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福岡県に生まれる。[[1931年]][[福岡県立修猷館高等学校|福岡県中学修猷館]]<ref>『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員25頁</ref>、[[1933年]][[福岡高等学校 (旧制)|旧制福岡高等学校]]理科甲類<ref>『福岡高等学校一覧 第19年度(自昭和15年4月至昭和16年3月)』(福岡高等学校編、1941年)180頁</ref>を経て、[[1936年]]3月、[[九州大学#沿革|九州帝国大学]][[九州大学大学院工学研究院・大学院工学府・工学部|工学部]]を卒業<ref name=furusato>『ふるさと人物記』(夕刊フクニチ新聞社、1956年)91-92頁</ref>。 |
福岡県に生まれる。[[1931年]][[福岡県立修猷館高等学校|福岡県中学修猷館]]<ref>『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員25頁</ref>、[[1933年]][[福岡高等学校 (旧制)|旧制福岡高等学校]]理科甲類<ref>『福岡高等学校一覧 第19年度(自昭和15年4月至昭和16年3月)』(福岡高等学校編、1941年)180頁</ref>を経て、[[1936年]]3月、[[九州大学#沿革|九州帝国大学]][[九州大学大学院工学研究院・大学院工学府・工学部|工学部]]を卒業<ref name=furusato>『ふるさと人物記』(夕刊フクニチ新聞社、1956年)91-92頁</ref>。 |
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卒業後、[[九州工業大学|明治専門学校]](現・九州工業大学)の講師となり、電気機械を講義、1938年教授に進む。1943年九州帝国大学の助教授となり、1950年教授に進み<ref name=furusato/>、[[1974年]]4月から[[1976年]]3月にかけて同工学部長を務める。九州大学を退職後、[[福岡大学]]工学部教授に就任。 |
卒業後、[[九州工業大学|明治専門学校]](現・九州工業大学)の講師となり、電気機械を講義、1938年教授に進む。1943年九州帝国大学の助教授となり、1950年教授に進み<ref name=furusato/>、[[1974年]]4月から[[1976年]]3月にかけて同工学部長を務める。九州大学を退職後、[[福岡大学]]工学部教授に就任。 |
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1986年、勲二等旭日重光章を受章。2001年3月25日、心不全のため死去<ref name="bukko"/>。 |
1986年、勲二等旭日重光章を受章。2001年3月25日、心不全のため死去<ref name="bukko"/>。 |
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辻 節三(つじ せつぞう、1913年10月31日[1] - 2001年3月25日)は、日本の工学者。専門は制御工学。
経歴
[編集]福岡県に生まれる。1931年福岡県中学修猷館[2]、1933年旧制福岡高等学校理科甲類[3]を経て、1936年3月、九州帝国大学工学部を卒業[4]。
卒業後、官立明治専門学校(現・九州工業大学)の講師となり、電気機械を講義、1938年教授に進む。1943年九州帝国大学の助教授となり、1950年教授に進み[4]、1974年4月から1976年3月にかけて同工学部長を務める。九州大学を退職後、福岡大学工学部教授に就任。
1986年、勲二等旭日重光章を受章。2001年3月25日、心不全のため死去[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『人事興信録第32版』つ35頁、人事興信所、1983年