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ランチア・デルタS4

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

デルタS4LANCIA Delta S4 )は、イタリアの自動車メーカーであるランチア世界ラリー選手権(WRC)に参戦する目的で製作したスポーツカーである。「S4」の「S」はイタリア語のSovralimentata(スーパーチャージド)、「4」は四輪駆動(4WD)を意味する[1]

ストラダーレ

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ランチア・デルタS4
ストラダーレ
フロント
リアビュー
ボディ
乗車定員 2 人
駆動方式 ミッドシップ4WD
パワートレイン
エンジン 1,759cc 縦置き直列4気筒DOHC ツインチャージャー
最高出力 250 HP / 6750rpm
ダブルウィッシュボーン
ダブルウィッシュボーン
車両寸法
ホイールベース 2,327mm
全長 4,005mm
全幅 1,801mm
全高 1,501mm
車両重量 1197 kg
系譜
先代 ランチア・ラリー
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「連続する12ヶ月間で200台製造された車両。ただし競技用の車両20台を含めても良い」というグループBホモロゲーション(公認)を満たすために製作されたロードカー。「デルタ」の名を持つが、シャーシはデルタとは異なる専用設計である。型式名はZLA038ARO。ランチアの800番台やフィアットの100番台ではなく、アバルトの開発コードであるSE038に由来している。

エンジンはフィアット製1,759 ccの直列4気筒DOHC。これをリアミッドシップに縦置きする。過給器はターボチャージャーに加え、低回転域ではスーパーチャージャーを併用するツインチャージャーを採用している。

駆動方式は、1985年当時では最新と言える、センターデフビスカスカップリング式LSDを採用したフルタイム四輪駆動(4WD)である。

コンペティツィオーネ

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ランチア・デルタS4
コンペティツィオーネ
#209 フロント
リアビュー
ボディ
乗車定員 2 人
駆動方式 ミッドシップ4WD
パワートレイン
エンジン 1,759cc 縦置き 直列4気筒 DOHC ツインチャージャー
最高出力 456 - 600 PS
ダブルウィッシュボーン
ダブルウィッシュボーン
車両寸法
ホイールベース 2,440mm
全長 3,990mm
全幅 1,880mm
全高 1,400mm
車両重量 890 kg
系譜
後継 ランチア・ECV1
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WRCにグループB規定が導入されると、ランチアはミッドシップ後輪駆動ラリー037で成功を収めるが、ライバルメーカーの四輪駆動の熟成が進むと共に苦戦を強いられた。1985年シーズン末にランチアが投入したニューマシンS4はミッドシップ・4WDであることに加え、エンジンに二種類の過給機(アバルト製スーパーチャージャーとKKK英語版製ターボチャージャー[2])を付けていた。ターボラグが発生する低回転域はスーパーチャージャーがカバーし、4,000回転以上の高回転域をターボが受け持つ[2]。リアには2基の大型インタークーラーが設置され、ボディサイドにはインタークーラー用のエアインテークが張り出している。

エンジンの排気量1,759ccは、過給機係数×1.4で2,500cc以下に収まるサイズ。車両区分の2,500cc以下クラスでは最低重量が890kgとなり、3,000cc以下クラスの960kgよりも軽量化のメリットを得られる。最高出力456ps/8,000rpm、最大トルク46kgf·m/5,000rpmを発生し、1986年最終戦アクロポリス・ラリーでは600psを超えていた。パワーウエイトレシオは2kg/psを切り、そのパワーで890kgの軽量な車体を加速させた。ただしこの過剰なパワーがピーキーな挙動を生み、乗り手を選ぶ車ともなった。また、アルミニウム製の燃料タンクが運転席の真下に位置していたため、後述のトイヴォネンの悲惨な死亡事故につながってしまった。

5速ギアボックスは縦置き直列4気筒エンジンの前方にミッドマウントされ、センターデフを介して前後30:70の割合で4輪に駆動力を配分する。初期のエボリューションモデルには、デフロックのためのレバーがある。

主な戦歴・エピソード

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WRCの1985年の最終戦RACラリーで実戦投入され、ヘンリ・トイヴォネンマルク・アレンの1-2フィニッシュでデビューウィンを飾る。

