エグゼクティブ・アウトカムズ
エグゼクティブ・アウトカムズ(英語:Executive Outcomes、略称:EO)とは、かつて南アフリカ共和国に存在した民間軍事会社(PMC:Private Military Company)。世界初の現代型民間軍事会社の元祖とされ、後のブラックウォーターUSAなどのPMCの基礎ともなった会社である。
20年続いたアンゴラ内戦を1年で終結させるなど目覚しい戦果を挙げたが、強力な軍備を持った会社に危機感を抱いた南アフリカ共和国政府により1998年に解体された。
以下本項では、エグゼクティブ・アウトカムズ社をEO社、民間軍事会社をPMCと呼称する。
概要
旧南アフリカ国防軍(South African Defence Force:略称SADF、以下旧国防軍[1])第32大隊(en)の元副司令官中佐であったイーベン・バーロウによって1989年に設立された会社である。
設立当時はフレデリック・ウィレム・デクラーク政権によってアンゴラ、モザンビーク、南西アフリカ(ナミビア)との国境紛争が終結した上、アパルトヘイトの廃止及び軍縮を行う事が宣言されており、後に大統領となるアフリカ民族会議のネルソン・マンデラにより、32大隊をはじめとした特殊部隊や諜報機関である市民協力局(Civil Cooperation Bureau)の解散を要求、結果アフリカ警察対不正規戦部隊がナミビア交渉の駒として解体され、32大隊についても1993年3月26日の解体まで徐々に規模を縮小していた。
そこに目をつけたEO社は旧南アフリカ国防軍、南西アフリカ警察対不正規戦部隊に所属していた兵士を採用、特に副司令官を務めていた第32大隊などの精鋭部隊に所属していた兵士を多く雇用する事で優秀な人材を確保することに成功した。彼らの多くはアンゴラ内戦で家族や財産を失い、逃げ延びた南アフリカの旧共和国軍に配属された後に職を失った黒人兵士であった。
1994年にゲリラ集団から政党となったアフリカ民族会議の戦闘集団であった民族の槍(ウムコントゥ・ウェ・シズウェ)に所属していた者も採用している。
EOの成功と拡大
最初にEO社が参入したのは、アンゴラ内戦である。内戦が一段落した1992年に第二次国際連合アンゴラ検証団監視の下選挙が敢行され、アンゴラ解放人民運動(以下MPLA)が勝利したが、これに対しかつての対立相手であったアンゴラ全面独立民族同盟(以下UNITA)が反発し再び紛争が勃発するも、1991年のソビエト連邦崩壊と1994年の南アフリカのネルソン・マンデラ政権樹立などにより、多くの国が支援を停止する事態に至り、政府側MPLAは北部の油田、UNITAは南部のダイヤモンド鉱山を資金源とする、資源戦争に変化する。そこで、EO社は内戦中の1993年に政府側MPLAと契約を結び、アンゴラ正規軍の訓練及びUNITAに対する掃討作戦を実行、結果UNITA側に壊滅的被害を与えることに成功し、1974年以来20年続いた内戦を1年で終結させる事に成功する。
ところがこの内戦はある意味で米ソの代理戦争の様相を呈していた。そしてEO社の雇い主であるMPLAはソビエト連邦及びキューバと言った共産圏の支援を受けていた。その為、UNITAを支援していたアメリカ合衆国をはじめとする国連の圧力により、政府側はEO社との契約を打ち切る事となり、代わって国際連合が国際連合平和維持活動(第三次国際連合アンゴラ検証団)を行うことになった。ところがUNITA側との講和及び武装解除に失敗、平和維持部隊は任務に失敗し、結果アンゴラは2002年のUNITA指導者暗殺を契機とした2003年の終結まで尾を引くこととなった。
次に投入されたのはシエラレオネのシエラレオネ内戦である。この当時虐殺や略奪を重ねながら広範な領域を支配し、東部州などを支配下に収めた革命統一戦線(以下RUF)の攻勢で、先に展開したPMCであるグルカ・セキュリティー・サービス社はロバート・C・マッケンジーを殺害され、遺体の一部を食われる等大きな被害を出し撤退してしまい、首都フリータウンも陥落寸前の状態であった。
そこでEO社側は300人の部隊を投入し、RUFが占拠していたダイヤモンド鉱山の奪還に成功、平和交渉の席につかせることに成功した(ところがその後文民政権になったが後に紛争ダイヤモンドの密輸を行い国際連合平和維持活動の国際連合シエラレオネ監視団の介入を招く事態となった)。
一時的ではあるが、少人数精鋭で内戦の戦局を変える民間軍事会社の登場は、世界に少なからず衝撃を与えた。後にシェブロンを初めとする多国籍企業など大口顧客を獲得する事となり、1997年に元Navy SEALs隊員であったエリック・プリンスが設立したブラックウォーターUSAを初めとした民間軍事会社の隆盛の元ともなった。
突然の解散
この名声に眼をつけ、EO社の名を騙って業務受注を目論む企業が次々に現れ、EO社は四面楚歌の状態におかれた。結果、EO社は外国軍事援助規制法における非合法企業として認定され、1998年末に解散した。
2004年にEO社元社員(ニック・ドゥトワやサイモン・マンなど)らがイギリスの経済人の要請で赤道ギニアのク���デターを計画するが事前に発覚し、逮捕される。
共同経営者であったトニー・バッキンガムは、エグゼクティブ・アウトカムズにおけるノウハウを生かしてヘリテージ・オイル社を創立、後にロンドン証券市場に上場を果たすなどの成功を収めた。
武装
武装については、特に生産過剰により安価となっていた東側諸国の兵器を採用していた。小火器はAK-47やマカロフ PMやPKMやRPG-7、戦闘車軸としてはBMP-2やBTR-60などである。航空機についても、MiG-23やMiG-27、Su-25やMi-24ハインドと言ったソ連製兵器を採用していた。
唯一西側諸国の装備として採用されていたのは、負傷者輸送用のボーイング707であった。
後のPMCは「傭兵」として扱われないために、民間人風の服装に銃器や防弾装備などを身につける「PMC装備」に身を包むのが基本だが、EO社のオペレーターは正規軍の兵士達と同様迷彩服に身を包んで戦闘に当たっていた。しかしEO社はポルトガルなど関連国の迷彩服をコピーしていた南アフリカ軍特殊部隊の物を使用しているため、オペレーターごとに一人一人違うデザインの迷彩服を身につけていた。
脚注
参考出典
- P・W・シンガー著 『戦争請負会社』 Corporate Warriors: The Rise of the Privatized Military Industry ISBN-13:978-0801489150