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真岡町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まおかちょう
真岡町
真岡の街並み
真岡の街並み
廃止日 1949年6月1日
廃止理由 国家行政組織法施行
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 樺太地方
都道府県 樺太庁 真岡支庁
真岡郡
面積 109.210[1] km2.
総人口 28,521
2016年12月1日
隣接自治体 真岡郡広地村蘭泊村清水村
真岡町役場
所在地 樺太庁真岡郡真岡町本町一丁目
特記事項 1943年4月1日以降は北海地方に所属。
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真岡町(まおかちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した

真岡という地名は、アイヌ語の「マオカ」(静かな場所)、「マ・オカ」(川口が入江になっている海岸)による[2]

現在はロシア連邦がサハリン州ホルムスクとして実効支配している。

概要

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恵須取町と並ぶ樺太西海岸の中心都市であった。大規模な港湾施設が存在し、日本最北の不凍港とも呼ばれていた。暖流である対馬海流の影響により、比較的温暖な気候であった。

1919年樺太工業による製紙工場ができたことから、樺太屈指の製紙業の街となった。工場は、市街地南部の93,000坪の敷地に建設され、必要な水資源は樺太庁が手井川ダムを建設し、貯水池から工業用水として取水した。これらの水は、民生用にも振り分けられたことから市民の生活環境も向上した。鉄道も、1919年に真岡駅-本斗駅間、1920年に真岡駅-野田駅間が開通し、パルプの原料材の輸送に寄与した。短期間にインフラが充実したこともあり、1921年5月、タバコの不始末から工場が全焼した際にも、すぐさま再建が始まり、翌年には生産が再開された。樺太産業は、1933年王子製紙と合併したが、工場自体は終戦まで稼働が続いた[3]。2000年代においても、市街地の郊外に工場の廃墟が現存している。

真岡港の様子

ソビエト連邦による占領

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1945年8月20日、ソ連軍が艦砲射撃を行って侵攻した時に、真岡郵便局電話交換手の女性12名のうち9名が自殺(自決)し、3名が生還した真岡郵便電信局事件でも有名である。北海道稚内市稚内公園にある「九人の乙女の像」はこの事件の犠牲者九人を慰霊するものである。ソ連軍の真岡侵攻に際しては、隣接する真岡郡清水村瑞穂において瑞穂事件が起きた。

熊笹峠宝台ループ線を舞台に日ソ両軍が激戦を交えた。

樺太からの引揚船は真岡港から出港し、北方領土を含むソ連占領地域の住民28万人余りがここから日本内地)へ向かった。

歴史

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町内の地名

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  • 真岡
  • 北真岡
  • 浜真岡
  • 宇遠泊(うえんどまり)
  • 本泊(ほんどまり)
  • 手井(てい)
  • 荒貝(あらかい)
  • 荒貝沢(あらかいざわ)
  • 熊笹峠(くまざさとうげ)
  • 粂子舞(くめこまい)
  • 知志内(ちしない)
  • 池の端(いけのはた)
  • 宇遠泊沢(うえんどまりざわ)
  • 知志内沢(ちしないざわ)

[5][6]

出身有名人

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地域

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観光

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  • 悲恋塚 - 高浜町の一角に建てられた、長崎県にて羅紗緬であった森高お光と共に北海へ向かったスクーナー船アリュート号の船長であるイ・ネーを追悼する石碑。水夫長であったテンビーによって建立された[7][8]1936年(昭和11年)8月11日から25日にかけて開催された樺太庁始政三十回記念樺太拓殖共進会の演藝館ではこの話をもとに阿部悅郞によって書き下ろされたラジオドラマ「悲戀塚」が放送された[9][10]。(演出は山野井洋、出演は河合すみ子一座)

教育

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以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[11]

国民学校

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  • 樺太公立真岡第一国民学校
  • 樺太公立真岡第二国民学校
  • 樺太公立真岡第三国民学校
  • 樺太公立真岡第四国民学校

中等学校

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  • 樺太庁真岡中学校
  • 樺太庁真岡高等女学校
  • 樺太公立真岡商業学校

脚注

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  1. ^ 市町村別日本国勢総攬 下卷(帝国公民教育教会 1938年)に「面積 七・〇八一方里」とあり。
  2. ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.305
  3. ^ 樺太林業史編集会 『樺太林業史』 p109-110 1960年 農林出版株式会社
  4. ^ 読売新聞2015年4月24日13S版7面
  5. ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
  6. ^ 『眞岡町全圖』三井與市、1925年。 
  7. ^ 北蝦夷秘聞 : 樺太アイヌの足跡(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 『短歌研究』《6月號》改造社、1937年。 
  9. ^ 北日本汽船株式会社二十五年史(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 山野井洋『樺太人物論』ポドゾル社、1937年。 
  11. ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1684 - 85、p. 1692 - 93

関連項目

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