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クイズ!!ひらめきパスワード

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クイズ!!ひらめきパスワード
ジャンル クイズ番組
毎日放送
出演者 野村啓司(初代司会者)
山城新伍(2代目司会者)
島田紳助
板東英二
ほか、こちらも参照。
放送
放送局TBS
音声形式ステレオ放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1985年10月13日~1992年3月29日
放送時間日曜日19時~19時30分(30分)
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クイズ!!ひらめきパスワード』は、1985年10月13日1992年3月29日までJNN系で放送された、毎日放送(MBS)制作・ロート製薬提供のクイズバラエティ番組。『アップダウンクイズ』の後番組として、毎週日曜19:00~19:30(日本時間)に放送されていた。

概要

番組の概要

番組放送開始から1990年12月23日放送分まではMBSのアナウンサー・野村啓司が司会を担当。1991年1月6日放送分~最終回までは山城新伍が司会を担当した。

番組放送開始から半年間は視聴者参加型の番組だったが、1986年4月6日放送分からは芸能人達が参加し対決し合う番組へと移行。芸能人対決型方式への移行後は、板東英二(板東は第1回の視聴者参加時代からチームキャプテンとして出演)や島田紳助ら関西の芸能人達を起用。彼らの関西芸人らしいトークやツッコミ、そして司会者・野村の軽快な番組進行が視聴者達に受けた。特に関西では高視聴率を得て、裏番組テレビ東京ヤンヤン歌うスタジオ』を終了に追い込むほどまでに人気を得た。芸能人参加型へのリニューアルによって比較的番組が安定するようになったという、珍しいケースの番組だった。視聴者参加型方式から芸能人対決型方式へと変更する手法は、TBSぴったんこカン・カン』でも受け継がれ、現在でも用いられている。
同番組は放送開始から最終回までステレオで放送された。

特番

1990年・1991年の正月には、昼の1時間スペシャルが放送された。1990年放送分では、板東英二、島田紳助、ラサール石井らがキャプテンを務め、男性各3人チーム、女性各3人チームの総計18人で争われた。また、1991年放送分では、番組本編に先駆けて司会担当者が野村啓司から山城新伍へと交代。板東英二、島田紳助、大島智子(現・大島さと子)、由紀さおりらがそれぞれキャプテンを務め、新旧キャプテン4チーム(各チーム4人・総計16人)で争われた。

番組の終焉

1991年秋頃から番組のマンネリ化が顕在するようになった。視聴率の面ではいくらか安定していたものの、当時のTBS社長・磯崎洋三がTBSの大改革の為に上げたいわゆる「つるの一声」により、番組は翌年に放送を終了した。裏番組のフジテレビキテレツ大百科』が視聴率の面で追い上げていたのも理由の一つである。その後、ロート製薬提供枠は30秒に縮小され、同じく日曜夜10時枠で放送されていた番組『たけし・所のドラキュラが狙ってる』へと移行したが、視聴率の回復が望めず撤退した。これに伴い、『私はナンバーワン』『アップダウンクイズ』以来30年以上続いた複数社提供を含むロート製薬提供番組・放送時枠は、同番組の終了をもって廃止されている。『毎日放送50年史』によると、MBSとロート製薬は『私はナンバーワン』の放送開始とその後番組『アップダウンクイズ』の放送により、一層と深いつながりを持つようになったとのことである。

