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2006年6月29日 (木) 09:54時点における版
南京(なんきん; 中国語: 南京, Nánjīng [ Listen ])は、中国の副省級市で、江蘇省の省都。古くから長江流域・華南の中心地で、かつては三国・呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、十国の南唐や明といった王朝や南京国民政府の首都であった。中国四大古都の一つ。金陵は南京の別名である。また清朝のころには江寧と呼ばれたことから略称は「寧」である。
夏はとても暑く、重慶、武漢、南昌と並ぶ中国四大竈の一つである。
南京市 | |
略称:寧 | |
中国共産党南京市委員会書記 | 羅志軍 |
市長 | 蒋宏坤 |
市庁所在地 | 玄武区 |
面積 | 6598 km² |
人口 - 総人口 (2004年) |
640万 |
GDP - 合計 (2004年) - 全省に占めるGDP率 - 一人あたりGDP |
1910億人民元 33,050人民元 |
電話番号 | 025 |
郵便番号 | 210000 - 211300 |
行政級別 | 副省級市 |
市花 | ウメ |
市樹 | ヒマラヤスギ |
ナンバープレート | 苏A |
歴史
この都市の歴史は春秋時代に呉がこの地に城を築いたのに始まる。戦国時代に呉を征服した楚はここを金陵と称した。楚が秦始皇帝に征服され、始皇帝がこの地に巡幸してきた際に、「この地に王者の気がある」と言われ、それに怒って地形を無理やり変えてこの地の気を絶とうとした。また名前も金から秣(まぐさ)の秣陵に改名した。
三国時代になると呉の孫権が229年に石頭城という要塞を築いて建業と称してこの地に都を置いた。西晋にて一旦、建業とされた後に司馬鄴(愍帝)を避諱して建康と改められ、東晋及びその後の四王朝(宋、斉、梁、陳)の都となった。呉を含めた六国が全て同じ地に都を置いたことから六朝時代の名がある。
隋で江寧県、唐では金陵県、白下県、上元県などと称される。この時代には、新たに開削された大運河により、長江対岸の揚州が物資の集積地となり、この地域の中心地としての地位を奪われた恰好となり、往時の都としての繁栄は見られなくなった。唐崩壊後の五代十国時代には、南唐の都金陵府が置かれ、後に改名されて西都と称する。
明の太祖朱元璋(洪武帝)は1356年に集慶路と呼ばれていたこの地を征服し、以後ここを根拠地として全土を統一するに至った。1368年、応天府と改められ、首都とする。1421年には、靖難の役で皇位を簒奪した永楽帝により首都が北京(順天府)へ遷都され、「南京」と改められる。明一代に於いて首都北京周辺の北直隷に対して南京は副都として扱われ、南京周辺は南直隷とされた。南京には首都北京に異常があった際に備えて北京に置かれた朝廷を縮小したものが置かれていた。南京の紫禁城は現在の故宮公園であり皇城の中に宮城があり、現在の故宮公園はかつての宮城の一部であり、門や主要建築物の石壇が残っている。
清代に入ると江寧と呼ばれるようになる。
太平天国の乱では占領され、天京とされた。また1858年の天津条約・1860年の北京条約に於いて西欧に対して開港した。
辛亥革命により中華民国が成立すると、1912年には一時的に臨時政府が置かれ、1927年4月には国民政府の首都となった。1937年12月には日本軍によって占領され、軍人・民間人が不法に虐殺された。→南京大虐殺 この事件については存否、詳細な規模などの点で議論が続いている。→南京大虐殺論争
1940年3月、汪兆銘傀儡政権の首都となる。 1949年10月1日に中華人民共和国が建国されると直轄地になる。 1953年に江蘇省の発足とともにの同省の省都となった。 1994年副省級市になる。
文化
曹雪芹の「紅楼夢」の舞台として有名で、物語に登場する12人の女性「金陵十二釵」に因み、12人の女性をミスコンテストで選んで南京親善大使としている。
現在の南京市の概要
- 市の面積は6597㎡
- 市域には以下の区および県がある。
- 玄武区
- 白下区
- 秦淮区
- 建鄴区
- 鼓楼区
- 下関区
- 雨花区
- 浦口区
- 栖霞区
- 江寧区
- 六合区
- 溧水県
- 高淳県
- 人口は約640万人
- 外国人居住者はおよそ800人
南京市の経済
- 2004年のGDPは2000億元超で、前年比17.4%の成長である。
その内訳は
- 第1次産業によるものが70億元(前年比5.2%増)
