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尻矢 (給油艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尻矢
1938年4月28日[1]
1938年4月28日[1]
基本情報
建造所 横浜船渠[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 (特務船)[3]
運送艦[4](給油艦[5])
級名 知床型[6]
建造費 成立予算 1,500,000円[7]
母港 横須賀(1923年時)[8]
艦歴
計画 大正7年度(1918年)、八六艦隊案[9]
起工 1921年4月7日[10][2]
進水 1921年11月12日[11][2]
竣工 1922年2月8日[2]
最期 1943年9月22日
除籍 1943年12月1日[12][注釈 1]
要目(主に1924年)
基準排水量 公表値 14,050トン[2]
常備排水量 計画 15,400トン[2][13]
軽荷排水量 5,385トン[5]
総トン数 7,637総トン[5]
全長 470 ftin (143.48 m)[5]
垂線間長 455 ft 0 in (138.68 m)[5]
最大幅 58 ft 2+34 in (17.75 m)[5]
深さ 計画 35 ft 0 in (10.67 m)[13]
吃水 計画 26 ft 6 in (8.08 m)[13]
軽荷平均 10 ft 4 in (3.15 m)[14]
ボイラー 舶用円罐式缶(円缶[15]) 4基(1923年時)[8]
ロ号艦本式缶 4基(1938年時)[16]
主機 直立3気筒3段レシプロ1基[16]
推進 1軸 x 80rpm(計画)[17]
直径5.486m、ピッチ5.943m[17]
出力 4,800馬力[5]
速力 12.5ノット[5]
経済速力 8ノット[5]
燃料 石炭 庫内1,609トン + 庫外1,400トン[5]
航続距離 8,160カイリ / 8ノット[5]
乗員 定員 157名[18][注釈 2]
搭載能力 補給用重油 8,304トン[5]
清水供給可[5]
獣肉、魚肉、野菜、氷の各冷蔵庫[5]
載貨トン数 838容積トン(931重量トン)[5]
兵装 50口径3年式14cm単装砲 2門[16]
40口径三年式8cm単装高角砲 2門[16]
(竣工時に砲は装備していない[19])
搭載艇 内火艇1隻、カッター2隻、通船1隻[5]
その他 2トン・デリック 4本[5]
便乗者用寝台 2床[5]
トンはすべて英トン
計画要目は知床型給油艦も参照
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尻矢(しりや)は日本海軍給油艦[5]知床型の6番艦で[6]、艦名は青森県下北半島北東の尻矢埼による[20]

艦歴

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1918年(大正7年)度の八六艦隊案で計画され、横浜船渠1922年(大正11年)2月8日に竣工、横須賀鎮守府籍となる。当初の予定艦名は野母(のも)であったという[21]。平時は海外からの重油輸送に従事した。

尻矢は1941年(昭和16年)10月15日に連合艦隊付属に編入された。11月27日[22]、第七駆逐隊(小西要人大佐[23])の駆逐艦に対する補給艦任務のため館山を出撃。第七駆逐隊は真珠湾攻撃の支援作戦であるミッドウェー島砲撃を行うが、第七駆逐隊より速力が遅いので常に先回りして会合点に進出する事となった[24]。12月4日と6日に洋上補給を行ってミッドウェー島に向かう第七駆逐隊と別れ、次の会合点へと移動[25]。砲撃を終えて帰投する第七駆逐隊と12月10日に再合流し、翌11日に洋上補給を行った[26]。12月17日にも洋上補給を行う予定だったが、潜水艦騒ぎと怪船舶 - 正体は輸送船浅間丸日本郵船、16,975トン) - 騒ぎのため補給は中止となった[26]。尻矢は12月22日に柱島泊地に入港し、呉海軍工廠で整備を行った。

整備完了後、尻矢は1942年(昭和17年)1月20日に横須賀を出撃して北方に進出、大湊釧路厚岸で特設監視艇に対する補給任務に従事した。5月10日に北緯45度38分東経151度40分で舵が故障して航行不能となり、軽巡洋艦「多摩」によって大湊へ曳航された[27]

6月30日から8月10日まで函館船渠で入渠、修理を行い、9月にかけてトラックへの輸送任務に当たった。10月からは昭南(シンガポール)への輸送任務に2回従事した。1943年(昭和18年)1月16日に呉を出港し、7月までバリクパパンスラバヤ方面での輸送任務に従事した。尻矢は7月19日に横須賀に入港後、横浜船渠で入渠修理を行った。8月9日に横浜港を出港し、輸送船団に加入して門司馬公サンジャックを経由して9月2日に昭南に到着した。尻矢は9月5日、輸送船団に加入して昭南を出港し、サンジャックを経由して9月18日に馬公に入港した。

