コンテンツにスキップ

バンテアイ・サムレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2023年3月12日 (日) 16:05; 美ら海 (会話 | 投稿記録) による版 (外部リンク)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
バンテアイ・サムレ
ប្រាសាទបន្ទាយសំរែ
Banteay Samré
バンテアイ・サムレの中央祠堂部
基本情報
所在地 アンコール遺跡
座標 北緯13度26分32秒 東経103度57分32秒 / 北緯13.44222度 東経103.95889度 / 13.44222; 103.95889座標: 北緯13度26分32秒 東経103度57分32秒 / 北緯13.44222度 東経103.95889度 / 13.44222; 103.95889
宗教 ヒンドゥー教
シェムリアップ
地区 シェムリアップ郡英語版
シェムリアップ州
カンボジアの旗 カンボジア
現況 遺跡
建設
形式 クメール建築英語版
様式 アンコール・ワット様式
創設者 スーリヤヴァルマン2世
完成 12世紀中頃
建築物
正面
資材 ラテライト砂岩
テンプレートを表示

バンテアイ・サムレ(Banteay Samré、クメール語: ប្រាសាទបន្ទាយសំរែ)は、カンボジアアンコール遺跡群における寺院遺跡の1つであり、東バライの東側に位置する。12世紀中頃にスーリヤヴァルマン2世(在位1113-1150年)の統治時代に造られたアンコール・ワット様式のヒンドゥー教寺院であり[1]、小アンコール・ワットともいわれる[2]

高さ6メートルの外周壁に囲まれたバンテアイ・サムレは、インドシナ半島の古代民族サムレ (Samré) にちなんで名づけられ、「サムレ(入れ墨)族の砦」の意をもつ[3]。寺院はバンテアイ・スレイと同じ材料を用いている。

バンテアイ・サムレは1936-1944年にフランスモーリス・グレーズ英語版により修復された[4]

構成

[編集]
ラテライトの外周壁

ラテライトで造られた周壁がほぼ正方形に囲んでおり、外・内周壁の東西南北それぞれに塔門(ゴープラgopura)を持つ[1]。外周壁は83×77メートルであり、通常、ラテライトのテラスから続く東門より入場する[1]。内周壁(回廊)は44×38メートルである[1]。内周壁には回廊へと改造された痕跡が認められる[5]

二重の周壁には連子窓(れんじまど)が見られ、円錐状の塔をもつ中央祠堂と、東側の基壇上に南・北となる2棟の経蔵などを備える[3][6]

寺院の東西に参道があり、ラテライトの上に砂岩を敷いた東参道は延長200メートル、境界石が両端に認められる西参道は350メートルにおよび東バライの東端まで続く[6][7]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d Rooney, Dawn F. (2011). Angkor: Cambodia's Wondrous Khmer Temples (6th ed.). Odissey. pp. 335-338. ISBN 978-962-217-802-1 
  2. ^ 石澤良昭『アンコール・ワット - 大伽藍と文明の謎』講談社〈講談社現代新書〉、1996年、89頁。ISBN 4-06-149295-0 
  3. ^ a b 平山善吉『アンコールの遺跡』連合出版、2011年、74-75頁。ISBN 978-4-89772-262-7 
  4. ^ Jessup, Helen Ibbitson; Brukoff, Barry (2011). Temples of Cambodia - The Heart of Angkor. Bangkok: River Books. p. 152. ISBN 978-616-7339-10-8 
  5. ^ 『アンコール遺跡の建築学』 (2001)、151、154頁
  6. ^ a b 波田野直樹『アンコール遺跡を楽しむ』(改訂版)連合出版、2007年、177-178頁。ISBN 978-4-89772-224-5 
  7. ^ 『アンコール遺跡の建築学』 (2001)、133、159頁

参考文献

[編集]
  • 片桐正夫 編『アンコール遺跡の建築学』連合出版、2001年。ISBN 4-89772-165-2 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]