するものである[8][7][10]。また、左右の履帯を同じ方向へ、速度に差をつけて回転させ、前進または後退しながら弧を描いて進路を変えることを緩旋回[10][3](かんせんかい、英:power turn, gradual turn[11])と呼ぶ。

信地旋回や超信地旋回は、履帯式車両に特有の機動とされる[7]が、スキッドステアローダーのように、装輪(タイヤ)式の車両で超信地旋回が可能なものもある。(自走式車椅子も超信地旋回が可能)

超信地旋回は、信地旋回に比べて小さなスペースで行うことができる。したがって、小回りの要求される工事現場などで用いられるが、路面・路床への負荷は大変大きい。また、左右の履帯を反転させるためには、より高度なトランスミッションが必要となる。

戦車の超信地旋回

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戦車では、第二次世界大戦当時までは超信地旋回可能な車両は限られていた。これが可能な戦車として、イギリスのメリット・ブラウン式変速装置をもつチャーチル歩兵戦車クロムウェル巡航戦車以降の型や、ドイツティーガー戦車系列[12]が挙げられる。これらは、左右の履帯の速度を変えて滑らかな旋回が可能であったが、特に重戦車の場合、超信地旋回の多用は履帯の脱落や故障の発生の原因となるので、あまり行われなかった。アメリカの戦車では、戦後のM41 ウォーカー・ブルドッグM46パットンのクロスドライブ式トランスミッションの採用以降、超信地旋回が可能となっている。この方式は、以後の世界中の戦車に採用されている。

現代では、NATO加盟国をはじめとする西側諸国のほぼ全ての主力戦車が超信地旋回可能である。日本陸上自衛隊では74式戦車90式戦車10式戦車が対応している。

一方、ソビエトの戦車のほとんどは超信地旋回が不可能となっている。ソビエト製戦車から発展した東側諸国中国の多くの戦車も同様である。ロシアではT-90までは超信地旋回が不可能だったが、量産に向けて開発が進んでいる最新型のT-14で超信地旋回が可能になった[13]

語源

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「信地」とは、元来は馬術用語で[14][15][16]、「その場」や「同じ場所」を意味する[17][14][15][16]。例えば「信地速歩」[18]は「その場での速歩」という意味になり、ピアッフェのことである[16][18]。「信地旋回」(信地旋廻)という表現も、戦車が発明される以前の明治時代の騎兵砲兵向けの馬術書に既に見られる[19][20][21][22][23]

信地旋回」という語は馬術書には見られない。「信地旋回」の確認できる古い用例としては、『内燃機関』という雑誌の1940年(昭和15年)1月号に掲載された解説記事「装軌車輛の特性を語る」[24]がある。この解説記事は、無限軌道車輛の直進・緩旋回・信地旋回を説明した後、まだ実用化されていない新たな旋回方式として左右の履帯を互いに逆方向に回転させる方式を紹介し、それを「超信地旋回」と命名している。

λ が負の値[注釈 1]をとると旋回中心は車輛トレッド内に入り、λ = −1 において旋回中心は車輛中心と完全に一致する。この種の旋回はいまだいずれの国においても採用されておらぬと信ずるが、旋回に場所を要せぬことこれに勝るものなく、将来必ず真面目に考慮せらるべき一つの旋回方式であると思う。筆者はこの旋回を仮に超信地旋回と名付ける(第16図参照)。 — 蒲生郷信[注釈 2]「装軌車輛の特性を語る」『内燃機関』第4巻第1号、1940年1月、171ページ。[24]
(旧字旧仮名遣いの原文を常用漢字と新仮名遣いに改めて引用した。文字強調は引用者。)

『火兵学会誌』の1940年(昭和15年)9月号に掲載された「戦車発達の趨勢」という解説記事[28]は、上述の記事「装軌車輛の特性を語る」を出典として以下のように述べている。

