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相良油田は、[[1872年]]([[明治]]5年)2月に、海老江の谷間で油くさい水が出ることと聞いた、元藩士村上{{ルビ|正局|まさちか}}によって発見されたことに始まる<ref>出典 : 『遠足の地学 静岡県の地学案内』静岡県地学会編 175頁</ref>。同年3月に、静岡学問所の外国人教師[[エドワード・ウォーレン・クラーク]]によって、それが石油と判定された<ref>{{Cite book|author=E.Wクラーク|title=日本滞在記|date=1967年10月20日|year=|accessdate=|publisher=講談社|page=85|translator=飯田宏|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref><ref>{{Cite book|title=ふるさと百話 第九巻|date=1973年5月1日|year=|publisher=静岡新聞社|page=225}}</ref><ref>{{Cite book|title=相良町史 通史編 下|date=1996年5月30日|year=|publisher=相良町|page=103}}</ref>。 |
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[[1873年]](明治6年)5月には、手掘りにより採油が始まった。[[1874年]](明治7年)には、日本石油(現:[[ENEOS]])の前身である[[長野石炭油会社]]によって、日本で最初の機械掘りが行われた。最盛期の[[1884年]](明治17年)頃は、約600人が働き、年間721キロ[[リットル]]が産出されていた。採油を停止したのちの[[1980年]]([[昭和]]55年)[[11月28日]]に静岡県指定[[文化財]]([[天然記念物]])となり、は「[[油田の里公園]]」として周辺が整備されている。 |
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[[1993年]]、[[京都大学]]大学院の[[今中忠行]](現在:[[立命館大学]]生命科学部)は、 相良油田から石油分解菌「[[オレオモナス・サガラネンシス]] HD-1株」を単離した。 |
2022年10月12日 (水) 22:14時点における最新版
相良油田(さがらゆでん)は、静岡県牧之原市西部(旧・榛原郡菅山村、後に相良町内)にある油田。石油採掘は停止しているが、油井そのものと簡単な試験ができる程度の設備は保存されている。
概要
[編集]日本では太平洋岸唯一の産油地だったが、産油量の減少や日本国外からの安い原油の輸入などのため、1955年に採掘停止になった。世界的にも希な軽質油であり、精製せずにそのままで自動車が動くほどである。
相良油田は、1872年(明治5年)2月に、海老江村の谷間で油くさい水が出ることと聞いた、元彰義隊士で駿府藩士であった村上
1873年(明治6年)5月には、手掘りにより採油が始まった。1874年(明治7年)には、日本石油(現:ENEOS)の前身である長野石炭油会社によって、日本で最初の機械掘りが行われた。最盛期の1884年(明治17年)頃は、約600人が働き、年間721キロリットルが産出されていた。採油を停止したのちの1980年(昭和55年)11月28日に静岡県指定文化財(天然記念物)となり、現在は「油田の里公園」として周辺が整備されている。
1993年、京都大学大学院の今中忠行(現在:立命館大学生命科学部)は、 相良油田から石油分解菌「オレオモナス・サガラネンシス HD-1株」を単離した。
産出油の成分
[編集]ガソリン34% 灯油34% 軽油22.5% 重油9.5%。非常に軽質であり低粘度、ウイスキーやブランデーのような透き通った琥珀色の液体である
現在の採掘状況
[編集]現在では観光と研究用に残されている油田にて、数年に一度の採掘試験を行っており、この模様はイベントとして一般に公開されている。この際に汲みたての原油からゴミを濾紙にて濾しただけの精製前原油を使い、原動機付自転車などのガソリンエンジンや農業用発動機の始動実演が行われている。
脚注・出典
[編集]参考文献
[編集]- E.Wクラーク著 飯田宏訳『日本滞在記』講談社、1967年10月20日
- 『ふるさと百話 第九巻』静岡新聞社、1973年5月1日
- 『相良町史 通史編 下』相良町、1996年5月30日
外部リンク
[編集]- 相良油田(牧之原市)
- 体験施設 相良油田坑見学 (牧之原市観光協会サイト) - ウェイバックマシン(2017年5月7日アーカイブ分)
- 「埋もれた歴史遺産を訪ねて」太平洋岸で唯一あった静岡の相良油田