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名雪雅夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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なゆき まさお

名雪 雅夫
生誕 1949年9月25日
日本の旗 日本 東京都
死没 (2014-02-16) 2014年2月16日(64歳没)
東京都
死因 肺がん
国籍 日本の旗 日本
出身校 中央大学法学部卒業
職業
受賞 菊池寛賞1999年
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名雪雅夫(なゆき まさお、1949年(昭和24年)9月25日 - 2014年(平成26年)2月16日[1]は、日本新聞記者ジャーナリスト実業家産業経済新聞社取締役副社長などを歴任した。東京都港区生まれ。

経歴

人物

1989年12月、ワルシャワ支局長だった名雪はクーデターによって独裁体制の崩れたルーマニアに入り、銃撃に遭った。一発はこめかみをかすめ、もう一発は背中に命中した。幸い、ハンガリー側に脱出して町医者に背中から銃弾を摘出してもらい、事なきを得た。そして無事を編集局に伝えると、返ってきたのは住田良能外信部長(のち社長)の「おまえは毛がないから怪我(けが)なくてよかったな」という駄洒落だった。名雪は怒りのあまり、受話器をたたきつけそうになったという[2]。だが、後に名雪は、住田が電話口で泣いていたと知らされる[3]

住田の亡くなったあと発行された産経社内報『We』 住田良能追悼号に名雪は追悼文を寄せ、こう結んでいる。「気持ちを素直に出せず、憎まれ口になるところが、いかにも住田流なのだ。軽口をたたきながら涙をためている住田部長の姿を思い浮かべると、いまでも胸が熱くなる。合掌」[3]

映画作品

著書

共著

脚注

  1. ^ “名雪雅夫氏が死去 元産経新聞社副社長”. 日本経済新聞. (2014年2月18日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1802Z_Y4A210C1CC1000/ 2023年2月4日閲覧。 
  2. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2015年2月11日). “【産経抄】送り出す側の苦悩 2月11日”. 産経ニュース. 2022年7月22日閲覧。
  3. ^ a b 佐高 信 (2015年2月23日). “佐高 信の「一人一話」産経新聞に『護憲』の広告 前社長 住田良能の男気”. ダイヤモンドオンライン. https://diamond.jp/articles/-/67123 2023年1月29日閲覧。