一方の無限軌道を他側に対して減速された速度で駆動することによって行う緩旋回と一方を全然停止し片側だけを駆動することによって行う信地旋回とがあり,さらに特殊な構造を用いて左右の無限軌道を反対方向に駆動することにより旋回の中心を軌間内に置いて旋回するところの超信地旋回と名付くべきものがある(3)

(3) 蒲生郷信,装軌車輛の特性を語る,内燃機関 昭和15年1月 — 小池四郎「戦車発達の趨勢」『火兵学会誌』第34巻第3号、1940年9月、128ページ。[28]
(旧字旧仮名遣いの原文を常用漢字と新仮名遣いに改めて引用した。文字強調は引用者。)

1944年(昭和19年)7月に出版された書籍『戦車・機甲化』[29]では、「超信地旋回」という言葉が既存の用語として特に断りなく使われている。

一、緩旋回 一方の軌道を他側に対し減速された速度で駆動することによって起る。図A
二、信地旋回 一方の軌道を全然停止し、片側だけを駆動することによって起る。図B
三、超信地旋回 左右の軌道を反射方向に駆動することによって起る。図C — 梅津勝夫著『戦車・機甲化』1944年、153ページ。[29]
(旧字旧仮名遣いの原文を常用漢字と新仮名遣いに改めて引用した。文字強調は原文通り。)

脚注

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注釈

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  1. ^ この解説記事[24]での λ とは、旋回時の外側履帯の速度を内側履帯の速度で割った指標で、例えば直進の場合は λ = 1 である。信地旋回の場合は内側履帯の速度が0となるため、λ = ∞ である。「λ が負の値」とは、内側履帯を外側履帯とは逆方向に回転させることを意味し、特に λ = −1 の場合は左右の履帯を互いに逆向きに等速回転させることを指している。
  2. ^ 著者の蒲生郷信は兵器関連の技術者で、東京帝国大学を卒業して昭和8年に三菱重工業に入社し、戦車のディーゼルエンジンを開発していた[25]。1944年に海軍の意向を受けて技術導入の派遣員としてドイツへ向かった(遣独潜水艦作戦#第五次遣独艦)が、乗艦した伊52潜水艦が途上で撃沈されて戦死した[26][25][27]宇野亀雄#便乗者・搭載物資も参照。