番組の流れ

視聴者参加型時代のルール

  • 男性視聴者チームと女性視聴者チームによる対抗戦。1チーム3人で、それぞれのチームに芸能人が1人ずつキャプテンとして参加。
  • 前半戦はキャプテンのヒントからブランチと呼ばれる小キーワードを当てる形式。ブランチの言葉を正解したチームは、そのブランチから想像されるパスワードを全員で推理して答える。
  • 後半戦はチーム戦。1ブランチの文字数分(最小3文字、最大9文字)のマスが表示され、アトランダムに1マスずつ開いて行き、分かった時点でボタンを押す。正解が出るまで解答出来た。ブランチの言葉を正解すればまず20点を獲得出来る(最後まで正解が無かったらノーカウント)。ブランチの言葉を正解したチームは、そのブランチから想像されるパスワードを全員で推理して答える。
  • 得点は、第1ブランチで正解すれば500点、第2ブランチで400点と以下100点ずつ減っていき、最後の第5ブランチで正解すれば100点が獲得できた。この得点方式は前半戦・後半戦共通だった。
  • 視聴者参加型番組の頃は、勝利チームがハワイ旅行をかけた「チャレンジクイズ」が行われていた。出場者(キャプテン除く)3人が出題ボードの裏側に隠された「パ」「ス」「ワ」「ー」「ド」と書かれた5枚のパネルから、どれか1つパネルの文字をコールするとパネルが開いて1~5までの番号が現れる。同時にブランチボードが移動し、後方に「CHARENGE QIZU」が書いたセットが現れ、それにある番号と対応したブランチが3つが開く。3つのブランチからパスワードを正解すると、天井から銀色の紙吹雪が降りハワイ旅行を獲得出来た。ちなみに賞品がハワイ旅行なのは、前身番組である『アップダウンクイズ』からの流れである。芸能人オンリー以降から初代司会者の野村が降板するまで後方のセットがお蔵入りとなり、OPとEDにその遺構が写っていた。
  • 賞金については、勝利チーム全員に1人10万円ずつ、負けチーム全員に1人100点につき5,000円が贈られた。

視聴者参加廃止(1986年4月)以降のルール

  • 男性チーム(4人)と女性チーム(4人)の対抗戦。
  • 前半戦は1:1方式で、開かれたブランチからパスワード(メインキーワード)を早押しで当てる。
  • 後半戦は視聴者参加時代と同じであるが、ブランチの言葉を正解した時の得点が50点となる。
  • この時から「チャレンジクイズ」は廃止され、勝利チームには放送回の問題にちなんだ豪華賞品が贈呈された(季節の豪華食材セットの回もあり)。そして、野村時代はパーフェクト(相手チームの得点を最終的に0点にした場合、すなわち、1問も正解させなかったの意味。野球で言えばパーフェクトゲームに相当する。)、山城時代は3000点以上得点して勝てば勝利チームにハワイ旅行がプレゼントされた。野村時代はパーフェクト達成しなかったが、1991年4月14日の放送で女性軍が3000点を突破をし、ハワイ旅行がプレゼントされた。達成の瞬間、司会の山城も驚いていた。
  • 山城期にはオープニングコーナーに「ひらめき新伍」や、後半に得点が倍になる「チャンスカード」があった。

主な出演者

制作スタッフ

スポンサー

提供は、番組放送開始当初はロート製薬が単独で番組のスポンサーを務めていたが、最末期では同社を含む複数社提供となった。この為タイトルコールは、司会担当者が野村啓司だった頃は「ロート製薬提供、クイズ!!ひらめきパスワード」だったのに対し、司会担当者が山城新伍へと移行してからは「ロート製薬提供、山城新伍のクイズ!!ひらめきパスワード」、さらにその後「山城新伍のクイズ!!ひらめきパスワード」となった。また、野村期では司会の野村自身がタイトルコールを担当していたのに対し、山城期ではタイトルコールは司会の山城ではなく、番組のアシスタントを務めていたMBSアナウンサー・高井美紀が担当した。この流れは、前身番組である『アップダウンクイズ』の末期から受け継がれた。

オープニング(OP)とエンディング(ED)、及び提供読み

初期(番組放送開始~1986年3月)

  • OP:「♪ロート…」のオープニング。番組名とスポンサー名を同時に表示。
  • ED:「クイズ!!ひらめきパスワードを終わります。提供はロート製薬でございました。」 - MBSアナウンサー・吉田智子によるナレーション。

中期(1986年4月~1989年3月)

