八木徹雄
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八木 徹雄(やぎ てつお、1916年(大正5年)1月31日[1] - 1971年(昭和46年)7月4日[1])は、自由民主党衆議院議員(5期)。正四位勲二等。
経歴
[編集]愛媛県越智郡乃万村延喜[1](現今治市延喜)生まれ。愛媛県立今治中学校卒業後上京し、砂田重政立憲政友会衆議院議員秘書。1937年、大倉高等商業学校卒業。1951年、保守党の最年少議員として、愛媛県議会議員に初当選。日本民主党愛媛県支部幹事長を経て、1958年2月、第27回衆議院議員総選挙愛媛2区補欠選挙に自由民主党で立候補するが、落選。同年5月の第28回衆議院議員総選挙愛媛県第2区に自由民主党から出馬し、初当選。以後、連続5期務める。1963年7月、第2次池田第3次改造内閣文部政務次官 。同年12月、第3次池田内閣文部政務次官。1967年、第2次佐藤第1次改造内閣総理府総務副長官。1970年、衆議院文教委員長。1971年4月、病気のため文教委員長を理事の河野洋平に指名。同年7月、衆議院議員在任中に死去。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『愛媛県百科大事典』下、愛媛新聞社、1985年。
- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年。
公職 | ||
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先代 上村千一郎 |
総理府総務副長官 1967年 - 1968年 |
次代 鯨岡兵輔 |
議会 | ||
��代 大坪保雄 |
衆議院文教委員長 1970年 - 1971年 |
次代 丹羽兵助 |