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アヅマヤ百貨店

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株式会社アヅマヤ百貨店[1]
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
宮崎県延岡市幸町2丁目127番地[1]
設立 1965年昭和40年)3月1日[2]
代表者 代表取締役 永野繁知[1]
資本金 1000万円[1]
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アヅマヤ百貨店
Azumaya
店舗概要
所在地 宮崎県延岡市幸町2丁目127番地[1]
開業日 1959年(昭和34年)10月22日[3]
閉業日 2000年平成12年)12月31日[4]
施設所有者 株式会社アヅマヤ百貨店
商業施設面積 5,412.084 m²[1]
前身 井上旅館[3]
後身 ココレッタ延岡
最寄駅 延岡駅
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アヅマヤ百貨店 日向店
Azumaya
店舗概要
所在地 宮崎県日向市原町1丁目[5]
開業日 1969年(昭和44年)2月[6]
閉業日 1991年(平成3年)4月15日[7]
商業施設面積 4,951 m²[5]
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アヅマヤ百貨店(アヅマヤひゃっかてん)は、1919年大正8年)から2000年平成12年)まで宮崎県延岡市にあった日本の百貨店である。

歴史・概要

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1919年大正8年)に永野作一が延岡市船倉町で繊維品の卸売業を創業したのが始まりである[8]1935年昭和10年)に延岡市船倉町と中町の交差点の角に3階建ての洋館を建設し、「アヅマヤ洋品店」として洋品雑貨の専門店を開業した[8]。 そして、1936年(昭和11年)1月30日に延岡市中町649番地に資本金10万円で[9]合名会社アヅマヤ洋品店」を設立して法人化した[10]

しかし、第2次世界大戦の戦災で店舗を焼失し、戦後復興させた[8]

そして、1951年(昭和26年)4月1日[11]資本金1000万円で「アヅマヤ株式会社」を設立した[12]

1958年(昭和33年)4月に日向店を開設し、同年6月に山下店を開設した[12]

延岡駅前が市内で最も発展するとの考えから[13]、井上旅館の跡地に3階建ての建物を建設して[3]1959年(昭和34年)10月22日アヅマヤ百貨店として開業した[3]。 この店舗には、宮崎県北部で初のエスカレーターが設置され、始めて乗る子供たちの人気を集めたとされている[8]

そして、1965年昭和40年)3月1日に「株式会社アヅマヤ百貨店」を設立し[2]、同社に小売部門を分離して[11]、幸町店を継承させた[1]

1965年(昭和40年)12月24日には百貨店法に基く百貨店としての認可を受け[1]、5階建てに増築して1966年(昭和41年)11月13日に同法に基づいた本格的な百貨店を開業した[13]。 その後、寿屋の進出や旭化成サービスの増設に対抗するため南側の土地を買収し[14]1969年(昭和44年)11月に1,917m2増床して売場面積約5,412m2とした[15]

また、同年2月には日向市にも百貨店を出店した[6]

贈答品などについて[13]三越から商品供給を受け[16]、高級品の取り扱いの強化も図った[13]

屋上遊園地のある地上8階建ての建物に展望レストランを持ち、宮崎県北部唯一の百貨店として人気を集めた[17]

寿屋や旭化成サービスと共に延岡の3台店舗として激しい商戦を繰り広げた[14]

1981年(昭和56年)にシジシージャパンに加盟した[18]

1982年(昭和57年)3月に高島屋と業務提携をした[19]

1991年(平成3年)4月15日に日向店を閉店した[7]

1995年(平成7年)に「Aカード」として「日専連延岡」と提携して割引や金利優遇などの販売促進策を行い、近隣の商店街との連携を強めて集客力の向上を図った[20]

しかし、郊外型ショッピングセンターとの競合などで業績不振に陥り、2000年(平成12年)8月29日に負債総額約15億円を抱えて宮崎地方裁判所延岡支部に民事再生法の適用申請を行った[21]が、資金難のため同年12月31日に閉店に追い込まれ、その歴史に終止符を打った[4][17]

跡地は民事再生手続きの廃止に伴い、宮崎地方裁判所延岡支部により競売にかけられたが、落札されなかったため、延岡商工会議所の関連企業である延岡商工会館が約1.3億円で任意売却の形で取得した[17]2002年(平成14年)11月23日に駐車場となった[22]