出典

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  1. ^ a b c 「3022 スピンターン」、『JIS A 8403-1:1996 土工機械−油圧ショベル−第1部:用語及び仕様項目』、11ページ。
  2. ^ a b Nobutaka Ito, "Practical Method of Improving The Turnability of Terrain Vehicles," Journal of Terramechanics, Elsevier, Vol.27, No.4, pp. 331-341, doi:10.1016/0022-4898(90)90032-H, 1990.
  3. ^ a b c 伊藤信孝、鬼頭孝治、白捷、「履帯式車両の旋回性の評価について(第1報) 超信地旋回と信地旋回」、農業機械学会誌、56巻6号、11-16ページ、NAID 130004366680、1994年.
  4. ^ a b Bruce Maclaurin, "A Skid Steering Model with Track Pad Flexibility," Journal of Terramechanics, Elsevier, Vol.44, No.1, pp. 95-110, doi:10.1016/j.jterra.2006.03.002, 2007.
  5. ^ a b Operator's Manual: Kubota Excavator Model U35-4” (PDF). Kubota Corporation. pp. 30-31 (2012年). 2018年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月24日閲覧。
  6. ^ a b Section 30: Driving the Machine - Steering the Machine”. John Deere Operator Manual View - 655C and 755C Crawler Loaders. Deere & Company (2009年). 2018年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月11日閲覧。
  7. ^ a b c 白石光、『戦車』(歴群図解マスター)、学研パブリッシング、2013年、ISBN 978-4054058187、120-121ページ。
  8. ^ a b c 「3021 ピボットターン」、『JIS A 8403-1:1996 土工機械−油圧ショベル−第1部:用語及び仕様項目』、11ページ。
  9. ^ James D. Brown, Michael Green, M4 Sherman at War, Zenith Press, 2007, ISBN 978-0760327845, p.46.
  10. ^ a b 宮本晃男『自動車と戦車の操縦』(国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化資料送信サービス限定公開)、育生社弘道閣、1942年(昭和17年)、118ページ。
  11. ^ CX75SR, CX80 and CX135SR Excavators Operator's Manual” (PDF). CASE Construction Equipment. pp. 69-70. 2018年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月11日閲覧。
  12. ^ 構造的に不可能と思われていたが、稼働ティーガーを所蔵するボービントン戦車博物館によると「動力用クラッチを切り、ステアリング用クラッチを繋いだ状態だと左右の履帯を逆に回すことができ、車体長の範囲での旋回が可能」株式会社タミヤホームページ『タイガーI 開発こぼれ話』
  13. ^ Боевой танец «Арматы»: на какие трюки способен новейший российский танк”. Телеканал ЗВЕЗДА (13 September 2015). 14 September 2015閲覧。
  14. ^ a b 遊佐幸平『遊佐馬術』(国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化資料送信サービス限定公開)、羽田書店、1940年(昭和15年)、104ページ。
  15. ^ a b 遊佐幸平、『遊佐馬術 続』(国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化資料送信サービス限定公開)、羽田書店、1943年(昭和18年)、63ページ。
  16. ^ a b c ジェームス・フィリス著、遊佐幸平訳註、荒木雄豪編、『フィリス氏の馬術』、恒星社厚生閣、1993年(平成5年)、ISBN 4769907664、53ページの荒木註。
  17. ^ 陸軍騎兵実施学校教官 鈴木少佐、「馬術(続)」、『日本之産馬』第2巻第10号(国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化資料送信サービス限定公開)、産馬同好会、1912年(大正元年)、56ページ。
  18. ^ a b "piaffe"、『新英和大辞典』第6版、研究社、2002年(平成14年)、ISBN 4767410266、1863ページ。
  19. ^ 松村延勝乗馬必携』(国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開)、内外兵事新聞局、1884年(明治17年)、附図「馬場乗第二図」。国立国会図書館デジタルコレクションの第95コマで、ページ中央左の図の中とその下の説明文に「前足信地旋囬」および「後足信地旋囬」(囬は回の異体字)とある。
  20. ^ 高橋正照、『馬道新書』(国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開)、敬業社、1889年(明治22年)、十六ページ。
  21. ^ 陸軍乗馬学校訳、『馬術教程』(国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開)、陸軍乗馬学校、1891年(明治24年)、二百二十二ページ。
  22. ^ 高橋静虎、『馬術教程』(国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開)、軍事教育会、1903年(明治36年)、一一五ページ。
  23. ^ 澤淳、『野砲兵隊新兵馬術教育』(国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開)、川流堂、1909年(明治42年)、二百七十ページ。
  24. ^ a b c 蒲生郷信「装軌車輛の特性を語る」『内燃機関』第4巻第1号、山海堂、1940年1月、165-175頁。 国立国会図書館書誌ID:000000099184NCID AN00235271
  25. ^ a b 新延明・佐藤仁志「乗客・蒲生郷信さんの遺族」『消えた潜水艦イ52』NHK出版〈NHKスペシャル・セレクション〉、1997年8月、24-26, 54-55頁。ISBN 4-14-080307-X 
  26. ^ 『戦史叢書 第88巻 海軍軍戦備(2) 開戦以後』朝雲新聞社、1975年、439頁。(同書オンライン版:書籍版の439頁はオンライン版の第231コマ)
  27. ^ 「祖父の軌跡たどるH2A 戦死知り技術者魂に火」『中日新聞朝刊』2016年10月31日、27面。 (蒲生郷信の孫に取材した記事)
  28. ^ a b 小池四郎、「戦車発達の趨勢」『火兵学会誌』(国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化資料送信サービス限定公開)、火兵学会、第34巻第3号、1940年9月、123-132ページ。
  29. ^ a b 梅津勝夫、『戦車・機甲化』(国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化資料送信サービス限定公開)、改造社、1944年(昭和19年)、153ページ。