領石通停留場
領石通停留場 | |
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停留場全景 | |
りょうせきどおり Ryoseki dori | |
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右上は土佐大津駅 | |
所在地 | 高知県高知市大津 |
所属事業者 | とさでん交通 |
所属路線 | 後免線 |
キロ程 | 4.1 km(後免町起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1910年(明治43年)12月4日 |
乗換 | 土佐大津駅(土讃線) |
領石通停留場(りょうせきどおりていりゅうじょう)は、高知県高知市大津にあるとさでん交通後免線の路面電車停留場。「大津領石通」と案内されることもある。
本項ではかつて付近に存在した大津停留場(おおつていりゅうじょう)についても述べる。
歴史
領石通停留場が開業したのは1910年(明治43年)12月[1]。とさでん交通の前身土佐電気鉄道によって鹿児停留場から大津停留場までの区間が開通したのに合わせて開業した[2]。この大津停留場は当停留場の隣、後免町寄り0.4キロメートル地点に存在した停留場[3]。当停留場に同じく鹿児 - 大津間の開通に合わせて開業し、当時ははりまや橋方面から開通してきた路線の終点だった[2][3]。翌1911年(明治44年)1月には後免町方面に路線が伸び、後免中町通停留場までの区間が開通[2][3]。大津停留場はその後、1912年(明治45年・大正元年)以降に廃止されたとされる[3]。
2003年(平成15年)には北を流れる舟入川の河川改修とそれに伴う道路の拡幅を受け、当停留場付近で後免線の軌道を新線に切り替え[4]。合わせて当停留場も移設されている[3][4]。
年表
- 1910年(明治43年)12月4日:鹿児から大津までの区間が開通、土佐電気鉄道の停留場として開業[2][3]。
- 1911年(明治44年)1月27日:大津から後免中町通までの区間が開通[2][3]。
- 1912年(明治45年・大正元年)以降:大津停留場が廃止[3]。
- 1984年(昭和59年)11月1日:渡り線を新設し、高知市内から20本が折り返し運転開始。
- 2003年(平成15年):護岸工事による線路付け替えに伴い、はりまや橋方面のりばを6月21日、後免町方面のりばを7月5日に移設。現在の位置となる。
- 2014年(平成26年)10月1日:土佐電気鉄道が高知県交通・土佐電ドリームサービスと経営統合し、とさでん交通が発足[5]。とさでん交通の停留場となる。
停留場構造
ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟んで向かい合わせに配置される(相対式ホーム)[6]。線路の北側にあるのが後免町方面行きのホーム、南にあるのがはりまや橋方面行きのホーム[6]。はりまや橋方面のホームに職員(乗務員)・男女兼用の水洗式便所がある。駐輪場も整備されている[7]。
後免町方に渡り線があり[6][7]、はりまや橋方面への折り返し便が昼間を中心に設定される。
停留場周辺
近くに高校があり、住宅も多いため利用者は比較的多い。岡豊町八幡地区など南国市一部地域の最寄りとなる。停留場名にある「領石」は根曳峠の登り口にあたる南国市の地名[1][8]。当地��ら北に伸びる旧街道を進むと領石に至る[1][8]。
隣の停留場
脚注
- ^ a b c 『土佐電鉄が走る街 今昔』87頁
- ^ a b c d e 『土佐電鉄が走る街 今昔』100・156-158頁
- ^ a b c d e f g h 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、61頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ a b 服部重敬(編著)『路面電車新時代 LRTへの軌跡』山海堂、2006年、294頁。ISBN 4-381-01816-8。
- ^ 上野宏人 (2014年10月2日). “とさでん交通:「再出発」 「便利な市民の足に」高知で設立式 新デザインの車両披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b c 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第2巻 四国西部エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年、35,91頁。ISBN 978-4-06-295161-6。
- ^ a b 川島令三『全国鉄道事情大研究』 四国篇、草思社、2007年、292頁。ISBN 978-4-7942-1615-1。
- ^ a b 『路面電車はゆく 高知』高知新聞社、1998年、10頁。ISBN 4-87503-268-4。
参考文献
- 土佐電鉄の電車とまちを愛する会『土佐電鉄が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2006年。ISBN 4-533-06411-6。