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百済王利善

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2023年4月22日 (土) 02:10; 学者気取りの先頭はここで終わり! (会話 | 投稿記録) による版 (「百済王三松氏系図」は信頼に値しない系図であると 上野利三「「百済王三松氏系図」の史料価値について:律令時代の帰化人の基礎的研究[https://core.ac.uk/download/pdf/145790992.pdf]」で証明されているため、それに関わる記述を削除。)(日時は個人設定で未設定ならUTC

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百済王利善
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 延暦3年5月24日784年6月16日
官位 従四位下散位頭
主君 称徳天皇光仁天皇桓武天皇
氏族 百済王氏
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百済王 利善(くだらのこにきし りぜん)は、奈良時代貴族官位従四位下散位頭

経歴

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称徳朝天平神護元年(765年従五位下叙爵し、翌天平神護2年(766年飛騨守に任ぜられる。

光仁朝でも宝亀2年(771年讃岐員外介と地方官を務めたのち、宝亀7年(776年)従五位上、宝亀10年(779年正五位下天応元年(781年)正五位上、延暦2年(783年)従四位下と、光仁朝末から桓武朝初頭にかけて順調に昇進した。

延暦3年(784年)5月24日卒去。最終官位は散位頭従四位下。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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参考文献

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