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シリア社会民族党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シリアの旗 シリアレバノンの旗 レバノン政党
シリア社会民族党
アラビア語: الحزب السوري القومي الاجتماعي
成立年月日 1932年
本部所在地 シリアの旗 シリアダマスカス
レバノンの旗 レバノンベイルート
シリア人民議会議席数
7 / 250   (3%)
(2016年3月16日)
レバノン国民議会議席数
3 / 128   (2%)
(2018年3月6日)
政治的思想・立場 シリア・ナショナリズム
アラブ社会主義
世俗主義
反シオニズム
公式サイト Ssnp الحزب السوري القومي الاجتماعي
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2008年のレバノンの武力衝突期間の3月9日にベイルートで掲げられたSSNPの旗
大シリア

シリア社会民族党(シリアしゃかいみんぞくとう、アラビア語: الحزب السوري القومي الاجتماعي‎、ラテン文字転写:al-Ḥizb as-Sūrī al-Qawmī al-'Ijtimāʕīフランス語: Parti Populaire Syrien, Parti Social Nationaliste Syrien英語: Syrian Social Nationalist PartySSNP)は、シリアレバノンなどの世俗主義ナショナリスト政党

SSNPは、現在のシリア・レバノン・イラクヨルダンパレスチナキプロスクウェートシナイ半島トルコ南部・イラン北部などを含む、肥沃な三日月地帯に跨る「大シリア」の民族国家を建設すると主張している[1]大シリア主義)。シリアでバアス党に次いで大きい政治的集団で[2]、構成員は10万名を超える。党員の多くがシリア・レバノンの東方正教徒とされ、世俗主義の姿勢を取る事からイスラム教の党員も存在する。

SSNPは1932年ベイルートアントゥーン・サアーデ (en)によって創立され、特に1949年と1961年の政変を含め、レバノンの政治で大きな役割を演じた。1982年からのレバノンのイスラエルによる占領に対する抵抗活動は現在も継続しており、アマルヒズボラと共に抵抗開発ブロックである3月8日同盟(en:March 8 Alliance)に参加している。

シリアでは、SSNPは1950年代に主要な政治的勢力となったが、1955年にシリア社会民族党員がアドナーン・アル=マーリキーを暗殺したことは水面下で連携を模索していたシリア共産党とバアス党に口実を与え[3]、徹底的に弾圧された。しかし組織は残り、2005年にバッシャール・アル=アサド政権で合法化されてバアス党が指導する国民進歩戦線(en:National Progressive Front)に入った。

シリアにおいて同党は、イサーム・マハーイリー派(6議席)とインティファーダ派(2議席)に分かれており内、インティファーダ派が2012年に国民進歩戦線を離脱、変革と解放のための人民戦線に参加した。ただし、インティファーダ派は代表のアリー・ハイダル氏が2012年以降も国民和解担当国務大臣を担当するなどバアス党とも協働している他、2014年にインティファーダ派は変革と解放のための人民戦線を離脱した。また、シリア内戦においてシリア社会民族党の民兵組織はシリア政府軍に与して反体制武装勢力と戦闘を行っている。


参照

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  1. ^ Irwin, p. 24; ssnp.com "Our Syria has distinct natural boundaries…" (accessed 30 June 2006).
  2. ^ http://www.debka.com/headline.php?hid=5425 The SSNP is now Syria’s largest party after the ruling Baath.
  3. ^ Commins 2004, p. 183

参考

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外部リンク

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