- 第2次産業によるものが1005億元(前年比20.7%増)
- 第3次産業によるものが835億元(前年比14.9%増)
である。
- 2004年の輸出入の総額は206.4億ドル
- そのうち輸出は104.6億ドル(前年比36.5%増)
である。
南京市の産業
- 農業
- 耕地面積30.3ha
- 林業用地8.3ha
- 水産業等3.7ha
- 工業
- 自動車、電子、鉄鋼、石油化学、鉄鋼などが主な産業。
- それらを含めて36業種200分野、2000種類の製品が生産されている。
これらの齎す工業総生産は3285億元(南京市のGDPの43.1%を占める)
南京市政府は今後は資本集約産業から技術集約産業への転換を進めて行く方針。
- サービス業
- 観光業のみならず物流、金融、情報センターを指向、投資の拡大を狙っている。
- 特産品
- 雨花茶
- 雨花石
- 南京雲錦
データ
- 2004年までの外資投資高は120億ドルで投資件数は8652件。
- そのうち日本企業の総投資額は7.64億ドルである。
- 日本との貿易高は21.33億ドルで、輸出が11.25ドル(14.99%増)輸入が10.08ドル(18.53%増)
南京市の経済政策
- 外資起業に対して投資額に応じた税制面での優遇措置
- 4つの国家開発特区の建設
- 南京ハイテク産業特区(ソフト開発、IT、生物医薬)
- 経済技術開発特区(IT、新型材料、生物医薬のLCD、PDPなど)
- ケミカル産業開発特区(エチレン、酢酸、塩素加工)
- 江寧経済開発技術開発区(自動車、自動車部品、精密機器、IT)
- 5つの省級開発特区の建設
南京市の都市計画
- 南京市は市域が長江に跨って立地しており、すでにある第1大橋、第2大橋、加えて2005年の国体にあわせて第3大橋と地下鉄1号線が2005年に開通。更に第4大橋、第2地下鉄が2004年に起工された。これらによって市の人口の移動を促進させる。
- 環状道路の整備
- 龍潭港の整備
- 禄口国際空港の整備と物流センターの建設
これらの政策の推進で、経済都市としてのインフラ整備し、21世紀の国際社会にふさわしい、都市としての機能を充実させることを目指している。
交通
市内の交通
市内の交通としては鉄道、バス、地下鉄がある。
- バス
- 観光用路線から郊外路線まで100以上の路線で構成され南京市民の重要な交通手段となっている。市内のほとんどの路線でICカードが導入されている。ICカードは運賃が4割引になっておりかなり普及している。地下鉄でも利用できる。
- 地下鉄
- 地鉄1号線は南北に伸びる路線。2005年5月15日より観光用として試験運行開始、9月3日より正式運行開始。さらに南への延長を計画中。
- 地鉄2号線は2005年12月に全区間着工。
空港
南京禄口国際空港(禄口国際機場)があり大阪、シンガポール、ソウル、香港マカオ、台湾など85都市と航空路が開設されている。市街までは29kmほど離れているが、高速道路で直結されている。
港
河港として、南京港がある。2004年には681万トンの貨物を扱った。64のバースがあり、うち16は1万トンの船舶が利用可能である。
観光地
- 中山陵
- 孫中山紀念館
- 中山植物園
- 美齢宮
- 霊谷寺
- 明孝陵(世界文化遺産)
- 南京長江大橋
- 夫子廟
- 江南貢院
- 中華門
- 中山門
- 紫金山
- 紫金山天文台
- 航空烈士公墓
- 明中山王陵園-徐達墓-
- 明岐陽王陵園-李文忠墓-
- 南京博物院
- 旧総統府
- 梅園新村紀念館
- 明故宮
- 鼓楼
- 鶏鳴寺
- 九華山公園
- 玄武湖公園
- 白馬公園
- 朝天宮
- 紅山森林動物園
- 雨花台
- 南京大虐殺記念館
- 清涼山公園
- 烏龍潭公園
- 石頭城
- 国防園
- 莫愁湖公園
- 瞻園・太平天国歴史博物館
- 阮籍墓
- 南京民俗博物館
- 燕子磯
- 閲江楼
- 静海寺
- 渡江勝利紀念館
- 珍珠泉
- 南京長江二橋
- 将軍山
- 南唐二陵
- 鄭和墓
- 南京明文化村・陽山碑材
- 南京古猿人洞
- 栖霞寺
- 隆昌寺
関連項目
外部リンク
- 南京市人民政府(中国語)
- 南京市秦淮区人民政府(中国語)
- 南京市江寧区人民政府(中国語)
- 南京市浦口区人民政府(中国語)
- 南京外資網(中国語、日本語)
- 南京地鉄(中国語)
- 南京公交雅高巴士有限公司(中国語)
- 南京旅游網(中国語)
参考文献
- 日中経済協会編「南京市概況および国家開発特区最新情報」(2005年4月)