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半沢士郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
半沢 士郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県
生年月日 (1945-06-19) 1945年6月19日(79歳)
身長
体重
181 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1964年
初出場 1964年6月2日
最終出場 1967年10月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

半沢 士郎(はんざわ しろう、 1945年6月19日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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鎌倉学園高では2年次の1962年にチームが春の選抜で準々決勝に進出するが、半沢の出場は無かった。同年の夏の甲子園県予選は決勝で慶應高と対戦し、7回にエースの永田善一(大毎)が打ち込まれ、リリーフとして登板するが3-8で敗れる。1年上のチームメイトに二塁手竹之内雅史西鉄・太平洋・クラウン阪神)がいた。主戦投手となった3年次の1963年夏の甲子園県予選では、オーバーハンドからの威力ある速球で一試合平均10個の三振を奪うが、準決勝で井上健仁(東映)、平岡一郎大洋ロッテ)両投手を擁する横浜高に4-8で敗退。

卒業後の1964年国鉄スワローズへ入団し、6月2日中日戦(中日)で初登板。3回に渋谷誠司石岡康三に次ぐ3番手でマウンドに上がり、7イニングのロングリリーフで中日打線から7三振を奪い初勝利を挙げた。翌3日森滝義巳の2番手リリーフで好投したが、同7日広島戦(広島市民)では山本一義に本塁打を浴びて初敗戦。同11日巨人戦(神宮)では3回から渋谷のリリーフに立ち、8回を1安打に抑えて延長10回サヨナラ勝ちの勝利投手となる。7月1日の中日戦(中日)で初先発も勝敗は付かず、同25日の阪神戦(甲子園)で初完投勝利、同28日の大洋戦(川崎)では2度目の完投勝利で初安打を含む3打数2安打もマーク。その後も先発陣の一角として起用され、同年は8勝10敗の成績を残し、規定投球回(リーグ13位、防御率3.07)にも達した。8勝中6勝は大洋・広島・中日から2勝ずつ挙げたものである。2年目の1965年4月25日の広島戦(広島市民)で延長10回完投勝利を挙げるが、これが現役最後の勝利となる。5月1日の中日戦(中日)に先発した後はの痛みに泣き、登板機会が無かった。3年目の1966年以降も肩の調子は戻らず、1967年10月17日の大洋戦(川崎)で2年ぶりに先発したが、佐藤一誠に本塁打を浴びて1回で降板。この試合が現役最後の登板となり、同年引退。

金田正一が「わしより速い」といったほどの直球[1]と度胸が売りであったが、怪我で開花しなかった悲劇の投手である。球速を実験されたこともあり、実験方法は、直径60cmのドーナツ型の円型機械を用意し、その内側にフォート・トランジスタ20個をはめ込む。放電して電気のカーテンの様なものを作り、この円型機械2つを36cm離して置き、2つの穴を投手が正確に通過すれば、ボールが最初の穴から2つ目の穴を通過する36cmに要した時間を100万分の1秒まで計測できた。これで半沢の球の秒速が42.6mと分かったが、時速にすれば153km超となる。しかもこの時の半沢は運動靴で、下はマウンドではなく、コンクリートであった。一方天才肌で、かわいがっていた金田が時に苦言を呈したこともあった[2]

引退後はバーを経営していた。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1964 国鉄
サンケイ
34 18 7 2 0 8 10 -- -- .444 684 163.2 142 12 73 2 1 110 2 0 65 56 3.07 1.31
1965 3 2 1 0 0 1 0 -- -- 1.000 52 13.1 7 0 6 0 2 12 0 0 1 1 0.69 0.98
1966 3 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 19 4.0 6 2 2 0 0 1 0 0 4 4 9.00 2.00
1967 4 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 28 4.2 12 1 3 0 0 3 0 0 6 6 10.8 3.21
通算:4年 44 21 8 2 0 9 10 -- -- .474 783 185.2 167 15 84 2 3 126 2 0 76 67 3.24 1.35
  • 国鉄(国鉄スワローズ)は、1965年途中にサンケイ(サンケイスワローズ)に球団名を変更

記録

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  • 初登板・初勝利:1964年6月2日、対中日ドラゴンズ9回戦(中日球場)、3回裏無死から3番手で救援登板・完了、7回無失点
  • 初先発登板:1964年7月1日、対中日ドラゴンズ12回戦(中日球場)、1回1/3を2失点で勝敗つかず
  • 初先発勝利・初完投勝利・初完封:1964年7月25日、対阪神タイガース18回戦(阪神甲子園球場

背番号

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  • 33 (1964年 - 1967年)

脚注

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関連項目

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