1986年は1月の開幕戦ラリー・モンテカルロでトイヴォネンが優勝。第2戦ラリー・スウェーデンではアレンが2位。第3戦ラリー・ポルトガルヨアキム・サントスフランス語版ポルトガル語版フォード・RS200がコースアウトしたことで観客の死傷事故が発生し、全ワークスドライバーが自主リタイア。第4戦サファリラリーは旧型の037で参戦。

しかし第5戦ツール・ド・コルスにおいて、トップを快走していたトイヴォネンがSS18でコースアウト。マシンは崖下に転落して炎上し、トイヴォネンとコ・ドライバーのセルジオ・クレスト英語版が死亡した。重大事故が続発したグループBは危険すぎると判断され、1986年シーズンをもって終了することが決定された。

第8戦ラリー・アルゼンチンミキ・ビアシオンがWRC初勝利を獲得。第11戦ラリー・サンレモはライバルのプジョー・205T16E2がサイドスカートの規定違反で全車失格し、アレン、ダリオ・チェラート英語版セミワークス)、ビアシオンが1-2-3フィニッシュを達成した。プジョーはこの判定を不服としてFISA英語版に控訴する。最終戦オリンパス・ラリー英語版でもアレンが優勝し、プジョーのユハ・カンクネンを抑えてドライバーズ&マニュファクチャラーズ両部門の制覇を決めたが、シーズン後にFISAはサンレモでのリザルトを無効と裁定し、選手権ポイントから除外した結果、アレンとランチアの栄光は幻と消えた。

1985年も含め、デルタS4の通算成績は13戦中6勝。ランチアのワークスで参戦したラリーカーでは唯一タイトルの無い車両となった。

WRCのグループB終了後はパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム等にプジョーやアウディ勢と参戦した。

ビアシオンによるデルタS4の評として、「工学的には間違ったコンセプトの車。競技性能のみを追求し、安全性については全く配慮していなかった」という否定的な見解を示した一方、「強烈に魅惑的な車で、自分に最も感動を与えてくれたラリーカーは間違いなくS4だった。狂った馬を抑え付け、支配できるような感覚は他の何者にも代えがたかった」との感想を残している[3]

試作車

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ランチア・ECV

グループB終了のため撤回された上位カテゴリ、グループS用のマシンとして企画されたものに、S4の発展型である「ランチア・ECV (Lancia_ECV」および「ECV2」(アバルト開発コードSE041)と「グルッポS」(アバルト開発コードSE042)がある。

ECV
ECVはExperimental Composite Vehicle(実験的複合車両)の意味。エンジンは過給機を小径ツインターボ2基に変更し、1気筒あたり4バルブの吸気バルブと排気バルブを互い違いに配置する「トリフラックス (Triflux) 」という特殊なエンジンヘッドの設計にしている。シャーシはマルチチューブラーフレームカーボンケブラーの複合材で補強。さらに無段変速機 (CVT) を搭載するような構想もあった。
実車は1986年のボローニャモーターショーで公開されたあと、後述のECV2に改装された。かつてセミワークスチームであったヴォルタ・レーシングがアバルトから引き取っていたパーツ類を組んでレプリカを製作し、2010年10月にサンマリノで行われた「ラリー・レジェンド」で初走行している。
ECV2
ECV2は1988年にハイテク素材と空力改善のテストベッドとして発表された。フロント・リアの冷却系を改良し、インタークーラーを水冷式に変更。ボディ形状がハッチバックからクーペに様変わりした。現在はトリノのランチアコレクションに保存されている[4]

脚註

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  1. ^ 『RALLY CARS Vol.16 LANCIA DELTA S4』、三栄書房、2017年、16頁。
  2. ^ a b LANCIA DELTA S4 - 四国自動車博物館(2017年8月10日閲覧)。
  3. ^ 第8回:WRC――グループBの挑発 ひたすら速さを求め続けた狂乱の時代 - webCG
  4. ^ 原田了 (2016年3月27日). “グループSはグループBのアクシデント多発でお蔵入りに”. WEB CARTOP. 2017年8月14日閲覧。

参考文献

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  • 『RALLY CARS Vol.16 LANCIA DELTA S4』三栄書房〈サンエイムック〉、2017年

関連項目

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外部リンク

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