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立浪和義

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立浪 和義
中日ドラゴンズ #3
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府摂津市
生年月日 (1969-08-19) 1969年8月19日(55歳)
身長
体重
173 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 三塁手二塁手遊撃手左翼手
プロ入り 1987年 1巡目
初出場 1988年4月8日
年俸 8000万円(2009年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

立浪 和義たつなみ かずよし1969年8月19日 - )は、プロ野球セントラル・リーグ中日ドラゴンズ所属のプロ野球選手内野手)。右投げ左打ちで、背番号は3番。かつて同僚だったタイロン・ウッズと生年月日が同一。1998年と2005年のシーズンには外野手左翼手)として出場した。2008年よりドラゴンズの打撃コーチ兼任。

人物

当時小学生だった福留孝介が高校時代の立浪に憧れ、小学生時代の福留が中日のキャンプを訪れたときにサインをしたことは有名。 チームの中心として活躍し続けている彼を「ミスタードラゴンズ」と敬称する者も多い。

来歴

  • 1987年 PL学園高等学校の主将として、甲子園春夏連覇を達成。ちなみに同期に片岡篤史(現阪神)、野村弘樹(元横浜、当時は野村弘)、橋本清(元読売)らがいる。中日がドラフト1位で指名。
  • 1988年 中日に入団。当時の星野仙一監督から素質を見抜かれ、遊撃手に抜擢される。高卒ルーキーでは22年ぶりの開幕1軍スタメン出場を果たし、シーズン110試合出場。打率.223ながら22盗塁、21犠打を記録し、中日のリーグ優勝に貢献。すでにプロレベルに達していたと言われる守備走塁技術を高く評価されて新人王。高卒ルーキーとしては初のゴールデングラブ賞を受賞した。
  • 1989年 肩の故障で二塁手にコンバート。故障の影響でシーズン30試合出場にとどまる。
  • 1990年 シーズン打率.303、155安打で復活。
  • 1993年 6月11日からシーズン守備機会連続無失策を続け、それまでの記録を更新。シーズン守備率.997を残し、記録を継続したままシーズンを終える。
  • 1994年 6月11日の対読売戦で松井秀喜の放った強烈な打球を弾いてしまい、記録は712回でストップ。
  • 1995年 ゴールデングラブ賞2度目の受賞。この年から3年連続で受賞する。
  • 1996年 自己最高となる打率.323を記録し、リーグ3位に。ベストナインに選出される。
  • 1997年 開幕戦の対横浜戦で盛田幸妃投手から初回先頭打者本塁打ナゴヤドーム初の公式戦第一号本塁打となる。8月22日の対阪神戦ではサイクルヒットを達成
  • 1998年 主に「3番レフト」で出場、松井、高橋由伸と共にオールスターゲーム外野手部門ファン投票選出
  • 1999年 開幕戦で玉木重雄から勝利打点となるタイムリー二塁打、プロ野球タイの開幕11連勝。新人の福留と共に高代延博にノックを浴びせていた際、のあまりの守備の緩慢さに大激怒させ「お前ら!PLに返すぞ!」と罵声を浴びた。9月30日マジック1で迎えた神宮球場で9回2死宣銅烈ロベルト・ペタジーニを内野フライに討ち取り二塁手として捕球し優勝決定、チーム最多の勝利打点を記録し選手会長として牽引。しかし星野監督に中村武志と共に監督室に呼び出され「来年、お前らの引退試合用意してやる」と最後通告受けシーズンオフに身体を鍛え直し復活
  • 2001年 12月より社団法人日本プロ野球選手会理事長に就任。労働組合日本プロ野球選手会副会長も兼任し、選手の地位向上や野球の普及活動にも力を注ぐ。
  • 2002年 シーズン途中に4番を任され、この年チーム最多の打点をマーク。
  • 2003年 PL学園の先輩清原和博に先んじて2000本安打を達成。同年、史上初めて3ポジション(遊撃手・二塁手・三塁手)でのゴールデングラブ賞を受賞。またこの年のオフに井端弘和に球団選手会長を自ら指名し、その職から外れる。
  • 2004年 3番打者としてチームを牽引。5月、6月に月間MVPを獲得し、2度目のベストナインに選出される。この年、チームは5年ぶりの優勝を果たす。
  • 2005年 打率は低迷したものの5月19日に450本目の二塁打を放ち、福本豊の持つ通算二塁打の最多記録を更新。さらに6月4日、2275本目の安打を放ち、高木守道の持つ通算安打の球団記録を更新。
  • 2008年のシーズンより打撃コーチを兼任。
  • 2008年12月5日、契約更改の終了後に会見を行い、「来年が最後のつもりでやります。1年悔いのないように。思い切って、最後の力を振り絞ってやります」と、来季限りでの現役引退をも示唆する発表をした。[2]

主なタイトル

年度別打撃成績

年度





















(万円)
1988年 中日 3 110 336 61 75 15 1 4 104 18 22 46 53 .223 480
1989年 30 85 10 20 6 1 2 34 8 3 10 10 .235 960
1990年 128 511 73 155 33 6 11 233 45 18 65 61 .303 840
1991年 131 520 87 151 35 2 10 220 45 10 75 69 .290 2800
1992年 98 379 52 114 16 4 5 153 42 8 53 52 .301 5000
1993年 128 500 73 143 18 3 16 215 50 6 73 51 .286 6800
1994年 129 489 90 134 27 1 10 193 53 12 85 50 .274 9500
1995年 126 489 72 147 25 1 11 207 53 10 63 46 .301 12000
1996年 130 511 91 165 39 2 10 238 62 2 71 57 .323 15000
1997年 133 495 77 133 24 3 14 205 55 8 82 42 .269 15000
1998年 134 504 60 137 24 1 8 187 43 6 78 60 .272 15000
1999年 123 417 54 111 32 1 4 157 53 3 52 44 .266 15000
2000年 126 436 58 132 30 3 9 195 58 5 49 43 .303 15000
2001年 139 507 52 148 30 2 9 209 65 6 56 54 .292 19000
2002年 137 506 62 153 34 2 16 239 92 4 51 55 .302 25000
2003年 135 500 52 140 28 2 13 211 80 2 59 72 .280 25000
2004年 134 523 68 161 25 0 5 201 70 5 50 52 .308 25000
2005年 138 501 57 127 25 1 9 181 56 2 73 76 .253 25000
2006年 113 259 17 68 10 1 1 83 31 3 19 28 .263 22500
2007年 101 109 4 30 2 1 2 40 31 0 17 14 .275 10000
2008年 86 73 2 15 4 0 1 22 10 0 12 11 .205 10000
2009年 . 8000
通算 2509 8650 1172 2459 482 38 170 3527 1020 135 1139 1000 .284 -
  • 太字はリーグトップ。
  • 年俸は推定金額。

脚注

  1. ^ 中日新聞:立浪ラストイヤー宣言 15年ぶりの1億円割れ:スポーツ(CHUNICHI Web)
  2. ^ 中日スポーツ:立浪、引退決断 更改後サプライズ表明「来季限り」:ドラニュース(CHUNICHI Web)

関連項目

先代
荒井幸雄
セ・リーグ新人王
1988年
次代
笘篠賢治