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劉 智容(りゅう ちよう、423年 - 472年)は、南朝斉の高帝蕭道成の正室(即位前没)。皇后に追封された。本貫は広陵郡。
劉寿之と桓氏(上虞都郷君)の娘として生まれた。十数歳で蕭道成にとつぎ、蕭賾と蕭嶷を生んだ。泰豫元年(472年)、死去した。享年は50。蕭承之の墓のそば、のちの泰安陵の地に葬られた。昇明2年(478年)、竟陵公国夫人の位を追贈された。昇明3年(479年)、斉国妃の位を追贈された。同年(建元元年)に斉が建てられると、昭皇后と追諡された。その後、夫の諡を重ねて「高昭皇后」と称された。
- 『南斉書』巻20 列伝第1
- 『南史』巻11 列伝第1