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耶律夷列(やりついれつ、契丹音;ヤリュートイリ、生年不詳-1163年、在位は1143年-1163年)は、西遼の第2代の皇帝。初代の皇帝の徳宗・耶律大石の末子で、第3代皇帝の耶律直魯古(=チルク、)の父に当たる。諡号は仁宗。
1143年、父の大石が58歳で死去した時はまだ幼かったため、生母の感天皇后・塔不煙(タプイェン)が摂政となり、その補佐を得た。やがて母が亡くなると姉の承天太后・普速完(プスワン)の補佐で成り立った。夷列は、女性に実権を握られるなどあまり主体性のない君主だったようである。在位20年で若くして逝去したという。