9月20日、尻矢は臨時B船団に加入して馬公を出港し、駆逐艦朝顔の護衛を受けて日本本土に向かった[28]。翌21日夜、北緯26度33分 東経122度40分 / 北緯26.550度 東経122.667度 / 26.550; 122.667の地点[29]にさしかかったところでアメリカ潜水艦トリガーの攻撃を受けた。トリガーは浮上したまま攻撃を仕掛け[30]、尻矢は最初の攻撃による魚雷が命中して大爆発を起こし、瞬時に沈没した[31]。被雷当時、駆逐艦朝顔の艦橋では右90度方向に薄い閃光を確認したものの、艦長を含めと判断[32]。救援命令を受けて尻矢遭難現場に向かい(船団は護衛なして北上)、22日夜明けより救助活動を実施した[32]

同年12月1日、尻矢は除籍された[12][注釈 1]

公試成績

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実施日 内容 排水量 出力 速力 実施場所 備考 出典
1922年8月28日 公試全力 15,385英トン 4,631馬力 11.34ノット 小浜岩井袋間(東京湾) [33]
1922年9月12日 公試全力(1/5載貨) 7,740英トン 5,106馬力 11.00ノット[注釈 3] 同上 [34]

特務艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • (心得)田岡勝太郎 中佐:1921年11月20日 - 12月1日
  • 田岡勝太郎 大佐:1921年12月1日 - 1922年2月8日
特務艦長

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 『日本海軍特務艦船史』p.17、『写真日本の軍艦第13巻』p.43などでは1944年(昭和19年)10月10日除籍となっている。
  2. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第二その三「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務艦」によると1923年3月調べで142名(石廊157名)、#海軍制度沿革巻十一の2pp.1084-1085、昭和3年艦船要目公表範囲では公表値として155名としている。
  3. ^ 1/5載貨の計画は15ノットであるから速力の値は明らかに低い

出典

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  1. ^ #写真日本の軍艦第13巻pp.15上写真と解説
  2. ^ a b c d e f #海軍制度沿革巻十一の2pp.1057-1087、昭和3年2月14日附内令第43号、艦船要目公表範囲。うちpp.1084-1085。
  3. ^ #海軍制度沿革巻八pp.374-375『大正九年三月二十六日(達三一) 軍備補充費ヲ以テ大正九年度ニ於テ建造ニ著手スヘキ一等駆逐艦三隻二等駆逐艦八隻及特務船三隻ニ左ノ通命名ス(駆逐艦省略) 特務船三隻 尻矢(シリヤ) 石廊(イラウ) 鶴見(ツルミ)』
  4. ^ #海軍制度沿革巻八pp.103『大正九年四月一日(達四〇) 特務艦類別等級別表ノ通定ム (別表省略)』
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s #T14公文備考42/特務艦要目画像5-18、特務艦要目表(大正13年11月調)海軍省軍務局
  6. ^ a b #海軍制度沿革巻八pp.105『大正十五年十一月二十九日(内令二三九) 特務艦類別等級別表ノ通定ム (別表省略)』種別:運送艦、等級:(空白)、艦型:知床型、特務艦名:知床、能登呂、襟裳、佐多、鶴見、尻矢、石廊。
  7. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.259
  8. ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第二その三「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務艦」
  9. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.257-264
  10. ^ #T11公文備考33/特務艦鶴見、石廊、尻失製造一件(1)画像19、特務艦尻矢工事予定概括表
  11. ^ #T11公文備考33/特務艦鶴見、石廊、尻失製造一件(1)画像12、電報着信紙『十一月十二日横須賀長官 特務艦尻矢十一月十二日午後二時無事進水セリ 右報告ス』
  12. ^ a b #S18.8-12内令/昭和18年12月(1)画像7-8『内令第二千五百六十號(中略)横須賀鎮守府在籍 特務艦 尻矢 特務艦 風早 右帝國特務艦籍ヨリ除カル 昭和十八年十二月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  13. ^ a b c #T7公文備考20/特務艦製造画像27、(参考)能登呂級給油船 Particulars of 8,000 Ton Oil Steamer. July 12th, 1918.
  14. ^ #T14公文備考42/特務艦要目画像5-6、前部6ft-0in、後部14ft-8in
  15. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第三その三「昭和六年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、特務艦、掃海艇」
  16. ^ a b c d #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
  17. ^ a b #海軍造船技術概要p.1726
  18. ^ #海軍制度沿革巻十の2pp.645『大正九年八月一日(内令二七七) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 附表ノ通運送艦定員表其四ヲ加フ(附表略)』能登呂定員表の計欄、士官11人、特務士官2人、准士官3人、下士官26人、兵115人。同書p.647大正9年9月18日内令335知床追加、p.649同年12月16日内令497襟裳追加、p.651大正10年2月24日内令57佐多追加、p.658大正11年2月8日内令42尻矢追加、p.659同年3月14日内令77鶴見追加、p.663同年10月30日内令364石廊追加。#S19-10-31内令提要1上/第3類 定員(13)画像50、#S19-10-31内令提要1上/第3類 定員(14)画像1などから昭和19年まで戦時増員を除き定員の合計人数に変化はない。
  19. ^ 作成:阿部安雄「日本海軍補助艦艇要目表」#日本補助艦艇物語pp.388-391、特務艦の注1
  20. ^ 日本海軍艦船名考pp.257
  21. ^ 片桐, 586ページ。
  22. ^ 嶋崎, 31、32ページ
  23. ^ のちに空母雲龍艦長。1944年12月19日戦死
  24. ^ 嶋崎, 32ページ
  25. ^ 嶋崎, 34、36ページ
  26. ^ a b 嶋崎, 40ページ
  27. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、147ページ
  28. ^ 『(第一海上護衛隊)戦時日誌』pp.28、駒宮, 89ページ
  29. ^ 駒宮, 89ページ
  30. ^ 「SS-237, USS TRIGGER」P.153,155
  31. ^ 「SS-237, USS TRIGGER」P.153、駒宮, 89ページ
  32. ^ a b 両舷直の航跡92-93頁『雷撃現場へ』
  33. ^ #T11公文備考36/試験(5)画像29
  34. ^ #T11公文備考36/試験(5)画像36
  35. ^ 『官報』第3085号、大正11年11月11日。
  36. ^ 『官報』第3347号、大正12年10��18日。
  37. ^ 『官報』第3650号、大正13年10月22日。
  38. ^ a b 『官報』第3792号、大正14年4月16日。
  39. ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  40. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第585号 昭和16年1月25日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080300 
  41. ^ 海軍辞令公報(部内限)第654号 昭和16年6月14日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081400 
  42. ^ 海軍辞令公報(部内限)第704号 昭和16年9月5日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081900 