その後2006年(平成18年)5月に地元延岡出身の安部清明社長が経営するティナプリが跡地などを借入れて公共施設と商業施設の複合ビルを建設することを発表し[17]2007年(平成19年)にココレッタ延岡としてオープンした[23]

年表

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かつて存在した店舗

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  • (初代)アヅマヤ洋品店(延岡市大字中町649[24]1935年昭和10年)開店[8]
  • 幸町店(延岡市幸町2-127[25]
  • (2代目)アヅマヤ洋品店(延岡市山下町3520[25]1958年(昭和33年)6月開店[12]
  • 日向支店(日向市大字日知屋9180[25]1958年(昭和33年)4月開店[12]

かつて存在した関連企業

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資本金10万円[24]、代表社員・永野作一[24]
資本金1000万円[11]、各種繊維品卸売業[11]

脚注・出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j “2社新加入”. 日本百貨店協会通報 1966年12月号 (日本百貨店協会) (1966年12月).pp4-5
  2. ^ a b c 『西日本会社要覧 昭和41年版』 西日本新聞社、1966年。pp441
  3. ^ a b c d e 『延岡市史 下巻』 延岡市、1983年。pp723
  4. ^ a b c “宮崎きょうの歴史”. 宮崎日日新聞 (宮崎日日新聞社). (2010年12月31日) 
  5. ^ a b “大規模小売店舗法の施行状況について(その2) ”. 九州商工時報 1974年9月号 (九州商工協会) (1974年9月).pp9
  6. ^ a b c 甲斐勝 『日向市の歴史』 日向市総務課市制二十周年事務局、1973年6月10日。pp717
  7. ^ a b c 『日本百貨店協会統計年報 1991年』 日本百貨店協会、1991年8月。pp4
  8. ^ a b c d e f g h 『延岡市史 下巻』 延岡市、1983年。pp731
  9. ^ a b c “商業登記”. 官報 第2752号 (大蔵省印刷局) (1936年3月7日).pp160
  10. ^ 『西日本産業要覧』 福岡日日新聞社、1937年12月30日。pp280
  11. ^ a b c d e f g h 『全国繊維企業要覧 昭和43年版』 信用交換所大阪本社、1967年9月15日。pp6-7
  12. ^ a b c d 『日本纖維商社銘鑑 昭和39年版 上巻』 東京信用交換所、1964年8月20日。pp100
  13. ^ a b c d e “創立30周年特別企画 会員百貨店のあゆみから(その11)九州(Ⅱ)”. 日本百貨店協会会報 1009号 (日本百貨店協会) (1978年9月).pp48
  14. ^ a b 『延岡市史 下巻』 延岡市、1983年。pp732
  15. ^ a b “3.大手スーパーと地場企業の対応”. 九州経済統計月報 1971年9月号 (九州経済調査協会) (1971年9月).pp45
  16. ^ “百貨店の提携グループの概要 A・D・0,JMA,大丸,髙島屋,松坂屋,三越以上6グループ”. 日本百貨店協会会報 977号 (日本百貨店協会) (1977年5月).pp32-33
  17. ^ a b c d e “延岡市 アヅマヤ跡��に複合商業施設”. 夕刊デイリー (夕刊デイリー新聞社). (2006年5月20日) 
  18. ^ a b “トピックス・ニュース・ジャーナル”. 商業界 1981年9月号 (商業界) (1981年9月).pp93-101
  19. ^ a b 建野堅誠 『日本ス-パ-発達史年表-5-』 長崎県立国際経済大学論集 21号(4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1988年3月)。pp70
  20. ^ 花里聡明 “あゆっこスタンプ&日専連カードで超履きごこち良いシューズを売る専門店”. 専門店 1998年6月号 (協同組合連合会日本専門店会連盟) (1998年6月).pp12
  21. ^ a b “〈資料〉全国地裁別・民事再生法申請企業一覧”. Credit & law2000年11月号 (東日本出版) (2000年11月).pp68
  22. ^ a b 『読売年鑑 2003年版』 読売新聞社、2003年3月。 pp569
  23. ^ a b “ココレッタ延岡購入へ 延岡商工会館”. 夕刊デイリー (夕刊デイリー新聞社). (2011年6月30日) 
  24. ^ a b c d 『全国銀行会社要録 45版下』 東京興信所、1941年9月15日。pp宮崎県3
  25. ^ a b c 総理府統計局 編『会社企業名鑑 昭和40年版』 日本統計協会、1965年11月。pp979

関連項目

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