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群馬県道159号持柏木寄居線

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群馬県道159号標識

群馬県道159号持柏木寄居線(ぐんまけんどう159ごう もちかしわぎよりいせん)は、群馬県渋川市赤城町持柏木から同市内の北橘町下箱田の坂東橋東詰まで通じる群馬県道である。

概要

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県道名には「持柏木」と記載されているが、持柏木の起点は通常それとわかる地点ではない。歴史的経緯からその起点は、国道353号群馬県道151号津久田停車場前橋線の分岐点であり、ここから北橘町上南室交差点までは国道353号との重用区間である。[要出典]

上南室交差点で南方に右折し、高度を下げ始めると、ここから沿線は民家や畑が多く、北橘地区から特に前橋方面に出るための重要な道路となっている。途中、北橘町の中心地である真壁地区では群馬県道34号渋川大胡線と短区間重用し、渋川市役所北橘総合支所(旧北橘村役場)や小中学校の近くを通る。

単独区間に戻ってほどなく、次��は群馬県道156号分郷八崎寄居線と重用区間となり、終点まで重複する。終点の板東橋東詰交差点は前橋市と渋川市の両市街へ連なるポイントである。

「寄居」は渋川市北橘町下箱田地区のうち、坂東橋東詰の地域を指す小字名であり、同市寄居町とは関係ない。

路線データ

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歴史

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  • 1950年昭和25年)9月29日 「溝呂木八木原停車場線」として群馬県道指定。
    • 起点は県道・溝呂木前橋線の起点である勢多郡横野村(当時。のち赤城村を経て渋川市溝呂木でここから持柏木を経て上南室までを重用、現ルートを通り、更に国道9号(当時。現・国道17号)を共用して板東橋で利根川を西岸へ渡河し、渋川市半田で分岐して上越線八木原駅に到達していた。
    • 後年の津久田停車場前橋線南半分の前身である「溝呂木前橋線」は既に1938年に県道指定されており、上南室までの区間は最初から重用であった。
    • 当時、渋川大胡線も県道指定済、分郷八崎寄居線は長大県道路線の「片品前橋線」の一部で、多くの部分が当初から他の路線との重用であった。
  • 1959年(昭和34年)9月18日:群馬県より現・道路法に基づき、県道持柏木寄居線勢多郡赤城村大字持柏木 - 同郡北橘村大字真壁字寄居、整理番号142)が路線認定される[2]
    • 群馬県道の再認定により、区間・名称を現行に変更・改称。
    • 同時に、前身路線にあたる県道溝呂木八木原停車場線(勢多郡赤城村大字溝呂木 - 渋川市 八木原停車場、整理番号52)が路線廃止される[3]

交差する道路

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脚注

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注釈

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  1. ^ 昭和34年の路線認定当初での表記では、勢多郡赤城村大字持柏木字東上原746番である[1]
  2. ^ 昭和34年の路線認定当初での表記では、同郡北橘村大字真壁字寄居乙2249番である[1]

出典

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  1. ^ a b 昭和34年群馬県告示第326号 県道の供用開始に関する告示(群馬県報 号外、1959年9月18日、pp. 24–39、群馬県立図書館所蔵)
  2. ^ 昭和34年群馬県告示第324号 県道路線認定に関する告示(群馬県報 号外、1959年9月18日、pp. 1–15、群馬県立図書館所蔵)
  3. ^ 昭和34年群馬県告示第325号 県道路線廃止に関する告示(群馬県報 号外、1959年9月18日、pp. 15–24、群馬県立図書館所蔵)

参考文献

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『赤城村誌』(1989年)赤城村誌編纂委員会 

関連項目

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