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 第一海上護衛隊司令部『昭和十八年九月一日同九月三十日 戦時日誌』(昭和18年6月1日〜昭和18年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030139800
    • 高雄警備府司令部『自昭和十八年九月一日至昭和十八年九月三十日 高雄警備府戦時日誌』(昭和18年6月1日〜昭和18年11月30日 高雄警備府戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030511200
    • 『大正7年 公文備考 巻20 艦船1/特務艦製造』。Ref.C08021104600。 
    • 『大正11年 公文備考 巻33 艦船1/特務艦鶴見、石廊、尻失製造一件(1)』。Ref.C08050444600。 
    • 『大正11年 公文備考 巻36 艦船4/試験(5)』。Ref.C08050451200。 
    • 『大正14年 公文備考 巻42 艦船止/特務艦要目』。Ref.C08051419000。 
    • 『昭和18年8月~12月 内令/昭和18年12月(1)』。Ref.C12070190200。 
    • 『昭和19年10月31日現在 10版 内令提要 巻1上/第3類 定員(13)』。Ref.C13072049000。 
    • 『昭和19年10月31日現在 10版 内令提要 巻1上/第3類 定員(14)』。Ref.C13072049100。 
  • SS-237, USS TRIGGER(issuuベータ版)
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の2』 明治百年史叢書 第183巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年、ISBN 4-7698-0386-9
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • 世界の艦船 増刊第47集 日本海軍特務艦船史』海人社、1997年3月号増刊
  • 嶋崎忠雄「第七駆「潮」ミッドウェー島砲撃の壮挙」『・別冊 太平洋戦争証言シリーズ(8) 戦勝の日々 緒戦の陸海戦記』潮書房、1988年
  • 福井静夫『日本補助艦艇物語』 福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0658-2 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 牧野茂福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4 
  • 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年8月。ISBN 4-7698-0463-6 
  • 山本佐次郎「第八章 開戦、商船艦隊と二等パー乗り」『両舷直の航跡』成山堂書店、1994年1月。ISBN 4-425-94471-2  著者は朝顔下士官。尻矢沈没に遭遇。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦』朝雲新聞社