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クエッション・ボーイズ

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クエッション・ボーイズは、コミックバンド音楽ショウ(ボーイズ)

概要

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1965年に結成。後にリーダーの北一郎が脱退。1967年に梅村を入れ「ザ・クエッション」とグループ名を改称し吉本興業の主要劇場に上がる。グループ名の由来は漫才コントなど何が出るか解らないという意味で名付けられた。

当時結成間もない1966年3月には道頓堀角座の上席に出演。この時の模様を演芸に造詣のあった前田勇は「クエッション・ボーイズ5人組の音楽ショーには新鮮な感覚と重量感にあふれている。これを今席の第1位に推す」と絶賛した。[1]

1972年には解散、大谷、白名が「あひる艦隊」(松竹芸能系)に加入。残ったメンバー等で「ザ・パンチャーズ」が結成された。

メンバー

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クエッション・ボーイズ時代のメンバー

  • 北 一郎(本名:辻進、1944年 - )、リーダー、ギター担当。
後に漫才に転向しルーキー新一らと組んだ、後に石坂浩二を捩った「石坂てつ也」の名前でやはり渡哲也を捩った「渡こうじ」と「チグハグコンビ」を結成。
「ザ・パンチャーズ」に参加。
「ザ・パンチャーズ」に参加。
  • 白名 勝太(本名:山田喜久蔵、1936年 - )、ドラム担当。
解散後は「あひる艦隊」に加入。
解散後は「あひる艦隊」に加入。

ザ・クエッション時代のメンバー

「ザ・パンチャーズ」に参加。

レコード

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  • スタコイ東京(ザ・クエッション時代)

脚注

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  1. ^ 上方芸人ばなし(山川静夫)。

参考文献

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  • 「現代上方演芸人名鑑」(1980年、少年社)