メンディオラFC 1991
メンディオラFC 1991 | |||
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原語表記 | Mendiola Football Club 1991 | ||
創設年 | 1991年 | ||
所属リーグ | フィリピン・フットボールリーグ | ||
ホームタウン | マニラ | ||
ホームスタジアム | リサール・メモリアル・スタジアム | ||
収容人数 | 12,873 | ||
監督 | Dan Padernal | ||
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メンディオラFC 1991(英: Mendiola Football Club 1991)は、フィリピン・マニラをホームタウンとするサッカークラブ。クラブ名はマニラのサン・ミゲル地区にあるメンディオラ通りに由来する。
歴史
1991年夏、メンディオラ通りで活動していたサン・ベダ大学のサッカーチームはフィリピン軍のチームや他のクラブや大学によってマニラの名声あるリーグに参加を呼びかけられたが、選手が足りなかったことから、他の大学から選手を招き入れる形でメンディオラ・フットボール・クラブが成立した。クラブは4位でリーグを終えた。
1997年には最初のセミプロリーグであるマニラ・プレミアフットボールリーグに参加した。クラブはその後メンディオラ・ユナイテッド (Mendiola United) と改名し、2008年のみ開催されたフィリピノ・プレミアリーグおよび翌2009年から始まったユナイテッド・フットボールリーグ (UFL) の創設メンバーとなった。しかし、2010年にUFLから撤退してしまう。2011年はスポンサーの協賛によってスマート・サン・ベダFC (Smart San Beda FC)のクラブ名で活動した。この年にPFF国内男子クラブ選手権で準優勝する。2012年に現在のクラブ名に改称して、UFLカップ1回戦を勝ち抜けた。
2017年にフィリピン・フットボールリーグ (PFL) が創設された際にもメンディオラは参加しなかったが、2019年にPFLに代わってフィリピンプレミアリーグ (PPL) が発足することになり、参加7クラブの中にメンディオラも含まれていた[1]。メンディオラは最初の審査でクラブライセンスが交付されなかったためPPLの開催は延期された[2]。結局PPLは4クラブの参加に留まった上に1節のみで中止されてしまい、当初の7クラブであらためてPFLが開催されることになった[3]。
歴代在籍選手
- ロクシー・ドーラス 2008-2011
- ジェームズ・ヤングハズバンド 2011
- フィリップ・ヤングハズバンド 2011
脚注
- ^ Reuben Terrado (2019年5月1日). “Inaugural Philippine Premier League kicks off with seven-team cast”. Spin.ph. 2020年2月16日閲覧。
- ^ “PFF Club Licensing Issues Decisions”. フィリピンサッカー連盟 (2019年3月23日). 2020年2月16日閲覧。
- ^ “Philippines Football League featuring seven clubs to return on May 25”. FOX Sports Asia (2019年5月16日). 2020年2月16日閲覧。
外部リンク
- メンディオラFC 1991 (MendiolaFootballClub) - Facebook
- メンディオラFC 1991 (@mendiolafc) - X(旧Twitter)
- メンディオラFC 1991 (@mendiolafc) - Instagram