  • OP:「♪ロート…」のオープニング(初期と同じ)
  • ED1:「この番組は、ロート製薬の提供でお送りしました。」 - MBSアナウンサー・吉田智子によるナレーション。
  • ED2:「クイズ!!ひらめきパスワード 終」の表示+4月の番組改編以降はTBS系ゴールデンタイム・プライムタイム番組のEDタイトルバックに設けられたチャイム音とともに、次の番組紹介(続いて『テレビ探偵団』の画面)をするようになった。
  • ただし1988年9月中旬から1989年1月までの間は、昭和天皇が病を患い崩御したことに配慮し、「♪ロート…」で始まるオープニングは省略され、テーマ曲+「この番組はロート製薬の提供でお送りします」のパターンへと変更された。当時放送されていた他のロート製薬一社提供番組も、同様の措置が取られている。

後期(1989年4月~1991年9月)

  • OP:「♪ロート…」のオープニング。ロゴマークが変更、番組名とスポンサー名は別々に表示。
  • ED1:「健やかな明日のために、ロート製薬の提供でした」 - 固定の女性の声によるナレーション。
  • ED2:中期と同じく「終」表示 - TBSの番組『クイズダービー』『クイズテレビずき』の時も同様だった。

最末期(1991年10月~番組最終回)

  • OP1:「♪ロート…」のオープニング無し(番組タイトルロゴを表示)
  • OP2:「この番組はロート製薬と、ご覧のスポンサーの提供でお送りします。」 - MBSアナウンサー・小堀豊子によるナレーション。
  • ED:「この番組はロート製薬と、ご覧のスポンサーの提供でお送りしました。」 - MBSアナウンサー・小堀豊子によるナレーション。
  • ちなみに、ヒッチハイクは長年に渡り毛染めパオン(山発産業、現・シュワルツコフヘンケル)エースコックが務めた。また、毎年7月から9月頃まではKINCHOのヒッチハイクが多かった。

ネット局

その他特記事項

  • 初代司会の野村啓司と2代目司会の山城新伍は、京都府立山城高等学校の先輩後輩という関係にある。『すてきな出逢い いい朝8時』で、野村は「山城さんは、僕の先輩ですから」と語っていた。
  • 1986年7月~1987年9月にかけ、よみうりテレビ系列局では『クイズ・マネーイズマネー』が放送されていた。ひらめきパスワードとはライバル関係にあったこの番組で司会を務めていた山城新伍が、後にひらめきパスワードで2代目司会を務めるという珍しい現象が生じている。
  • 番組テーマ曲は、井上堯之の作曲である。
  • 番組放送開始当初よりしばらくは、早押しや正解のチャイムに電子音を使用していたが、芸能人対決に移行して数ヶ月で通常のチャイムに変更された。同時にその他の効果音も変更され、特に誤答のブザーは『アップダウンクイズ』で使用されていたものに似た音となった。

番組の移り変わり

1992年4月26日以降、同枠ではTBS制作の『さんまのからくりTV』が放送開始。

MBS制作枠は、『そんなコロッケな!?』『コロッケ!!噂の芸能界』等を放送していたTBS制作木曜19時後半枠と交代する形で、木曜19:30~20:00へと移動。1992年4月16日から半年間『近藤正臣の味覚人情報』が放送された。その後、同じTBS制作の「料理天国」などを放送していた枠とまた入れ替わって土曜18:00~18:30に移動し、1992年10月3日から『新伍のワガママ大百科』を放送。さらにその後の1993年7月3日より、バラエティからは撤退してテレビアニメや特撮の制作・放送に着手するようになった。そして、現在放送中のテレビアニメ『機動戦士ガンダム00』に至る。

TBSテレビ 日曜19時台前半
前番組 番組名 次番組
クイズ!!ひらめきパスワード
(本番組まで毎日放送制作枠)
さんまのからくりTV
(ここからTBS制作、武田グループ提供枠)
近藤正臣の味覚人情報
(セールス上の次番組)
毎日放送制作・TBSテレビ系 日曜19:00ロート製薬一社提供
アップダウンクイズ
クイズ!!ひらめきパスワード
(廃止)